私立第三新東京中学校

第三十六話 女の子の気持ち

プルルルルッ!!プルルルルッ!!

電話のベルが鳴り響く。僕はフライパンを動かす手を止めると、ガスを止め、
電話を取りに行った。

「はい。もしもし。」
『あ、シンちゃん?アタシだけど。』
「ミサトさんですか?」
『そ。ところで今日、ちょっち遅くなるから、先寝ててね。』
「そうですか。わかりました。今ミサトさんの夕食を作ってたんですが、どう
しますか?」
『ごめーん。悪いけど、いんないや。朝にでも食べるからとっといてくれる?』
「わかりました。じゃあ、そうしときますね。」
『じゃあ、そういうことで、後はよろしくね。』
「はい。」

そうしてミサトさんからの電話は切れた。僕が台所に戻ろうとすると、誰から
の電話だったか気になったのか、お風呂を掃除していたアスカが、僕のところ
にやってきた。

「電話、誰からだったの、シンジ!?」
「ミサトさんからだよ。今日、遅くなるから、夕食はいらないって。」
「そう・・・」
「折角わざわざ作ったのに、余計なことしちゃったよ。」
「まあ、別にいいじゃない。アタシ達が夜食にでも食べたら?」
「・・・それもそうだね。今日は早くに食べちゃったし、もう少ししたら、ま
たお腹へってくるかもしれないね。」
「そういうこと。だからアンタが今作りかけてるぶんくらいは作っちゃえば!?」
「そうだね。それよりアスカの方はもう終わったの?」
「いけない!!シャワーの水、出しっぱなしだ!!」

そう叫ぶと、アスカは急いでお風呂場に戻っていった。そして僕も作りかけだ
った料理を再開する為に、キッチンへと行った。

しばらく僕がフライパンと格闘していて、出来た料理を取り敢えずテーブルに
置こうとした時、僕はアスカがここに来ていた事に気付いた。僕は少し驚いて、
お皿を置きながらアスカにたずねた。

「アスカ、いたんだ!?なら声をかけてくれたらよかったのに。」
「いいの。アタシはシンジが料理するのを見てたんだから。」
「そ、そう?全然気付かなかったよ。」
「そうみたいね。後ろでアタシが見てても、かなり夢中そうだったもん。」
「ごめんね。どうも、料理の事となると、夢中になっちゃうみたいだ。」
「そんなアンタが謝る事じゃないわよ。何かに夢中になれるっていい事じゃな
い。」
「言われてみれば、そうかもしれないね。でも、男が料理にしか夢中になれな
いってのも、なんか情けない気がするね。」
「そんな事無いわよ。シンジらしくって、いいんじゃない?」
「そうかな・・・?それよりアスカが夢中になれるものって、なんなの?」
「そうねえ・・・・」

アスカは真剣になって考えこんだ。僕はそのアスカの顔をじっと見つめる。
そしてアスカは僕が見つめているのに気付くと、僕の方を向いて言った。

「・・・秘密よ。ひ・み・つ!!」
「え!?教えてくれたっていいじゃない。そんな秘密にしなくたってさあ。」
「ダメよ。特にアンタにだけは、教えるわけにはいかないわ。」
「ど、どうしてさ!?ひょっとして、何にも思い付かないから、そんな事いっ
てんじゃないの?」
「そんなことないわよ!!でも、とにかくアンタには駄目。教えない。」
「何でだよ!?」
「とにかく駄目。さ、アンタはフライパンでも洗ってなさい。」
「ちぇっ・・・」

僕は舌打ちすると、アスカに言われたとおり、フライパンを洗いに行った。そ
してそんな僕の背中から、アスカの声がかかる。

「しっかりやんなさいよ!!アタシが見てるんだから!!」
「わかってるよ!!」
「なら黙ってやんなさい。」
「ちぇっ・・・」

僕はまた舌打ちをする。今の僕には、無茶な監督を持つ野球選手の気持ちがよ
く分かる。きっとこんな心境なんだろう。
しかし、そんな事を考えていてもしょうがないので、僕は黙って洗い物に専念
した。しばらくして、洗い物も全て片付き、アスカのところに戻ってくると、
アスカは僕を座らせる前に、僕に言った。

「ねえ、紅茶いれてよ、シンジ?」
「紅茶!?」
「そ、紅茶。この前アタシにいれてくれたじゃない。あの時とってもおいしか
ったんだから。」
「そ、そう?じゃあ、アスカがそう言うなら、そうするよ。」
「おねがいね。アタシ、待ってるから。」
「うん。じゃあ、ちょっと待っててね。すぐいれるから。」

そう言うと、僕はやかんに水を入れ、火にかける。僕はアスカに誉められたの
がうれしくて、うきうきしながらティーポットに紅茶の葉を入れる。そして、
やかんの前でお湯が沸くのをじっと待った。
お湯も沸き、ポットにお湯を注ぐと、紅茶のいい香りが流れた。やはりティー
バッグでは、この香りは出ない。そんな事を思いながら紅茶を入れ、テーブル
に運んだ。

「お待たせ。」

そう言ってアスカの反応を見ようと、アスカの方に視線を向けると、アスカは
両手にブランデーの瓶を抱えていた。

「ア、アスカ・・・それ・・・・」
「ブランデーよ。ちょっといれるとおいしいんだから。」
「で、でも、僕たちまだ中学生だし・・・」
「何、固い事いってんのよ。それにいれるのはほんのひとたらしよ。アンタが
そんなに気にするほどのことじゃないわ。」
「そう?」
「そうよ!!さ、アタシがいれてあげるから、ちょっとかしなさい。」

そう言ってアスカは僕の紅茶を取ると、ブランデーの蓋を取り、注ぎ込んだ。

ドボ!!

「あ!!」

勢い余って、とてもひとたらしとは呼べない量が、僕のティーカップの中に消
えていった。

「ごめんごめん!!ちょっと入り過ぎちゃった!!でも砂糖を沢山入れれば大
丈夫よね!!」

そう言って、明らかに慌てた様子で、アスカは僕のカップに角砂糖を三個入れ
ると、急いでぐるぐるかき回した。
砂糖を入れても大丈夫なわけが無いと僕は思っていたが、アスカの過失に強く
怒るのもどうかと思って、僕は黙ってアスカがスプーンを回しているのを見て
いた。

「ごめんね、シンジ。じゃあ、今度は気を付けてっと。」

そう言うと、アスカは自分のカップにもブランデーを注ぐ。今度は入れ過ぎな
いように慎重になっているみたいだ。

ドボ!!

「あ!!」

また入れ過ぎてしまった。アスカは僕の顔色をうかがう。僕は黙ってアスカを
白い目で見つめた。

「ま、またやっちゃった。」

アスカはまた角砂糖を三つ、カップの中に放り込むと、さっきよりも早い調子
でかき回す。一度ならず二度までも失敗しているのだ。きっとかなり焦ってい
るのだろう。

「捨ててもう一度いれ直そうか、これ?」
「いいわよ。アンタに悪いし。それにこのくらい大丈夫よ。入れ過ぎたって言
っても三分の一も入ってないじゃない。」
「そ、そうかな?」
「そうよ!!さ、冷める前に飲みましょ!!」
「う、うん・・・」

そう言って、僕とアスカは同時にカップを取る。僕はかなりブランデーの入っ
た紅茶を、恐る恐る口にする。飲んでみると、ちょっぴり苦い気もするが、香
りもいいし、砂糖を沢山入れたので、飲みやすい。僕は警戒心を解くと、普通
に飲みはじめた。
一方アスカは、恐れ気もなく、落着いて紅茶をすすっている。きっとこういう
事は慣れているんだろうか、それほど入っているブランデーに違和感を感じて
いない様子だ。僕はそれを見ると、さらに安心して、自分の紅茶を飲んだ。

僕とアスカはしばらく黙って紅茶をすすり、飲み終えるまで一言も口をきかな
かった。二人ほぼ同じに飲み干すと、僕とアスカは顔を見合わせる形となった。
アスカの顔は、熱いものを飲み干した為なのか、それとも入り過ぎたブランデ
ーのせいなのか、顔を紅潮させていた。

「アスカの顔、真っ赤だよ。」
「アンタもよ、シンジ。これくらいの酒で真っ赤になるなんて、アンタもまだ
子どもね。」
「アスカこそ真っ赤じゃないか。人の事を言えた義理じゃないだろ?」
「ア、アタシは酒で真っ赤になったんじゃないわよ。熱いのを一気に飲んだか
ら、こうなったんだから。」
「じゃあ、きっと僕もそうだ。そうに決まってるよ。」
「アンタは違うわよ。お子様だから。」
「ぼ、僕はお子様じゃない!!」
「あらどうして、シンちゃん?」
「シンちゃんて呼ぶなぁっ!!」
「いいじゃない。そんな固いこと言わないでも。」
「呼ぶなったら呼ぶなぁっ!!」

僕もアスカも、少しはいったお酒のせいで、いつもよりもほんの少しだけ、楽
しい気分になっていた。ミサトさんに無理矢理飲まされた時は、苦しいだけだ
ったけど、今日の気分はなぜか最高だった。僕とアスカはしばらく、喧嘩とも
つかない楽しい言い合いをして、時間を過ごした。

時間も経ち、僕たちは言い合いに疲れて、自然と静かになった。

「ねえ、アスカ・・・」

僕は静かにアスカに話しかける。

「何、シンジ・・・」

アスカも静かだ。少し疲れているのだろう。いつもの元気はない。

「ミサトさん・・・遅いね・・・・」
「・・遅くなるって言ったじゃない。アンタが電話受け取ったんでしょ?」
「そうだけど・・・最近いつも遅いし・・・ちょっと心配なんだ。」

僕は本当に心配そうな顔をしてアスカに言った。アスカはそんな僕の顔を見る
と、あきれた顔をして僕に言った。

「アンタひょっとして、ミサトがどこに行ってるか知らないの?」
「うん・・・。アスカは心当たりがあるの?」
「当たり前でしょ。加持さんのところに決まってるじゃない。」
「そうか・・・加持さんのところか・・・・」
「そうよ。それ以外に考えられないわ。」
「そうなら、どうしてここに来ないんだろう?みんなで会えば楽しいのに。」

僕の言葉を聞くと、アスカは更にあきれた顔をして言った。

「アンタねぇ・・・恋人同士は二人で会った方が、楽しいに決まってるでしょ?」
「そういうもんなの?」
「そうにきまってるでしょ。だからアンタはお子様だっていうのよ。」
「そうかなあ・・・」
「そうよ。どうせアンタには女の子に気持ちなんて分かんないんでしょうよ。」
「うん・・・それはそうかもしれないね。僕にはアスカの気持ちも、綾波の気
持ちもよく分かんないや。」
「そうね。傍から見てるアタシでさえ、アンタがそうだってのがわかるわ。」
「そう?でも、そういうのって失礼な事かな?」
「失礼ね。それも相当。」
「本当!?じゃ、じゃあ、どうしたらそれがわかるようになるんだろう?」
「・・・・そんな事、アタシにはわからないわ。アンタが自分で考える事よ。」
「・・・それもそうだね。それは、僕自身の心の問題なんだから。」
「・・・そうよ。アンタがアタシの事を、どう思うかなんて、アタシにはどう
する事も出来ないんだから・・・」

アスカの最後の言葉は口の中で消え、僕に耳には届かなかった。僕はその時、
女の子の気持ちが分かるようになるにはどうしたらいいのかを考えていて、ア
スカの寂しげな顔には全く気がつかなかった。アスカはそんな考え込んでいる
僕に一瞥をくれると、そのままリビングルームを後にし、自分の部屋へと消え
ていった・・・


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