私立第三新東京中学校

第三十九話 隠された想い

アスカはつかつかと歩いている。
アスカを除く僕たちは、その後ろを黙ってついていく。雰囲気は重い。
特にその原因を作ってしまった、洞木さんはつらそうだ。しばらく何ともいえ
ない表情で、アスカの後ろ姿を見つめていたが、とうとう黙っていることも出
来なくなったとみえて、僕に謝ってきた。

「ごめんなさい、碇くん。あたしが調子に乗って余計な事言ったばっかりに、
こんな事になってしまって・・・」
「洞木さんのせいじゃないよ。だから気にしなくてもいいよ。」
「碇くん・・・」

僕は気にしなくていいとはいったものの、どう考えてもそうとはとれない表情
をしていた。洞木さんも、僕の複雑な心の中を如実に表している、その顔を見
て、何も言えなくなってしまった。
僕は本当に洞木さんのことを責めたりはしていなかった。僕の心の中は、アス
カが僕にしたことについてで一杯だった。

アスカはどうして急にあんなことをしたんだろう・・・?それもみんなが見て
いる前で・・・

人前でのキス。恥ずかしがり屋の僕にとっては信じられない出来事であった。
そして、それは僕だけではなく、ああ見えてもアスカも同じだ。アスカは今ま
で人の目を気にして生きてきた。だからああいうことがどういう結果を生むか
ということくらい、良く分かっているはずだった。

ということは、アスカは本当に僕のことが好きだったんだろうか・・・?

確かに僕とアスカは何度かキスをしたことがある。でも、キスをするというの
は外国では当たり前のことで、だからアスカも僕なんかにキスをしていたんだ
と思っていた。でも、ひょっとしたらそうじゃなかったのかもしれない。でも、
もしかしたらそうなのかもしれない。本当のことは、アスカに聞いてみるまで
は分からないのだ・・・

しかし、いくら鈍感な僕でさえ、キスの理由を尋ねるなんて言うことは、して
はならないことだというのが分かっていた。僕は様々な思いが頭の中をぐるぐ
ると巡り、他の事は全く目に入らなかった。そして気が付くと、いつのまにか
僕たちは教室についていた。

僕は頭が混乱したまま午前の授業を受けた。今日は先生の話も全く耳に入らな
かった。休み時間に入っても、僕には誰も話し掛けてこなかった。事情を知っ
ているトウジ達は、僕の様子を察して、僕に話し掛ける事を避けたのだろう。
それが僕にとって、いいことなのか、それとも悪い事なのか、僕には分からな
いが、考える時間が十分に出来た事は、とてもありがたかった。

しかし、時間はいくらあっても、僕の考えはまとまらなかった。そして、とう
とうお昼休みを迎えた。
僕はいつものように弁当を取りだそうと鞄を開けると、そこには二つの弁当箱
があった。僕の分と、そしてアスカの分だ。今朝、アスカが急いで家を飛び出
していった為に、僕が一緒に持ってきていたのだが、それを今の今迄すっかり
と忘れてしまっていた。僕はどうしようかと思っていたが、そんな事をしてい
るうちに、いつものようにみんなが集まってきた。もちろんアスカも一緒だ。
そのせいか、なんだかいつもとはみんな様子が違う。一番違ってないように見
えるのは、ひょっとしたら当人のアスカかもしれない。アスカは今朝は何事も
なかったように、僕のところへやってきて、僕に向かって言った。

「シンジ、アタシのお弁当持ってきてくれた?折角作ってきたのに、忘れてき
ちゃったみたいなのよね。」
「う、うん。アスカの分も忘れずに持ってきたよ。」
「そ、さすがシンジ。気がきくわね。」
「そ、そんな事ないよ。」
「まあ、そんな事はどうでもいいから、アタシのお弁当頂戴よ。」
「う、うん。わかった。」

そして僕は、取り出したアスカの分のお弁当を、アスカに渡した。なんだかア
スカは今朝の事を忘れたいかのように振る舞っているように、僕には感じられ
た。みんなにもそれがわかるようで、あえてアスカには何も声をかけない。黙
って自分達の弁当を広げて食べはじめようとするが、一人だけ違った人間がい
た。それは綾波だ。
綾波はアスカの弁当を見ると、アスカに声をかけた。

「・・・それ、あなたが作ってきたの?」
「そうよ。アンタも食べてみたい?」
「・・遠慮しておくわ。・・・それより、碇君のも作ってきたの?」
「そうよ。シンジの持っているお弁当も、アタシが作ったの。」
「そうなの・・・」

そう一言つぶやくと、綾波は今度は僕の方を向いて尋ねてきた。

「・・碇君、彼女の作ったお弁当はおいしい・・・?」

僕はこれから食べようとして箸を持った段階だったので、何ともいいようがな
かった。それよりも、僕は驚いたのと同時に、綾波の言葉の中に含まれる、わ
ずかな迫力のようなものに圧倒されてしまって、へどもどしながら答えた。

「ま、まだこれから食べるところだから、な、何ともいえないな。」
「・・そう、じゃあ、早く食べてみて・・・」
「わ、わかったよ。」

僕はゆっくりとアスカの作ってくれた弁当に箸をつける。いつのまにか、綾波
だけでなく、アスカや他のみんなまで、僕が食べるのを注目していた。僕はみ
んなの視線を強く感じながら、卵焼きを一つ取ると、口の中に入れた。

「どう・・・?」

アスカが心配そうに恐る恐ると僕に尋ねる。それに対し、ぼくは元気に微笑ん
で、握り拳に親指を立て、よし、という合図をアスカに送った。アスカはそれ
を見ると、心配そうにしていた顔を一変させ、嬉しそうに叫んだ。

「本当!?」
「うん。おいしいよ、アスカ。初めてにしては上出来だよ。」
「よかった。一番卵焼きが心配だったの。何度も焦がしたりぐちゃぐちゃにし
ちゃったりして・・・」
「わかるよ、そういうの。僕もはじめはそうだったから。」
「そうなんだ。アタシだけかと思ってた。」
「そんなことないよ。一度はみんな通る道さ。」

そんな風に僕とアスカが普通に会話しているのを見て、みんなも普通にしてい
いんだと感じ、話しはじめた。

「ねえ、アスカ。いったいどのくらいの卵を無駄にしたの?」
「せや、惣流の事やから、さぞかしぎょうさん無駄にしたんやろなあ。」

そんな洞木さんとトウジの問いかけに対し、アスカは少々むっとしながらも普
通に答えた。

「そんなにいっぱいな訳ないじゃない。ほんのひとパックくらいよ。」
「えー!!」
「うそー!!」

それが普通だと思い込んでいたアスカに対し、みんなは信じられないといった
ような声を上げた。みんなの反応を知ったアスカは心配になって尋ねる。

「そ、それって普通じゃないの?ねえ、教えてよ。」
「・・・普通じゃないわよ。」

アスカの問いに、綾波が静かに答える。料理のライバルともいえる綾波に言わ
れたアスカは、憤慨して綾波に食って掛かった。

「ならアンタはどうなのよ!!最初はそのくらい失敗したはずよ!!」
「・・私は失敗なんてしないわ・・・碇君の作るのをちゃんと見てたもの。」
「ア、アタシだってちゃんと見てたわよ!!・・・ってアンタ失敗しなかった
の!?」
「そうよ。私はあなたとは違うもの。」
「す、すごいじゃない。失敗しないなんて。どうやってるのかアタシに教えて
もらいたいくらいだわ。」
「私に教えてもらうより、碇君に教えてもらった方がいいんじゃない?」
「そ、それもそうね。アンタよりシンジの方が上手だから・・・」

そう言うと、アスカは僕の方を向いてこう言った。

「シンジ、今日学校が終わったら特訓よ、いいわね!!」

しかし、僕が答えようとする前に、綾波が口を挟んだ。

「・・残念だけどそれは駄目よ。今日は碇君はわたしのうちで話をする約束だ
もの・・・」

その綾波の言葉を聞くと、アスカははっとしたような顔をしたが、すぐに気を
取り直すと、僕に向かって言った。

「そ、そうだったわね。じゃあ、夜に変更よ!!それならアンタも構わないで
しょ!?」
「う、うん。そうだね。」
「約束よ、いいわね。」
「うん、わかった。約束するよ。」
「それでいいわ。なら早速続きをたべましょ。シンジは少しも残すんじゃない
わよ!!」

そう言って、アスカは自分の弁当を食べはじめた。そして、それ以降は何事も
なかったように普通に振る舞った。あの事件は僕の心に大きなしこりを残した
が、アスカにはどうだったんだろうか?僕に知るすべはないが、多分、僕と同
じでまだ、心の中に大きな痛みを抱えているのだろう。それを取り除くにはど
うしたらいいのか、僕にはわからないが、それはただ単にアスカの気持ちに答
えればいいという事ではないだろう。僕には難しい問題だ・・・


続きを読む

戻る