私立第三新東京中学校
第三十二話 買い物にて
「アスカ・・・」
僕にそういうつもりは全く無かったのだが、結果としてアスカを傷つける事に
なってしまった。それは僕の責任であり、その責めを負うのは僕の役目である
と考えた。そして僕は綾波の方に向き合うと、力強く言った。
「綾波。」
「何、碇くん?」
「今日は悪いけど、綾波のうちへは行けないよ。また今度にして欲しい。」
「・・・・」
そして言い終わると、僕はうつむいているアスカの方に視線を向けた。綾波も
僕の視線を追って、アスカの事を見た。そして、何かを理解すると、うなずい
て言った。
「わかったわ、碇くん。残念だけど・・・また今度にしましょ・・・・」
「ありがとう、綾波。」
そして、僕はアスカの肩に手を置いて、呼びかけた。
「アスカ・・・」
「・・・・」
アスカは黙っている。僕と綾波の今のやりとりも、耳には入っていなかったよ
うだ。
「アスカにお弁当の作り方を教えなかったのは、僕が悪かったよ。だから、今
日うちに帰ったら、一緒に勉強しよう。」
「・・・本当・・・・?」
アスカは少し顔を上げて尋ねる。その顔はいつもの強気なアスカとは違って、
心配げな様子を浮かべている。
「本当だよ。それで、アスカも覚えたら、一緒に毎日お弁当作ろうよ。」
僕は最高級の優しい顔をして、アスカに向かって言った。
「・・・ありがとう・・・シンジ・・・・」
そしてアスカは顔を上げて僕の方に軽く微笑む。それを見た洞木さんは固くな
った雰囲気をほぐすために、明るくアスカに言った。
「よかったわね、アスカ。碇くんがこんなに優しくて。」
「せや。シンジほど優しい奴もそうはおらんで!!」
「鈴原の言う通りよ。アスカも碇くんに感謝しなくちゃね。」
「そうね・・・。あたしも・・シンジにはいつも感謝してるわ・・・」
「アスカ・・・」
「本当よ、シンジ。あたしはいつもアンタには感謝してるんだから。」
「うん。僕もアスカにはいつも感謝してるよ。」
僕は、ようやくアスカが元気を取り戻して来たのを見て、明るくそう言った。
「へえ、感謝してるって、アタシの何に感謝してるって言うの?」
「そ、それは・・・」
「言えないの、アンタは?」
「ア、アスカが僕の側にいてくれる事にだよ・・・」
「え!?」
僕は、いい言葉が何も思い浮かばなかったので、とっさにこんな事を言ってし
まった。が、良く考えてみると、とっても恥ずかしい事だ。僕はそれに気付く
と、顔を真っ赤にしてしまった。
それはアスカも同じ事で、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「ア、アンタは何馬鹿な事言ってんの!!」
周りでそれを聞いていた洞木さん達もびっくりして、声を上げた。
「碇くんて・・・すごい・・・・」
「シンジも言うのう、ぬけぬけと。」
「ほんと、シンジがこんな事言うなんてびっくりだよ。」
しかし、驚きの声を上げている三人とは別に、綾波は冷たい目をしてアスカの
方を見つめていた。それは、睨むとも違う、人をぞくりとさせるような目だっ
た。僕はそんな綾波の目を見ると、われを取り戻して、綾波に言った。
「あ、綾波?」
「・・何?」
「ど、どうしたの?」
「・・・何でもないわ。」
「あたしがシンジにこんな事言われたのが悔しいのよねー、レイ。」
アスカは勝ち誇ったようにそう言った。アスカが綾波の事を名前で呼ぶのは、
初めて聞いたような気がするが、その言葉は棘に満ちていた。それを聞いて、
綾波は少し肩を震わせたが、感情を押さえてアスカに向かって答えた。
「・・・そんなことないわ・・・・」
しかし、その肩の震えで、綾波はその動揺をみんなに知らせる事となった。そ
れを見たアスカは、追い打ちをかけるかのように、綾波に向かって言った。
「そう?それならいいけど。じゃあ、早く帰ってシンジとおべんとつくろうっ
と。」
「・・・・」
「さ、早くたべましょ。帰りが遅くなるわ。」
そう言うとアスカは弁当を食べはじめた。他のみんなも何も言えずに、それに
つられるようにして再び食べはじめた。綾波は手に持った箸を握り締めて、黙
っている。僕はそんな綾波がかわいそうになって、綾波の方に視線を向けると、
済まないといったような顔をして見せた。綾波はそんな僕に気付くと、けなげ
にも、微笑みを浮かべてうなずいた。綾波は僕の気持ちに気付いたのか、落ち
着きを取り戻した様子を見せて、みんなと同じように食べはじめた。
しばらくして、食べ終わると、僕たちは帰る事にした。
六人そろって校門を抜けると、辺りには僕たちと同じように、それぞれの帰路
につく生徒達が、沢山目に付いた。
「今日、ケンスケ達はどうするの?」
「そうだなー。また、お決まりのゲーセンかなあ?」
「せやな。他に行くとこもないしな。」
「だったらうちに来ないか?」
「え?だって、今日は惣流と弁当作るんじゃないのか?」
「みんなで作った方が楽しいだろ?それにこの間もそうだったじゃないか。」
「しかしなあ・・・・」
そう言うと、ケンスケは後ろで洞木さんと話をしている、アスカの方を見る。
「惣流が嫌がるだろ、それじゃ?」
「せや。あの女、絶対わしらの事、邪魔にしよるで。」
「そうかもしれないけど、なんだか綾波に悪いような気がして・・・・」
「・・・それもそうだな。今日はちょっと綾波にはかわいそうだったよ。」
「うん。だから、綾波と洞木さんも呼んで、前みたいにやれば、いいんじゃな
いかなと思ったんだ。」
「せや。わしもこれでまた、うまいもんが食えるっちゅうもんや。」
そう言うと、トウジはおおきな声で、後ろにいる二人と、それより更に後ろに
いる綾波に声をかけた。
「おーい!!惣流にいいんちょーに綾波ー!!ちょっとこっち来いやー!!」
トウジが呼ぶと、すぐに三人とも集った。アスカは不信げにトウジに尋ねる。
「何なのよ、アンタは!?何かアタシ達に用なの?」
「せや。わしらで相談した結果な、今日はみんなでシンジのうちに集って、弁
当を作る事に決めたんや。」
「何ですって!?」
「その方がええやろ?」
「シンジはどうなのよ!?」
「・・うん。みんなでやった方が楽しいよ。僕もそう思うな。」
「アンタねえ・・・」
「洞木さんと綾波はどう?」
「私はいいわよ。でも・・・」
そういって洞木さんはアスカの方を見る。
一方綾波はうれしそうにして僕に答える。
「ありがとう、碇くん・・・私も呼んでくれるなんて・・・」
「じゃ、二人ともいいね。アスカは・・・」
そういって僕は、アスカの方に視線をやる。
「いいわよ!!仕方ない。アンタがそう言うんだったらそれでいいわよ!!」
「そう、アスカが分かってくれて僕もうれしいよ。」
僕は嬉しそうにアスカに微笑む。しかし僕はアスカの顔を見て、アスカが完全
には納得していない事を悟っていた。しかし、今はそんな細かい事は言っては
いられない。とにかく了解してくれたのだから、それでよしとしなければ。
「ほな決まりやな。」
「うん。」
「碇くんのうちに材料ってあるの?」
「うーん、明日の分くらいはあるけど、今日みんなで作るとなると、ちょっと
足りないかもなー。」
「そう。だったらこれからみんなで買いだしにいきましょ。」
「そうだね。」
僕たちがこんな話をしている間、アスカと綾波は黙っていた。綾波が黙ってい
るのはいつもの事だが、アスカが黙っているとなると話は別だ。僕はアスカに
済まないと思ったが、綾波を放って置くことも出来ないので、ここはアスカに
我慢してもらうしかないと思った。
しばらく歩くと、僕がいつも通っているスーパーについた。その頃になると、
アスカも、もう僕と二人で作るというのは諦めたようで、今度は明るく僕の横
に引っ付いて、買うものに口を挟んでいた。トウジと洞木さんは前のようにい
つのまにか二人になっていて、僕とアスカのように、あれを買ういや買わない
と、楽しそうにやっていた。そして残された綾波とケンスケは、僕の後ろに黙
ってついていったが、その二人が会話を交わす事はなかった。
「ねえシンジ、あれ買いましょうよ!!」
「駄目だよ。冷凍食品じゃ、教える事にならないだろ。」
「なんでー、おいしそうなのにー・・・」
「今度僕が本物を作ってあげるよ。」
「本当!?約束よ、シンジ!!」
「ん、んん。ってでも、今日はアスカが作るんだろ!?そんな事よりちゃんと
考えなきゃ駄目だよ。」
「分かってるわよ。でもこんなのはじめてだから、何作ったらいいか分かんな
いのよ。」
「いつも僕が作ったの食べてるだろ?あんなのを作ればいいんだよ。」
「そんな事言ったって何を買ったらいいのか分からないからこうしてるんじゃ
ない。」
「そ、それもそうだね。」
「そうよ。アンタはほんとに馬鹿なんだから。」
「そんな事言うなよ。僕がせっかくアスカに教えてあげるって言うのに。」
「別にアンタに教えてもらわなくっていいわよ。アタシはヒカリに教えてもら
うから。」
「本当!?それでいいの、アスカは?」
「い、いいわよ。別にアンタになんか教えてもらわなくったって。」
「そう。じゃあ僕は綾波に教えようかなー。」
「な、何ですって!?」
「あやなみー、ちょっと!!」
そう冗談めかして、僕は綾波を呼んだ。
「何、碇くん?」
「アスカが僕に教えてもらわないで、洞木さんに教えてもらうって言うから、
僕は綾波に教えてあげようかなーって思ったんだけど。」
「本当!?碇くん!!」
綾波は僕の言葉に、とてもうれしそうな顔をして叫んだ。しかし、そんな事に
なってはたまらないとばかりに、アスカは慌てて口を挟む。
「じょ、冗談に決まってるでしょ!!全くアンタもシンジの言う事なんか本気
にしちゃ駄目よ。」
「碇くんは私に冗談なんて言わないわ。だから、私は碇くんと一緒に料理をす
るのよ。」
「アンタねー、シンジだって冗談くらい言うのよ。そうでしょ、シンジ!?」
「う、うん・・・」
「ほら見なさい。だからシンジはアタシと一緒に作るのよ。今日の主役はアタ
シなんだから。」
「でも、碇くんは冗談だといってはいないわ。だからそれはあなたの勝手な思
い込みなのよ。」
「シ、シンジ!!アンタはこの女にあたしがこんな事言われて、黙っているっ
て言うの!?」
「ふ、二人ともケンカしないで・・・」
「ごめんなさい、碇くん・・・もうケンカなんてしないわ・・・」
「ア、アンタはそんな風にシンジの言う事なら何でも聞くって言うの!?」
「そうよ。あなたは違うって言うの・・・?」
「当たり前よ!!アタシはシンジの言いなりになんてならないわ!!」
「そう・・・じゃあ、私の勝ちね。あなたには碇くんに教えてもらう資格なん
て無いわ・・・」
「な、な、なんですって!?もう一度言ってみなさいよ、アンタ!!」
「いいわよ。あなたは碇くんに・・・」
この二人の口論は、もうどうにも止まらなかった。アスカが興奮して叫ぶのに
対して、綾波は淡々と自分の意見を述べる。この二人は本当に水と油のような
存在だった。僕はふと、周りを見てみると、ケンスケだけでなく、買い物に来
ている主婦連中まで、この二人のけんかを遠巻きにして眺めている。そして、
その口論の原因ともなっているこの僕に対してまで、好奇の目を向けている。
僕はそのことに気がつくと、もうどうでもいいからやめてくれといった感じで、
二人を止めにかかった。
「もういい加減にしろよ、二人とも!!」
この僕の声を聞くと、二人は驚いて口論を中断した。
「シンジ・・・」
「碇くん・・・」
「みんな他のお客さんがみてるだろ!!恥ずかしく思わないのか?」
「私はそんなの、別に気にしないわ・・・」
「そ、そうよ!!アタシだってこんなおばさん連中気にしないわよ。」
「そんな事言ってるんじゃない!!ケンカを止めろといってるんじゃないか。」
「・・・・」
「じゃ、じゃあどうすんのよ!?原因はアンタなのよ。一体どっちと料理をす
るって言う訳?」
「そうよ碇くん。ここははっきりさせて。」
「そ、そうだな・・・」
めったに僕に回答を求めない綾波ですら、今回は興奮しているのか、僕に決断
を迫った。しかし、どっちを選んだとしても、もう片方が傷つく事は、誰の目
にも明らかだった。そういうわけで、僕は二人に一つの結論を示した。
「ここは三人で作ろう。そうすればお互い納得するだろ!?」
「わかったわ、碇くん・・・私はそれでいいわ・・・」
「アスカは?」
「ア、アタシだってそれでいいわよ。」
「よし、じゃあ決まりだ。三人仲良く作ろう!!」
こうして、今日は三人で一緒に作る事が決まった。僕の結論は事態を先送りに
するものであったが、今日のところはこれでいいと感じた。それよりも、これ
を機会に、アスカと綾波の仲が良くなれば、そんな事を僕は考えていた。そん
な事が可能であるのか、今の僕には分からなかったが、ただ僕は出来るだけの
事をしよう、そう僕は心の中で決意するのであった・・・
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