私立第三新東京中学校

第二十三話 帰宅

アスカはだいぶ寝たきりだったために、足がいくらか弱っていて、久しぶりに
歩くとなんだかぎこちなかった。

「アスカ、大丈夫?」
「平気。」

そう言ってはいるが、自分の足が思い通りにならないもどかしさを、痛烈に感
じているらしい。アスカの悔しそうな顔がそれを物語っていた。

「タクシーで帰ろうか?」
「いいの、シンジ。アタシはこれくらい平気だし、歩かないと駄目なの。それ
に久しぶりに周りの景色も見ていきたいし・・・」

アスカは自分の足のことがよくわかっているようだ。萎えてしまった足を早く
もとに戻すには、沢山歩いてリハビリをするしかないのだ。僕もそのことに気
付くと、もうそれ以上は何も言わなかった。

僕とアスカは、日もほとんど沈んだ薄暗い道を歩いた。
僕はアスカのゆっくりとした歩調に合わせて、並んで歩く。アスカは久しぶり
に見る外の景色に、目を奪われている。一ヶ月ほどの入院生活は、取るに足り
ない街の景色をも、アスカにとって美しい景色へと変えていった。僕はそれを
複雑な気持ちで見守りながら、黙って歩き続けた。

「アスカ、いい?」
「何、シンジ?」

アスカは僕の言葉でわれを取り戻し、こっちを向いた。

「今日の晩御飯の材料を買っていかなくちゃいけないんだ。付き合ってくれる?」
「いいわよ。その代わりアタシの好きなもの作ってくれる?」
「いいよ。アスカの退院祝いだし、何でも好きなものをつくるよ。」
「本当!?じゃあ、何にしよっかなー・・・」

アスカは実に楽しそうだ。真剣に何にしようか考えている。そんなアスカのあ
どけない顔を見て、僕は思わず微笑んだ。

「な、何よ、シンジ。何かおかしいの?」
「別に・・・」

そう答えながらも僕は思わずククッと笑ってしまった。

「別に、って何なのよ、その笑いは!!」
「だからほんとになんでもないんだって。」

そう言いながらまた笑う。そんな僕を見てアスカは腹を立てた。

「何なのよ、シンジ!!」

僕は答えずにげらげらと笑う。なぜだか笑いがこみ上げてきて止まらなかった。

「ア、アンタ、アタシを馬鹿にするって言うの!!」

しばらくしてようやく笑いは収まり、僕は涙目になって肩で息をしている。完
全に頭にきているアスカは、僕の笑った原因を追求した。

「で、なんでアンタはそんなに笑ったの?」
「ア、アスカが・・・・」
「アタシが?」
「かわいかったからさ・・・」
「!!!な、何いってんのよ!!」

アスカは顔を真っ赤にして叫んだ。まさか、そこで自分がかわいかったから、
なんていう答えが返ってくるとは、思いもよらなかったからだ。

「ほんとだよ、アスカ。アスカが楽しそうに今日の夕食のおかずの事を考えて
いるのを見たら、そう思ったんだ。・・・アスカ?」
「な、何よ、シンジ?」
「元気になって良かったね。」

僕は優しく微笑みながらそういった。そしてアスカは僕の言葉の意味を悟って、
微笑んで答えた。

「ありがと。これもシンジのおかげよ。」

僕はアスカのその言葉に対して、ただ黙って微笑みを返すだけだった。
そして僕たちは夕闇の中を並んで歩いていった・・・

しばらく歩いて、僕たちはスーパーについた。僕は手にかごを持って中に入る。

「結局何にするか、決めた?」
「まだ。」
「じゃあ、見ながら決めようか?」
「うん。」

アスカは言葉少なだ。考えにとらわれているのだろう。僕は考え中のアスカは
そのままに、別に必要なものを次々とかごの中へ入れていった。

程無く僕の買いたいものは、全部かごの中に入れ終わった。しかしアスカはま
だ考えている。

「決まった?」

僕は暗に結論を促した。

「うん・・・決まった。」
「何にしたの?」
「はんばーぐ。」
「ハンバーグ?それでいいの?」
「うん。でもシンジの手作りね。」
「わかった。じゃあ挽肉を買うね。」

そういうと僕は挽肉をかごに入れ、買い物を済ませた。
僕は両手に、スーパーの袋と、アスカの荷物と、自分の鞄を持っているので、
かなり重かったが、アスカには何も持たせなかった。アスカはそんな僕を見て、
持とうか、と目で訴えかけたが、僕は黙って首を横に振った。

しばらく歩いて、やっと家の前までたどり着いた。アスカの足が悪いせいで、
かなり時間を取られてしまい、辺りはすでに真っ暗になっていた。
僕たちはドアの前に立つ。

「やっと帰ってきたね。」
「うん。」
「おかえり、アスカ。ここが僕たちのうちだよ。ミサトさんもペンペンも待っ
てる。」
「うん。」

さっきからアスカはうんとしか言わない。何か感じるものがあるのだろう。
僕はアスカの先に立ってドアを開けた。

「ただいまー!!」

するとミサトさんが出てきた。

「おかえり、シンちゃん。・・・アスカもおかえり。待ってたのよ。」
「・・・」

しかしアスカは黙っている。僕はそんなアスカを促した。

「ほらアスカ、ここがアスカのうちだよ。さあ・・・」

するとアスカはゆっくりと玄関に足を踏み入れる。

「ただいま・・・」

「おかえり、アスカ・・・」

ミサトさんは特別優しい声でそう言った。そして優しくアスカを抱きしめる。

「あなたは私たちの家族なのよ・・・」

アスカはミサトさんに答える代りにその胸の中で泣いた。
僕にはアスカの涙の意味が良く分かった。
僕もここに来てはじめて家族と自分の居場所をえた。そして今日、アスカも
ようやく自分の居場所を得る事が出来たのだ。
以前もアスカは僕達と一緒に暮らしていた。しかし、それはアスカにとって
はビジネスも含んでおり、完全なものではなかった。そして戦いの終わった
今、アスカがここに住む理由はない。
アスカが僕たちの家族である、という以外は・・・

アスカは心のどこかで、自分が受け入れられないのではないかという事を、
心配していたのかもしれない。しかしその心配は杞憂に終わったのだ。

しばらくして、アスカが泣き止むと、ミサトさんはアスカをそのまま部屋に
連れていった。僕はアスカをミサトさんに任せ、ハンバーグ作りを始めた。
フライパンでハンバーグを焼く頃になると、ミサトさんとアスカが、テーブ
ルのところにやってきた。アスカはミサトさんと何を話していたのかはわか
らないが、すっかり元気になったようだ。

「あー、いいにおい!!まだなの、シンジ!?」
「んー、もう少し。」

僕は振り返らずに、フライパンに向かったまま答える。

「早くしてよね、お腹すいちゃったんだから。」
「悪いわねー、シンちゃん。」
「それよりミサト、アンタビール飲まないの?」
「・・・止められてるのよ、リツコに・・・」
「そうなの。そんなの無視しちゃえばいいのに。」
「リツコがどこで見てるかわからないわ・・・」
「そんなぁー?ここは家よ!見てるわけないじゃない!!」
「相手はリツコよ。そんな危険は冒せないわ。」

何だか後ろですごい話をしている。確かにリツコさんはちょっと怖いところ
があるが、それほどなんだろうか・・・
そんなことを考えているうちにハンバーグも焼け、食事の準備が整った。

「いただきまーす!!」

三人同時に声を上げ、食べはじめた。

「おいしーい!!やっぱ、シンジの料理は最高ね!!」
「そうよね。シンちゃんがいなくなったら、アタシ達どうなっちゃうのかし
ら?」
「飢え死にしちゃうでしょうね、二人とも。」
「そんなことあるわけないじゃない!!ミサトは分かんないけど。」
「アタシだって大丈夫よ。シンちゃんがいなくたって。」
「本当ですか、ミサトさん?」
「う・・・」

ミサトさんは声が出なくなってしまった。

「ほら見なさい。やっぱりミサトはシンジがいないと駄目なのよ!!」
「そ、そういうアスカはどうなのよ?シンちゃんがいないと何も出来ないく
せに。」
「そ、そんなことないわよ!!シンジくらい、いなくたってアタシは!!」
「本当?そんな無理しちゃって。シンちゃんがいたから、ここにこうしてい
られるのに。」
「それは・・・そうだけど・・・・」
「二人とも、もういい加減にして下さい。ハンバーグ冷めちゃいますよ。」

僕のこの言葉で、二人のやりあいは収まった。そして、再びみんなで食べは
じめる。この後は二人とも黙々と食べ続け、取りたてて何も起こらなかった。

「ごちそうさまー!!」

食べ終わると僕は片づけに入る。後の二人はテレビを見るわけでもなく、椅
子に腰掛けて、食後の満腹感を楽しんでいた。
後片付けが終わると、僕は三人分の紅茶をテーブルの上に置く。

「後片付けごくろーさま。」
「シンジ、これは?」

そういってアスカは、テーブルの上のティーカップを指差す。

「紅茶だよ。」
「どうして?いつも緑茶なのに。」
「そうよ、シンちゃん。今日はどうしたの?」
「今日はアスカの日だから・・・紅茶にしてみたんだ。」
「そう・・・ありがと。」

アスカはそう答えると、ソーサーの上においてある角砂糖を一つとり、カッ
プの中に入れた。そしてスプーンでゆっくりとかき混ぜる。
ミサトさんと僕は、自分達のには手をつけずに、アスカのその姿を見ている。
アスカはカップを手に取ると、ゆっくりと口をつける。

「どう・・・?」
「おいしい・・・」

そしてアスカはそのまま紅茶を飲み続ける。それを見て、僕も飲もうと思っ
てカップに手をつける。するとアスカはカップを下に置き、僕に向かって言
った。

「ありがと、シンジ。うれしかったわ。」

それだけ言うと何もなかったかのように、再び紅茶をのみはじめた。
僕もミサトさんも黙って紅茶を飲んだ。

交代でお風呂に入ると、後はもう寝るだけとなった。ミサトさんはまだ起き
ているそうだが、僕とアスカは明日が早いのでもう寝る事にした。僕は自分
の部屋のドアの前に来た時、アスカに言った。

「アスカ、一人で大丈夫?」
「な、何言ってんのよ、アンタは!!」
「べ、別にそういう意味で言ったんじゃないよ!!ただ・・・」
「・・・わかってるわよ、シンジ。心配してくれなくてもアタシは大丈夫だ
から・・・」
「そう?それならいいけど・・・」
「じゃあ、おやすみ、シンジ。」
「おやすみ、アスカ。」

そう言うと二人はそれぞれの部屋に消えた。
アスカは久しぶりの自分のベッドに身を横たえると、天井を見上げた。

「隣に・・シンジがいるんだ・・・」

そうつぶやくと、アスカはゆっくりと目を閉じた。
不思議と眠気はすぐに訪れてきた。アスカはそれに身を委ねると、安らかな
眠りに落ちていった。
シンジが守ってくれる、そう思いつつ、アスカは眠りについた。
本当にそうだったのか、アスカは悪夢におびえさせられる事もなく、そのま
ま朝まで、静かな寝息を立てているのだった・・・・


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