私立第三新東京中学校
第三十四話 大人への一歩
「さ、次はアタシ達の番よ!!」
アスカは張り切ってそう言った。早速エプロンをして、やる気満々といった感
じだ。そのやる気が結果を生んでくれたらなあ・・・。そんな事を僕はなんと
なく思っていた。
綾波と僕は、アスカに続くようにして台所に入っていった。
「まず何からやったらいいの、シンジ?」
アスカは意気揚々と乗り込んだものの、最初からつまづいている。そんなアス
カを見ながら、僕はやさしく言った。
「まず僕がやってみるから、アスカはそれを見ていてよ。最初はそれくらいで
いいんじゃないかな。」
「そうね。シンジのいう通りにするわ。」
アスカはおとなしく従った。いつもは強気のアスカも、料理に関しては僕に口
出しできないのだろう。
そして、綾波もまだ黙っている。綾波の料理の腕前は、その程度がある程度知
れているので、僕も安心してこまごまとした事を頼む事が出来る。そういう訳
で、僕は綾波をアシスタントにし、アスカを生徒として見学させるという方針
を取る事にした。
「綾波には、ちょっと手伝ってもらうけどいいかな?」
「・・・喜んで手伝うわ・・・・。」
「ありがとう、綾波。じゃあ、アスカは僕たちがやるのをよく見て、分からな
い事があったら質問する事。いいね?」
「ア、アタシは見てるだけなの?」
「今のところはね。次の時にはいろいろやってみよう。でも、今日は初めてな
んだし、よく見て、覚えた方がいいんじゃないかな。」
「それはそうかもしれないけど・・・」
「そもそも今まで僕が作ってきた時、アスカが覚えようとしてこなかったのが
悪いんだ。だからしょうがない事だよ。」
「・・・わかったわ。今日はそれで我慢する。」
料理を作る時の僕は何だか強気だ。それは料理に対する自信の現れかもしれな
い。僕は特に何の才能も無い男だが、今までずっとやってきた事もあって、炊
事洗濯等の家事については、人よりも出来ると思っている。それはめったに人
に自慢できる時はないが、だからこそ、こういう時には気合が入る。料理は男
の仕事ではないとされているが、とにかくここは男の見せ所だ。
「じゃあ、まずから揚げから作ろう。」
「どうしてから揚げなの?卵焼きにしようよ、シンジ。」
「卵焼きは難しいんだ。だからまず簡単なから揚げからにする。卵焼きはもっ
と後だ。」
「ふーん、そうなんだ。知らなかった。」
「だろ?いろいろ知ってくるもんなんだ。だからちゃんと聞いてるんだよ。」
「うん、わかった。」
こうして僕はいろいろアスカに教えながら、ゆっくりと弁当のおかずとしては
ポピュラーであるものを作っていった。もちろん冷凍食品はなしだ。あれはと
ても便利だが、料理を覚える役には立たない。僕もよく利用しているが、やっ
ぱり自分でちゃんと作った方がいい。僕はこう見えても古典的なのだ。
「ねえ、片栗粉と小麦粉ってどうちがうの?」
「片栗粉は真っ白できめが細かい。小麦粉はそれよりちょっと黄色いんだ。」
「へーぇ。よく知ってるわね、シンジって。」
「これくらい知ってて当たり前だよ。アスカも料理をするなら覚えておかない
とね。」
「そうね。」
綾波は僕とアスカがこんな話をしている間も、何も言わずに黙っている。しか
し、僕が頼む事はちゃんとやってくれる。綾波は表情に乏しいので、何を考え
ているのかよく分からないところがある。僕は綾波がつまらなく感じているの
ではないかと思い、話し掛けてみた。
「綾波も何か聞きたい事がある?」
「私は碇君が作るのを見てるだけで、十分為になるから・・・」
「そう?それもそうだね。綾波はもう十分自分で作れるんだから、基本的な事
は聞く必要はないかもね。」
「うん・・・」
「そうなの。結構やるわね、アンタも。」
「そんなことないわ・・・」
「あたしは今まで、シンジが出来る事だから何てことはない、なんて思ってた
けど、今日こうしてみると、結構難しいものだってわかったわ。アンタも結構
頑張ったのね。」
「そうだよ。綾波がはじめて料理をはじめたのが、アスカが退院するちょっと
前だから、結構頑張ったはずだよ。違うかい、綾波?」
「それほどの事じゃないわ・・・私はただ、碇君に私の料理を食べてもらいた
かったから・・・・」
「ファーストの料理、食べたの?」
「う、うん・・・」
僕はアスカがまた怒り出すのではないかと思った。しかし、僕の予想は外れ、
アスカは元気よく、こう言った。
「そう、それじゃあ、アタシも負けてられないわね。」
「そうだよ。アスカもこれから頑張らないと。」
「そうね、これからも、アタシにいろいろ教えてくれる?」
「うん。もちろんだよ!!」
そうしているうちに、僕たちの方もようやく出来上がった。アスカに細かく教
えながら作っていったので、思わぬ時間を取られてしまった。時計を見ると、
もう5時をまわっていた。
「できたよー。」
「遅かったやないか、もう待ちくたびれてしもたで。」
「ごめんごめん。ちょっと時間がかかっちゃったね。」
「もうケンスケなんかつまみ過ぎて腹いっぱいになっとるで。」
トウジの言葉にケンスケの方を見てみると、ケンスケは満腹時特有のほんわか
した満足げな顔を浮かべてうなずいた。洞木さんは何もつまむことなくきちん
と僕たちを待っていたようで、箸すら手元に置いていなかった。もちろんトウ
ジは言わずもがなで、しっかりとつまんでいたが、洞木さんに固く止められて
いたのか、完成品の弁当箱を模した皿には手をつけていなかった。
椅子をいくつか別の部屋から持ってきて、取り敢えず六人全員が狭いテーブル
につくと、僕はみんなに向かって尋ねた。
「まだちょっと夕食にするには早いけど、みんなどうする?」
「俺はもう食えない・・・」
「お前はええんじゃ。わしはいつでも食いはじめられるで。」
「あたしも、アスカ達を待ってたから、いつでも食べれるわよ。」
「じゃあ、アスカと綾波は?」
「アタシもいいわよ。まだ食べるには早いけど、いい匂いでお腹空いてきちゃ
ったから。」
「私もいつでもいいわ・・・」
「そう、じゃあみんながそう言うんだったら、食べはじめようか!!」
「賛成!!」
そんな訳で、ちょっとまだ時間は早いが、みんなそろっての夕食会になった。
まず僕と洞木さんは、トウジとケンスケがつまんで空になった皿を片づける。
綾波も手伝おうとしたのだが、狭い事もあって、折角だが、おとなしく座って
もらう事にした。
そうして、テーブルの上には沢山の皿が並べられた。洞木さんの弁当箱を模し
た皿が三つ。それは洞木さんと、トウジと、ケンスケの分だ。さらに僕のとア
スカの弁当箱が二つ。そして最後に余ったおかずがのった皿がいくつかあった。
「綾波、これ食べてよ。」
僕は自分の弁当箱を綾波に手渡そうとする。
「いいの、碇君?」
「うん。ケンスケが食べないって言うから、僕は洞木さんの作ったのをもらう
ことにするよ。だから、綾波は僕の作ったのを食べてよ。」
「ありがとう・・・碇君・・・・」
「気にしないでよ。僕だってたまには人の弁当を食べてみたいしさ。」
「うん・・・」
こうして、綾波は大事そうに僕から弁当を受け取った。そして、僕はケンスケ
に向かって確認を取る。
「そういうことで、ケンスケ、もらうよ。」
「ああ、シンジの好きにしてくれ・・・」
そういう訳で、僕はケンスケの、綾波は僕のを食べることになった。
「それじゃあ、いただきまーす!!」
「いただきまーす!!」
いただきますの掛け声とともに、ケンスケを除く僕たち五人は、早速食べはじ
めた。
それぞれを見渡してみると、一人一人、食べ方も特徴的だ。一番目立つのはト
ウジで、既にしこたま腹に詰め込んでいるにもかかわらず、ものすごい食いっ
ぷりである。まさに鯨飲馬食とはこの事で、とても僕には味わって食べている
とは思えない。これでは、折角いつもトウジのために作っている洞木さんもか
わいそうだ。僕から見ればトウジなどは作り甲斐のない奴としか見えないが、
洞木さんはどう思っているんだろうか。
その当の洞木さんは、僕の想像の通り、いつものように上品に食べている。洞
木さんは料理も上手だし、みんなに対しても優しい。きっと家庭での教育がし
っかりしているのだろう。洞木さんを見れば、健全な家庭とはどういう物かが
よく分る。本当に僕とは大違いだ。
そしてアスカは、本当に楽しそうに食べている。食べている最中も僕や洞木さ
んに話し掛けてきて、黙っていたりはしない。この様子を見る限り、普通の明
るい女の子だ。以前はどうなることかと思ったが、もう十分元のアスカに戻っ
たといってもいいだろう。その代わりといってはなんだが、ここ数日は綾波に
厳しくあたることが多かった。しかし、今日一緒に料理を作った時は、そんな
ことはほとんど無かった。アスカも少し考えたのだろう。僕にとっては嬉しい
ことだ。
最後に綾波である。綾波はいつもは無表情で、何を考えているのかわからない
所がある。しかし、こうして食べている時は、その中にも嬉しさが滲み出てい
るのが感じられる。そして時々顔を上げては、ちらちらと僕の方を見る。そん
なに僕が弁当をあげたのがうれしかったんだろうか。そんなことくらいで喜ん
でもらえると、作った僕としても嬉しい。ほんの少しだけ、料理人の喜びとい
ったものを感じた。
「シンジ、なに人が食べるのをじろじろ見てんのよ!!」
アスカは、僕がみんなの食べるのを眺めているのに気付いて言った。
「ご、ごめん。」
「人に見られながらだと食べにくいのよねー。」
「も、もう見ないよ。」
「それでいいわ。アンタもぼーっとしてないで、早く自分の分を食べなさい。」
「うん。」
アスカに注意されたので、僕は視線を自分の皿に戻すと、黙々と食べはじめた。
しばらくすると、みんなお腹一杯になり、料理もほとんど食べ尽くしたようで、
自然と終焉へと向かっていった。僕がみんなにお茶を入れ、みんなはくつろい
だ様子を見せた。
「ねえ、この前やった時っていうのも、こんな感じだったの?」
「そうねぇ、おんなじ様な感じだったけど、前の時はお昼用にやったから、今
日の方がゆっくりできたかもね。」
「そう。」
「それに今日はアスカもいたじゃない。」
「それもそうね!!このアタシがいるといないとじゃ、大違いよね!!」
「そうよ。やっぱりアスカがいないと。」
「そうか・・・ね、シンジもそう思う?」
アスカは急に、ぼーっとお茶をすすっていた僕に話を振った。
「え?あ、うん。そう思うよ。」
「ほんとに?アンタ、今の話を聞いてなかったんじゃないでしょうね!?」
「き、聞いてたさ。僕も、アスカが居た方が楽しくてよかったよ。」
「そう、それならいいわ。」
それだけ言うと、アスカはまた洞木さんと話を始めた。僕は取り残されたよう
な気がして、僕と同じような綾波に声をかけた。
「綾波、今日はごめんね。」
「・・・どうして?私は楽しかったわ。」
「そうかもしれないけど、約束断っちゃってさ。」
「いいのよ、別に。それに碇君は明日にしようって言ってくれたし・・・」
「うん。じゃあ、今度こそ、絶対話をしよう。僕も父さんのことにけりをつけ
るまではよく眠れないだろうから。」
すると、洞木さんと話をしていたはずのアスカが、急に僕にたずねてきた。
「お父さんのことって何なの、シンジ?」
「え!!ア、アスカ、今の話、聞いてたの!?」
「当たり前でしょ!?こんな近くにいるんだし、聞きたくなくても聞こえちゃ
うわよ。ヒカリもアンタ達もそうでしょ?」
そうアスカが他のみんなに聞くと、みんなは大きくうなずきながら答えた。
「ええ、しっかり聞こえたわ。」
「わしもや。」
「僕も聞いてたよ。」
僕はそれを聞くとびっくりして言った。
「み、みんな聞いてたの!?」
「シンジはわしらが何しとったと思っとるんじゃ。ちゃー飲んどるだけかと思
ったんか?」
「それもそうだね・・・」
「何か相談があるならアタシ達にも言いなさいよ。水臭いじゃない。」
僕はそんなアスカの優しい言葉を聞くと、みんなには話せない済まなさを感じ
て答えた。
「・・・ごめん・・・みんなの気持ちは嬉しいけど、みんなには言えないこと
なんだ・・・」
「それで、ファーストなら分るって言うの!?」
「うん・・・綾波は僕より父さんのことを知ってるから・・・」
「・・・分ったわ。ほんとはアンタをファーストと二人きりになんてさせたく
ないけど、アンタのそんな顔を見たら、だめなんて言えないじゃない。」
「ありがとう、アスカ・・・わかってくれて・・・・」
「いいのよ、別に。アンタがそれで救われるって言うなら。アタシも、アンタ
にこうして救われたんだもの・・・」
こうして、僕はアスカの許しを得て、明日綾波と話をすることになった。僕は
アスカがまたもめるのではないかと危惧していたが、それは杞憂に終わった。
アスカもだんだん人の気持ちがわかるようになってきたということだろうか?
何が原因となってアスカが変わっていったのか、僕にはわからなかったが、そ
の変化は僕には心地よいように思われた。
もしかしたら今度のことだけかもしれない。そういう心配もあったが、今はそ
んなことは考えないでおこう。そう、人はこうして、すこしづつ、大人になっ
ていくのだ・・・・
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