私立第三新東京中学校

第十八話 桜の舞

僕は教室を出た。
校舎を出てからもまだ軽く走っていたが、校門のところまで来ると、足を止め、
校舎の方を振り返った。

「トウジには悪いことしたかな・・・」

そう一言つぶやくと、ふと、今朝の出来事が脳裏を過ぎった。

「・・桜・・か・・・」

そして僕は再び走りはじめた。

しばらくして、僕はまた走りつかれて、ゆっくりと歩きはじめた。
汗が、額や首筋を流れて、気持ち悪い。ハンカチをズボンのポケットから取り
出すと、軽く汗をぬぐった。
一息ついて、ふと横を見ると、小さな花屋が僕の目にとまった。僕は誘われる
ようにその店先へと向かう。僕がそこで花を眺めていると、店員さんが僕に話
し掛けてきた。

「どんな花をお探しですか?」

そこで僕は我にかえる。そして、あの話をまた思い出す。

「・・・桜・・・ってありますか・・・?」
「桜ですか?今日は一本だけありますよ。」

そう言って店員さんは店の奥に行き、一枝の桜を持ってきた。

「どうです、見事でしょう。ちょうどこれからが見頃ですね。」
「・・・・」

僕は何も言えなかった。切り取られた桜の枝は、40cmほどの長さであった
が、その一面に薄桃色の花がついており、それは生命の芸術を思わせるもので
あった。それをどの様に咲かせたのか、僕にはわからなかったが、そんな事は
どうでもいいように感じさせる見事さだった。

僕は黙ってそれを購入する事にした。僕にとってはかなり高価なものであった
が、それだけの価値はあるように思えた。
花びらを散らさないようにやさしく手に取ると、僕はそれを持って、アスカの
待つ病院へと向かった。

病院に着くと、たくさんの人込みを抜け、僕はアスカの病室へと向かった。

コンコン。

「アスカ、入るよ・・・」

そう言って、僕は手に持った桜を後ろに隠して、中へと足を踏み入れた。

「シンジ・・・」

アスカは入ってきた僕の方を向き、そうつぶやく。

「どう、具合は?」
「・・・別に・・・・」

そう言って、アスカは視線を脇にやる。僕の言葉に対する反応は、段違いによ
くなったといってもいいが、まだまだ普通に話をするというわけにはいかない
ようだ。
僕はそんなアスカの注意を引こうと、後ろに隠していた桜をアスカに見せた。

「見てよアスカ。ほら、きれいだろ・・・」

僕は桜の枝を包んだ紙を取り外すと、アスカの方にそっと差し出した。

「どうだい?」
「・・・・きれい・・・・・・・・」

アスカは一言だけつぶやくと、後はその桜に見入った。

何分たっただろうか。いいかげん僕も、桜を持つ手がかなり疲れてきた。

「ちょっといいかい、花瓶に入れさせてもらうよ。」

僕はアスカに断って、窓際においてある空の花瓶に桜の枝をさした。
しかし、アスカの目は、花瓶に移ってもまだ桜に釘付けになっていた。僕はそ
ういうアスカを見ると、自分も椅子に腰を下ろして、一緒に桜を眺めた。

日中の日差しは強く、暑い。閉め切っていたこの病室の温度も上がり、僕は少
し汗ばんできた。

「暑くなってきたね。少し窓を開けて、部屋の空気を入れ替えようか。」

僕は立ち上がって窓の方に向かう。そして窓を開けた。

フワッ・・・

とたんにやや強い風が舞い込んだ。
風は花瓶にさしてある桜の枝を強く揺さ振った。そしてもう既にかなり開いて
いる桜の花びらは、その揺さ振りに耐え切れずに、部屋一面にその薄桃色を散
らした。

「・・・・・」

真っ白な部屋の中を舞う、桜の花びらは、あまりに美しく、あまりに幻想的に
みえた。僕たち二人は息をのみ、その一瞬の美に魅せられた。

「・・・きれいね、桜って・・・・」
「うん・・・・」

少しして、部屋中を舞っていた桜の花びらは、全て下に落ちた。そして、僕た
ちの呪縛もとかれた。
アスカは真っ白なシーツの上に落ちた花びらを手に取ると、こう言った。

「・・桜って・・・きれいだけど、はかないのね・・・・」
「うん、でもね・・・」
「・・・・」
「はかないからこそ、きれいなんだと思う・・・」
「・・・・」
「そして、それは人間も同じだよ、アスカ・・・」
「え?」
「出来る出来ないじゃなく、短い人生だからこそ、人は努力するんだ。」
「・・・・」
「僕は今まで逃げてばかりいた・・・。そしていつも人に認められたいって思
ってた・・・」
「シンジ・・・」
「でもそうじゃいけないんだ。自分の短い人生だからこそ、自らそれを輝かせ
るために努力をする。だからこそ、人は美しいと感じてくれるんだ。」
「・・・」
「自分の人生は自分のためにあるんだよ、アスカ。だからアスカも、いつまで
も人の目を気にしていないで、自分のために生きて欲しい。自分の事を輝かせ
るために・・・」
「・・・・」
「自分の殻から抜け出すんだ、アスカ!!そうすれば、もっともっとアスカは
きれいになれる。そして、そんな自ら光を放つような、あの桜のように輝いた
アスカを、僕はみたいと思う・・・」

言いたい事だけ言い尽くすと、僕はまた再び桜の方に視線を戻した。

「・・ありがとう、シンジ・・・」
「・・・」
「・・シンジの言う通りかもしれない・・・・。私は人の目ばかり気にしてた。
いつも一番でいたいって・・・」
「・・・・」
「そうやってしていた努力は、私のためにしてたんじゃなかったのね。そう、
全て人のために・・・」
「・・・」
「私は輝いてなかった・・・。・・シンジ?」
「何?」
「まだ遅くないかしら、私が輝きはじめるには・・・」
「遅くなんかないさ!だって、まだ僕たちは中学生じゃないか!!」
「そうね。それに、こんなところでうじうじしてるなんて、わたしらしくない!!」
「そうだよ、アスカはいつも元気いっぱいだったじゃないか!!」

「エイッ!!」

そうやってかけごえをかけると、アスカはベッドから飛び起きた。

「私は輝く!あの桜のように!!」

そう言うと、アスカは僕の方を向いて言った。

「ありがと、シンジ!これはお礼よ!!」

そして、アスカは僕の頬にキスをした。
アスカの元気が頬から伝わってくるようなキスだった。
そして、アスカが飛び起きた拍子に、シーツの上に積もっていた桜の花びらが
再び宙を舞った。

それは美しい、生命の舞だった・・・・


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