私立第三新東京中学校

第十四話 反対のこと

僕は夕暮れの町を一人、ゆっくりと歩いていた。
手には鞄と、スーパーの袋を持っている。病院からの帰りに買い物をしてきた
のだ。
買い物をしている間も、僕の心は躍っていた。先の見えなかったアスカの様子
に、一筋の光明が見えたからだ。

アスカは僕に話し掛け、そして涙を流した・・・

買い物袋の中には高級国産牛肉が入っている。今日はごちそうだ・・・

そう思いつつ、僕はミサトさんの待つうちに向かっていった。

夕方の太陽はつるべ落としだ。僕がのんびり歩いてる間にも、あたりはもう、
だいぶ薄暗くなっていた。これでは家につく頃には真っ暗になってしまう。
そう思って歩みを速めようと思ったその時、僕の後ろから声がかかった。

「碇君。」

後ろを振り返ると、そこには綾波が立っていた。

「・・・買い物の帰り?」
「う、うん。そうだけど。」

綾波を見ると、僕と同じように、手にスーパーの袋を下げている。
綾波は僕の視線に気づくと、その袋を少し前に持ち上げて言った。

「・・私も買い物してきたの。」
「そう、綾波も自分で料理するようにしたんだ・・・」
「そうなの・・・」
「・・・・」
「・・・・」

僕と綾波は黙り込んでしまった。二人とも互いの顔は見ずに、下を見つめてい
る。なんだか気まずい思いだ・・・

「・・・・」
「・・・・」
「じゃあ、もう遅いから、僕行くね。」

僕はそう言って綾波に背を向け、立ち去ろうとした。
その時、

「待って!」

僕は綾波の声に足を止めた。綾波がこんな大きな声を出すなんて、珍しい事だ。
少し驚きの感情をもって、僕は振り返った。

「待って、碇君・・・」
「何?綾波・・・」
「・・・・・お礼が・・・・・したいの・・・・・・」
「お礼?」
「そう、お礼・・・・」
「お礼って、何の?」
「・・・碇君が・・・私に食事を作ってくれた・・・お礼よ・・・・」

綾波の顔は真っ赤だ。こんな事を言うのは、綾波にとって、とても恥ずかしい
んだろう。今思うと、綾波が学校の下駄箱のところで言おうとしたのは、この
事だったのかもしれない。

「・・・碇君ほど上手じゃないけど・・・私の料理も食べて・・・・」

そういうことらしい。僕は、努力して言った綾波の言葉を無にしないために、
喜んでそれを受ける事にした。

「うん、喜んで食べさせてもらうよ。」

そう言うと、僕たち二人は、綾波の家に向かった。

もうあたりはだいぶ薄暗い。僕と綾波は二人並んで道を歩いている。
横を見ると、綾波は下を向いて歩いている。薄暗いせいもあって、その顔はよ
く見えない。僕は綾波の方を見るのを止め、前を向いて歩く事にした。

綾波の家の前までついた。その間、僕たち二人は一言も口をきかなかった。

家の中に入ると、綾波は早速料理を始めた。僕はおとなしく座って、料理が出
来るのを待つ。

なんだかこのあいだと反対だな・・・

そんな事を考えながら、僕は自分の荷物を脇へと押しやった。
しばらくして、あたりからいいにおいがたちこめてきた。座って後ろから綾波
が作るのを見ている限り、まだまだおぼつかないところがあるものの、料理を
始めたばかりだからしょうがないと思い、それよりも僕は綾波に料理を作って
もらっているという、妙な感慨に打ち震えていた。

料理が次々と並んでいく。僕は取り敢えず全部出来終わるまで待った。
料理が全て並べおわると、綾波は僕の相向かいの席についた。
綾波の作った料理は全て野菜関係のものだ。綾波は肉が嫌いだと言っていたが、
食べるのだけでなく、触るのも嫌なのかもしれない。

「いただきます。」

そう言って僕は箸を取ると、目の前にある料理を食べはじめた。綾波は、僕が
食べるところをじっと見つめている。自分の作った料理がどうか、気になるん
だろう。
実際、綾波の料理は、初めてにしては悪くなかった。ちょっと薄味な気もする
が、綾波らしい繊細な味だ。

「うん、とってもおいしいよ。」

僕はそう、綾波に感想を述べた。僕は嘘をつく必要も無く、ほっとしていると
ころだ。

「そう?よかった・・・」

そう言って綾波は軽く微笑んでいる。しかし、自分は箸に手をつけようとはし
ない。

「食べないの、綾波?」
「碇君のために作ったから・・・いいの。」
「一緒に食べようよ。その方がもっとおいしくなると思うよ。」
「うん・・・・」

やっと綾波は箸を手にとり、食べはじめた。
ふたりは黙ってただ、料理を食べ続ける。しばらくすると、料理もなくなった。

「ごちそうさま。」

僕はそう言って立ち上がった。

「後片付けは僕がやるよ。綾波は座って待ってて。」

すると、綾波は機敏に立ちあがって、僕の行く道をふさいだ。

「いいの、私がやるから・・・」
「でも・・・・」
「碇君は座ってて。」
「いいよ、わるいから。」
「いいの、今日は私がやりたいの。」
「・・・・」

僕は、綾波の口調にその意志の強さを感じ、おとなしく座る事にした。

お皿を洗う、さらさらとした水の音が聞こえる。僕は、洗い物をする綾波の後
ろ姿をじっと見つめていた。

こういうのもいいもんだな・・・

僕はそんな風に考えていた。そう言えば、こんな風にして、ひとが洗い物をす
るのを座って見ているなんてことは、あまり経験が無い。いつも、自分がそう
いったこまごまとした事をしていたので、それが当然だと思っていた。

でも、もし僕が結婚したら・・・

綾波を見ながらそんな事を考えていたら、なんだか変に意識してしまい、顔を
赤らめてしまった。僕は綾波を見ないようにし、心を落ち着ける事にした。

しばらくして、水の音が消えた。洗い物が終わったようだ。僕が顔を上げると、
テーブルの上にはお茶が乗っていた。そして、綾波はまた、僕の反対側に座っ
た。

「どうぞ・・・」
「う、うん。いただきます・・・」

そう言って僕はお茶をすする。綾波もそれを確認してからお茶をのみ始めた。

「あっ!!」
「どうしたの・・・?」
「な、なんでもない。」
「・・・・」

僕は気がついた。
さっきもなんとなくそう思ったが、本当にこの前とまったく反対だ。この前僕
が、綾波にしてあげた事を、そのまま反対にして、やっている。僕はこうして
もらって、純粋にうれしかった。けど、綾波はどうだったんだろう?

「綾波。」
「なに・・・?」
「この間、うれしかった?」
「え?」
「この間、僕が食事を作ってあげたとき。」
「・・・・うれしかった・・・・・」
「僕もだよ。こうやって人にご飯を作ってもらうって、とってもうれしい事だ
ったんだね。」

そう言って僕はやさしく微笑んだ。そしてゆっくりと立ち上がる。

「今日はありがとう、綾波。今日は、人にご飯を作ってもらう喜びを、初めて
知ったよ。」
「・・・・」

僕は自分の荷物を持つと、ドアの方に向かった。

「じゃあ、綾波、また明日。今日はとってもおいしかったよ。」
「・・・・・」

最後に振り向いて、ひとことそう言うと、僕は綾波の家を出ていった。

「・・・・」

綾波は、僕が出ていってからも、そのドアをじっと黙ったまま、いつまでも見
つめて続けていた・・・・


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