私立第三新東京中学校

第十六話 友情の握手

僕は今、歩いている。
場所は、学校へと向かう道だ。
隣にはケンスケとトウジがいる。いつもと同じ朝だ。

まだ、空気は朝の涼しさを残している。短い朝の黄金のひとときだ。
今日も空は晴れ渡っている。また暑くなるだろう。セカンドインパクト以後に
生まれた僕たちは知らないが、日本には四季という季節感があったそうだ。
あの、数学の先生はよくその話をしている。とても美しかったと言っていた。
確かにここは味気無さ過ぎる。
映像でしか見た事のない満開の桜。
いつの日か、僕も、本物の桜を、見てみたいものだ・・・。

「桜って見た事ある?」

僕は唐突に二人に話し掛けた。

「何や、いきなり?」
「いや、ちょっと頭に浮かんだもんだから・・・」
「俺は見た事あるよ。」
「本当、ケンスケ?ビデオじゃなくてだよ。」
「ああ、小さいころ外国に行ったとき見たんだ。」
「そりゃあ、すごいな。わいなんか花屋で切り花を見た事あるだけや。」
「え、桜って花屋にあるの?」
「何やシンジ、そんな事も知らんのか?今時、花屋にない花なんてないで。」
「そうだったのか・・・」
「でも、切り花じゃ、ほんとの桜を見たとは言えないよ。やっぱり樹の桜を見
ないと。」
「そんな事言うたかて、この糞暑い日本で桜なんか見れるかいな。」
「植物園に行けば、この辺でも見れるんじゃないかな・・・?」
「なるほど、植物園か!流石ケンスケや。いいところに気がつくのう!」
「植物園か・・・」

それで、桜の話は終わりとなった。僕たちはまた、まったく違った話題に移り、
おしゃべりを始めた。しかし、僕の心の片隅には、桜を見てみたいという気持
ちが、かすかに残っていた。

しばらくして、僕たちは学校についた。
教室に入ると、すぐに綾波の姿が僕の目に飛び込んだ。入り口に近いという事
もあるとは思うが、なんとなく、綾波は黙って本を読んでいるだけでも、存在
感があるように感じる。

「おはよう、綾波!」

ぼくは元気よく綾波に挨拶をした。トウジとケンスケは僕の側にいるものの、
綾波に挨拶をすることはない。はっきり言って、綾波に普通に接する事が出来
るのは、クラスの中で、僕と洞木さんだけだ。あとの人間は、綾波の事を、近
寄りがたい存在と認識している。洞木さんもそうかもしれないが、彼女の誰に
も分け隔てのない、親切と思いやりが、そういう態度を取らせているのかもし
れない。そして僕は、よく分からない。はじめのころは、綾波を本当に近寄り
がたく感じていたが、意識的に話し掛けているうちに、最近はそうでもなくな
ってきている。しかし、やはり、綾波に話しかけるときには、いつも少し緊張
してしまうのが、今の実状である。

「・・・おはよう・・碇君。」

綾波は静かに返事をした。しかし、これはましな方だといわなければならない。
どうでもいい人間なら、きっと綾波は無視するだろう。だから、綾波にとって
僕は、重要な人間だと認識されているのだといえる。

「昨日はどうもありがとう、おいしかったよ。」

周りの人間は、興味津々という形で、僕たちの会話に耳を傾けている。
僕が、よく綾波と話をするというのは、割と知られているけれども、それでも、
綾波が話をするのは、とても珍しい事なので、みんなの興味を引くのだろう。

「そう?よかった・・・」
「綾波って料理の才能があるんじゃないの?始めたばっかりにしてはとっても
上手だし・・・」
「・・そう・・・かしら・・・・?」
「そうだよ!自信を持っていいと思うよ、ほんとに。」
「・・ありがとう・・・碇君・・・・」
「わからない事があったら、僕や洞木さんにきくといいよ。教えてあげるから。」
「・・・うん・・・・」

そうして僕が席につくと、側で話を聞いていたトウジとケンスケが、話し掛け
てきた。

「シンジ、今の話、ほんとか?」
「う、うん・・・そうだけど・・・・」
「綾波の手料理、食うたんか!」
「う、うん。」
「あの綾波がそんな事するなんて、すごいな・・・」
「ケンスケの言う通りや!あの女がそないなことするなんて。」

二人の言葉にむっとした僕は、思わず立ち上がって大きな声を出した。
綾波だって普通の女の子なのだ。僕はそう思いたかった。

「そんな事言うなんてひどいよ!綾波だって普通の女の子じゃないか!!料理
を作ったって当たり前だろ!!」

クラス中が静まり返った。いつもは物静かな僕が、大声を上げたのを聞いて、
驚いている。
トウジとケンスケも、自分たちが言った事が僕の予想外の反応を引き起こした
のを見て、唖然としている。

周囲の様子に気づいた僕は、冷静さを取り戻し、静かに腰を下ろした。

「ごめんよ、二人とも・・・。つい興奮しちゃって・・・」

二人の言った事はおかしなことでなく、僕も感じていた事だった。それだけに、
興奮が冷めると、自己嫌悪に陥ったのだった。

「シンジ・・・すまん、わしの言い過ぎや。」
「ごめん、シンジ・・・」

僕たち三人は、うつむいて黙りこんでしまった。それとは対称的に教室はまた
ざわざわとしはじめる。
三人とも、思うところがあってか、まだ、何も言わない。少しの時が流れて、
僕たちをこの状態から解き放ったのは、綾波の声だった。

「碇君。」

僕たち三人はいっせいに綾波の方を向く。

「綾波・・・」
「碇君、ありがとう・・・・私のために・・・」
「・・・・」
「・・・すまん、綾波。わしらが悪かった。許してくれ。」
「・・僕も言い過ぎたよ。二人の気持ちも知らないで・・・」
「・・・いいの、私は。みんなにそういう目で見られても、おかしくないもの・・・」
「・・・綾波・・・・」
「だから、碇君も、気にしないで。私の事は大丈夫だから・・・」

そう言うと、綾波は少し柔らかい表情をして、僕の方に視線をやった。トウジ
は綾波のその言葉を聞くと、済まなそうな表情をして言った。

「シンジのいう通りやな。わしらは、綾波が普通の女やという事を忘れていた
のかも知れん・・・」
「人を偏見の目で見るのはよくない事だ。どうやら僕らはそれにとらわれてい
たみたいだ。」
「トウジ・・・、ケンスケ・・・」
「わしはこれから、綾波をシンジやケンスケと同じように接する様にする事に
決めた!!」

そう言うと、トウジは綾波の方に右手を差し出した。

「僕もこれからそうするよ。」

ケンスケも同じように手を差し出して言った。

「・・・・」
しかし、綾波は二人の行動に戸惑っている様子だ。

「手を取りなよ、綾波・・・。」
「え?」
「握手をするんだ。これが友情の証さ!」

そう言って、僕も綾波の方に手を差し出した。
綾波は恐る恐る僕の手を取る。
僕はその手を優しく握りかえすと、綾波もやさしくそれに答えた。
僕らは手を放すと、綾波は同じようにトウジと、そしてケンスケと握手を交わ
した。

綾波はやさしく微笑んでいる・・・
これが綾波にとって、初めての友情の握手だった・・・・


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