私立第三新東京中学校
第二十九話 隠された手首
父さんが・・・ここに・・・?
「どうする、シンジ君?会ってみるかい?」
半ば呆然としている僕に、加持さんは静かに聞いた。加持さんの言っているこ
とは僕には理解できたが、どうしたらいいのか、僕にはまだわからなかった。
「今すぐにとは言わないよ。いつ会うかは君自信が決めることだ。」
「はい・・・」
「君の親父さんはいつもここにいる。だから会おうと思えばいつでも会えるん
だよ。」
「・・・・」
「そして、これは俺の意見だが、今日のところは止めておいた方がいいかもし
れないな。」
「・・・どうしてですか?」
「今の君は、急に事実を知らされたことにより、冷静さを欠いている。そんな
状態では何も生まれないからさ。」
「・・・・」
「これからよく考えて、自分の気持ちを整理してから、会ってみるといい。そ
れはシンジ君が逃げることにはならないと、俺は思うな。」
加持さんの意見はもっともだった。今では、自分は逃げることを恐れていたが、
父さんのことについては、わざと考えないようにしてきたんだということがわ
かる。それは自分では認めたくはないが、明らかに逃げだった。
ここで父さんに会わないのは、逃げなんだろうか?加持さんはそれについては
逃げではないといってくれた。僕に大切なのは父さんとちゃんと話し合うこと。
それこそが、僕には避けて通れない道であり、逃げることは許されないことな
のだ。そして、それを達成させる為に、僕が今までにずっと避け続けていた、
父さんについて考える、ということをする時間が必要だ。
そう、だから今、無理に会う必要も無い。
そう結論づけて、僕は加持さんに向かってこう答えた。
「わかりました。加持さんのおっしゃる通り、今日、父さんに会うことは止め
ます。」
「そうか。」
僕の真剣な眼差しを見た加持さんは、ただ静かにそう答えた。
「じゃあ、僕たちはこれで教室に戻ります。」
「ああ。」
こうして僕は半ば強引に綾波の手首を取ると、加持さんを校長室に残して、足
早に廊下に出ていった。
廊下に出てからも、僕は強く綾波の手首をつかんだまま、脇目も振らず、ずん
ずんと廊下を先へと進んでいく。しばらくして、そのあまりの強さに、とうと
う綾波が声をあげた。
「・・碇君、手・・・・」
その声に、僕は自分のしていたことに気付き、慌てて手を放した。
「ご、ごめん綾波!!」
僕がつかんでいた綾波の手首には、真っ赤に僕の手のあとがついていた。それ
は真っ白な綾波の肌に、痛々しくうつった。
「い、痛くなかった?真っ赤になってるけど。」
綾波は僕の言葉を聞くと、ちらりと自分の手首の赤くなった部分に目をやった
が、すぐに僕の方に視線を戻すと、落着いて言った。
「平気よ、このくらい。」
「本当?でもかなり真っ赤になっちゃってるけど。」
「心配してくれてありがとう・・碇君。でも、このくらいすぐに治るわ。」
「ごめん。あんなに慌てちゃって。僕、かなり動転してたみたいだね。」
「・・・そうかもしれないわね。」
「やっぱり僕、父さんのこととなると、冷静ではいられなくなるみたいだ。僕
はずっと、父さんを憎みつつも求めていたけれど、それが受け入れられないと
いうことを、恐れていたのかもしれない。」
「・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
急に綾波は僕に謝った。謝るのはこの僕の方だというのに。
「ど、どうしたの、急に?」
「私は、あの人があそこにいることを、前から知ってた。でも、それを碇君に
言わなかった・・・」
「知ってたの、綾波?」
「ええ、最初から・・・・」
「じゃあ、何で言ってくれなかったのさ!?」
「だから、ごめんなさい・・・。私は自分で、黙っていた方がいいと思ったの。」
「どうして?」
「会えば、きっと碇君が傷つくからと思ったから・・・・」
そう言うと、綾波は悲しげな目をして、僕のことを見つめた。
「・・私はいつも、碇君があの人のことを話すのを聞いてた。そして、そうい
う時はほとんど、碇君はつらそうな顔をしていた。」
「・・・・」
「だから私は思ったの。碇君を会わせない方がいい、と。碇君のつらそうな顔
を見るのは、私には耐えられないことだから・・・」
「綾波・・・」
「でも、それは結果として、碇君にとってよくないことだったのかもしれない、
そう私は気付いたの。だから、ごめんなさい。この事を黙っていて。」
綾波は言い終わると、僕に頭を下げた。
「そ、そんな事しないでよ、綾波!!」
しかし、綾波は頭を上げずに言った。
「人は、謝る時には頭を下げるものなの。私はそう知ってる。」
「そうじゃなくて、綾波が謝る必要なんて無いよ!!」
そう言って、僕は綾波の上体に手をかけ、頭を起こした。
「どうしてそんなことするの?」
「謝るのは僕の方さ。僕の弱さの為に、綾波に余計な気を遣わせてしまって。
それに綾波だってよかれと思ったことじゃないか。綾波が謝ることじゃないよ。」
「私を・・許してくれるの?」
「当たり前じゃないか!!それに・・・綾波の思っていた事は、本当のことな
んだから・・・・」
「碇君・・・」
「確かに、僕は父さんの事を考えると、とてもつらかった。だから、綾波がそ
う思っても不思議な事じゃないと思う。」
「・・・」
「でも、もう逃げちゃだめなんだ。父さんの事も、僕は克服しなくちゃならな
い。」
そして僕は綾波の肩に両手を乗せると、真剣な眼差しでいった。
「綾波、僕の力になってくれないか?」
「え?」
綾波は僕の言葉に、わからないといった、困惑の表情を浮かべている。
「綾波は、僕が気軽に相談できる人の中で、一番父さんの事を知ってる人間だ
と思うんだ。」
「・・・・」
「だから、綾波には、父さんの事をいろいろ教えて欲しい。僕も、綾波に、僕
が思っている事を全部話すから、それを聞いて、どうしたらいいか、一緒に考
えて欲しいんだ。」
「・・・わかったわ。私が、どのくらい碇君の力になれるかどうか、わからな
いけど、少しでも碇君の為になるんだったら、一緒に協力しましょう。」
「ありがとう、綾波!!」
僕はうれしさのあまり、綾波の肩をつかんでいた手の力を強くして、そう叫ん
だ。綾波は少し驚きながらも、うれしそうに、少し顔を赤くして答えた。
「私こそ、ありがとう・・碇君・・・。こんなに私を頼りにしてくれて・・・」
僕は我を忘れて、そして綾波は少し恥ずかしそうにして、少しのあいだ、お互
いに見つめ合っていたが、僕は我を取り戻すと、慌てて綾波の肩から手を放し
て言った。
「ご、ごめん!!また興奮しちゃって・・・」
「いいのよ、別に・・・」
「い、いや、本当にごめん!!」
「気にしないで、私は怒ってなんかいないから・・・」
「本当?」
「ええ。それより、さっきの話だけど、早速今日、話する?」
「う、うん。綾波さえよければ。」
「・・・私は、碇君の為ならいつでもいいわ。」
「そう?でもどこで話しようか?」
僕がそう聞くと、綾波は少し考え、そしてためらいがちに言った。
「・・・・私のうちで、する・・・?」
「え!?でも・・・」
「他に二人きりで話が出来るとこなんて・・ある?」
「それもそうだね。じゃあ、今日の放課後、綾波の家に行っていい?」
「ええ、そうしましょ。」
「うん。じゃあ、きまりだね!!」
そういう訳で、僕は放課後に綾波の家に行く事に決め、僕と綾波は教室に戻っ
ていった。
教室に戻ると、もう既にほとんどの生徒はそれぞれの掃除を終えて、戻ってき
ていた。僕と綾波が教室に入るとすぐに、アスカと、そしてそれにつられて洞
木さんとが、僕たちのもとにやってきた。
「遅かったわね、アンタ達!!」
「そうみたいだね。」
「そうみたいだね、じゃないわよ!!掃除なんかさっさと終わらせて、早く帰
ってくればいいのよ。それをアンタは全く馬鹿正直に・・・」
「いいじゃないか。それは僕の勝手だろ?」
「そりゃあ、そうだけど・・・」
アスカが言葉に詰まっていたその時、洞木さんが綾波の手首についた真っ赤な
手のあとに気付いた。
「綾波さん、その手首・・・どうしたの?」
その洞木さんの声に、僕たち四人の目は、綾波の手首に注目する。
「何でもないわ・・・」
「何でもない訳無いじゃない!!赤くなってるわよ!!」
「これくらいすぐに治るわ・・・」
「それはそうだけど・・・でも、どうしたの?」
「本当に、何でもないの・・・」
そう言って綾波は赤くなった手首を隠す。しかし、その行動は、余計にアスカ
と洞木さんの注目を集める結果となった。
「どうしたっていうの、綾波さん!?」
「そうよ、アンタ、何か隠す理由でもあるって言うの!?」
「・・・・」
綾波は二人の追求に、ただ黙っている。それを見て、僕は自分でいう事に決め
た。
「僕がやったんだ・・・それ・・・」
「本当なの、碇君!?」
「僕がつかんで引っ張っていったら、そうなっちゃったんだ・・・」
「シンジ!!アンタ・・・」
「碇君は悪くないの!!」
綾波は大きな声を上げて、僕をかばった。そんな綾波は、みんなにとっては珍
しい事だった。
「綾波さん・・・」
「碇君は悪くないの・・・本当なの・・・・」
「じゃあ、何でシンジに引っ張られたってのよ!!」
「ごめんなさい・・・それは私には言えない・・・・」
「シンジ、アンタなら言えるわね!!」
「ちょっと興奮してたんだ・・・それで・・・」
「な、な、なんですって!?」
「そ、そういう意味じゃないよ!!」
「じゃあ、どういう意味よ!?」
「そ、それは・・・」
「ほらご覧なさい!!だからシンジとファーストを一緒にするんじゃなかった
のよ・・・」
そして、自然と僕たち四人は黙ってしまった。僕にはどういうものだか知るこ
とは出来ないが、その時、それぞれの心の中に、様々な錯綜した思いがあふれ
るのだった・・・・
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