私立第三新東京中学校

第十二話 平和な日々

目が覚めた。
いつのまにか眠ってしまっていたようだ。
あたりはもう既に明るくなっている。僕は耳からイヤホンをはずすと、そのま
ま体を起こした。外からはかすかにスズメのさえずりが聞こえる。
時計を見ると、もうまもなく六時になろうとしていた。

もうこんな時間か・・・

僕はゆっくりと制服に着替え、朝食と弁当を作るために、台所へと向かった。
リビングには、すでにミサトさんとリツコさんがいた。

「おはようございます、お二人とも早いですね。」
「おはよう、シンジ君。でも私たちは早いんじゃないのよ。」
「え、どういうことですか?」
「徹夜よ、徹夜。朝までリツコに付き合わされたわ。」
「じゃあ、あれからずっと話をしてたんですか?」
「まあ、そうね。」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ。もしあたしが寝ちゃったら、そんときはシンジ君、フ
ォローよろしくね。」
「何言ってるの、ミサト。昨日あれほど・・・」
「じょーだんよ、じょーだん。もう、リツコったらすぐ本気になるんだから。」

まったく、徹夜したというのに疲れを知らぬ人たちだ・・・
僕はそう思って料理を始めた。
弁当もちゃんと二人分作る。
僕の分と、そしてアスカの分だ・・・

結局昨日はアスカが喜んでくれたかどうかはわからなかったけど、取り敢えず
食べてくれたので、僕は今日も作って持っていく事にした。

「シンちゃーん、あたしの分もおべんとつくってよー!!」
「だめです。そんな暇ありません。」
「そんな冷たい事言わないでー。一個も二個もかわんないじゃなーい!!」
「弁当箱がないんです。作ってほしかったら自分の弁当箱を買ってきてくださ
い。」
「そうだ、あれがあったじゃない!!」
「何ですかあれって?」
「アスカのよ、アス・・」
「ミサト!!」
「・・・」

三人とも黙ってしまった。
沈黙が走る。部屋の中には、ただ、揚げ物のあがるパチパチといった音だけが
響いている。
気まずい雰囲気だ。ミサトさんもリツコさんに指摘されて、自分の発言の愚か
さに気がついたようだ。

「ごめんね、シンジ君・・・」

最初に口を開いたのはミサトさんだ。こういう時にすぐに謝るミサトさんの行
動力は、僕も見習わなくてはならない。

「あたしったら、シンジ君の気持ちも知らないで・・・」
「気にしないでください、ミサトさん。」
「でも・・・」
「本当にいいんです。それに、今アスカの弁当も作ってやってたんです。」
「そうなの?」
「はい。昨日作っていったら、アスカ、食べてくれたんです。だから、これか
ら毎日作ってやろうと思って・・・」
「そうだったの・・・」
「明日からはミサトさんのも、新しい弁当箱を買ってきて作ってあげますね。」
「・・・・いいわよ、シンジ君。」
「どうしてですか、ミサトさん?」
「そんな大事なお弁当、あたしはとても食べれないわ。あたしに作る手間をか
けるんだったら、その分アスカに手間をかけてやんなさい。」
「・・・」

僕にはミサトさんの気持ちがよく伝わった。僕は黙って、ミサトさんの言う事
に従うことを決めた。

朝食も済んだ。リツコさんは着替えに自分の家に帰った。
ミサトさんも学校に行く準備を終え、僕の入れたコーヒーを飲んでいるところ
だ。今日はミサトさんも遅刻する事はないだろう。

ピンポーン!!

トウジとケンスケだ。迎えに来てくれたようだ。

「おはようさん、シンジ!!」
「おはよう、シンジ。」
「二人ともおはよう。」

僕はミサトさんをおいて、学校に行った。ミサトさんは車だから、もう少しゆ
っくりできるのだ。
僕たち三人は、おしゃべりをしながら学校へと歩いていった。

トウジとケンスケは昨日の事で話が盛り上がる。僕は横でその話を聞いている
が、あまり僕は話す気分になれない。

「どうしたんや、シンジ?今日はやけにおとなしいな。」
「ん、そう?そんなことはないけど。」
「何か悩みでもあるんじゃないのか?」
「別に悩みなんてないよ。」
「そうかぁ?その顔は、わし、悩んでます、って顔しとるで。」
「そ、そうかなぁ・・・」
「ズバリ、綾波だろ、シンジ!!」
「ケ、ケンスケ!!」
「シンジは前から綾波の事が気になってたみたいだもんなー!!」
「そや、そや!!昨日は楽しかったのう、綾波といっしょで。」
「トウジまで!!・・・・・でも、まあ昨日は楽しかったよ。ほんとに。」
「そうだな。そう言えば、あんなの久しぶりだったな。みんなで集まってさ。」
「そやな。これからもああいうのが続いていったらええな・・・」

今まで、使徒の襲来と避難生活で、離れ離れになっていた僕たち。
闘いは終わりを告げ、平和が訪れた今の楽しい日々が、これからもずっと続い
ていったらという思いが、僕たち三人、それぞれの心の中にこだましていった。

それぞれの感慨を胸に、僕たちは静かに歩みを進めた。
学校につき、教室に入ると、僕たち三人はそれぞれの席に散った。

「おはよう、綾波!」

僕は、隣の席で本を読んでいる綾波に声をかける。それに対し、綾波は本を閉
じ、視線を僕の方に向けて静かに答える。

「おはよう・・・」
「綾波って、いつもくるの早いんだね。」

それは本当の事だ。綾波は、学校に来るときはいつも僕より先に来ている。
だから、いつ綾波が教室にくるのか、僕は知らない。

「そう?・・・・」
「そうだよ!綾波っていつも僕よりも先に来ているじゃないか。」
「・・・そうかもしれない・・・・」
「それよりも、昨日は楽しかったね。」
「・・・・」
「楽しくなかった、綾波は?」
「そんな事無いわ・・・」
「そう!?よかった。綾波ってああいうの嫌いじゃないかと思ってたよ。」
「・・・・」

そんな話をしているうちに一時間目の先生がやってきた。自然に僕たちは話を
止めた。

一時間目も過ぎ、二時間目も過ぎた。二時間目の後の休み時間が終わると、僕
の席に洞木さんがやってきた。

「碇君。」
「あ、洞木さん、昨日はどうもありがとう。とっても楽しかったよ。」
「どういたしまして。それより碇君、昨日、どうだった?」
「あ、うん。食べてくれたよ。」
「そう、よかった!!私、心配してたのよ!」

洞木さんは心の底から喜んでいる。本当に、アスカの事を心配していたのだろ
う。そう言えば、洞木さんはアスカの一番の親友だ。アスカと洞木さんは、そ
れぞれ正反対といっていいほどの性格だ。しかし二人は本当に仲がいい。お互
いに相手の中に何を見出したのか、僕には分からないが、とにかく、アスカに
洞木さんのような友達がいて、本当によかったと僕は思った。

そんな事を思いながらふと脇を見たとき、綾波がこっちを見ているのが見えた。

綾波?

綾波は本こそ閉じてはいないが、僕の事を見つめている。しかし、その顔に表
情はなく、目が合っているにもかかわらず、不思議とそんな風には感じなかっ
た。

「碇君?」

洞木さんの声が、僕を綾波から引き戻した。

「あ、ごめん。洞木さん。」
「どうしたの?」
「なんでもないよ。」
「そう、ならいいけど。」
「今日も作ってきたんだ、アスカに・・・」
「本当?きっと喜ぶと思うわ、アスカも。」
「そうかな・・・?」
「そうよ!!」
「本当にそうだと、いいんだけど・・・・」
「・・・・」

僕の悲しげな目を見た洞木さんは、黙ってその場を立ち去った。
そして休み時間は終わった。

三時間目、四時間目と、授業は進んでいった。三時間目は僕も知ってる日向さ
んの授業だったが、あまり僕の耳には入らなかった。

昼休みになった。今日からは午後も授業がある。トウジとケンスケはパンを買
いに行った。トウジは恥ずかしがりながらも、洞木さんに弁当を作ってきても
らっていたが、もう既に食べてしまっていたので、ケンスケと一緒にパンを買
いに行ったのだ。
僕は、アスカの分はそのままに、自分の弁当を出すと、二人が帰ってくるのを
待った。ふと、隣を見ると、綾波も自分の弁当を出している。自分で作ってみ
たのだろうか?弁当箱は飾り気の無いそっけないものだが、綾波らしいといえ
ば綾波らしい。

「綾波、今日は弁当作ってきたの?」

僕が声をかけると、綾波はこっちを向く。

「そうだけど・・・」
「どんなの作ってきたの?僕に見せてよ。」
「・・・・」
「いいでしょ?」
「・・・・・だめ・・・・」
「ど、どうして!?」
「・・・・恥ずかしいから・・・」

そう言うと、綾波は自分の弁当を持って、そそくさと教室を出ていってしまっ
た。

それにしても、綾波が恥ずかしいなんていうとは・・・
かなり普通に戻ってきたかな・・・?

僕はそう思った。考えてみれば本当に短期間の事だ。ミサトさんが言ってた、
綾波が、わずかながらでも昔の記憶を持っているというのは、あながち嘘とは
いえないかもしれない。そうでなければこんなにはやくの回復は望めるはずが
無い。
今の綾波と、昔の綾波に、つながりがあると感じた僕は、なんだかとてもうれ
しくなった。

そうこうしているうちに、パンを買いに行っていた二人が戻ってきた。

「お待たせ、シンジ。」
「さあ、食うでー!!」

トウジは食事のときは元気いっぱいだ。よくあんなに食べれるなあと、僕なん
かは思ってしまう。
僕は頼んでおいた牛乳を受け取り、食べはじめた。

「シンジー。」
「何、トウジ?」
「うまそうやなー。」
「そう?ありがとう。」

トウジの気持ちを知る僕は、そっけなく返す。

「一口くれへんかー?」
「だめ。」
「そんな冷たい事いわんで。なー、お願いやー。」
「洞木さんの弁当食っただろ?」
「それはもう昔の話や。たのむわー。」
「しょうがないなー、ほら!」
「すまんなー、シンジ。恩に着るわ!」

こんなやり取りも楽しい。しょうがないな、という顔をしつつも、僕の顔は自
然と微笑んでくるのだった。

昼休みも終わり、午後の授業が始まった。
いつのまにか綾波は教室に戻っていた。僕は、どこで弁当を食べていたのか、
聞こうと思ったが、その機会はなく、時は過ぎていった。
そして放課後を迎えた。

「シンジー、一緒に帰ろうやー!!」
「ごめん、これからちょっと行くとこあるんだ。」
「さよか。ならケンスケと二人で帰るわ。」
「うん、また今度ね、トウジ。」

そう言ってトウジに別れを告げると、僕は教室を出ていった。
階段を降り、下駄箱に向かう。靴を履いて急いで出て行こうとすると、後ろか
ら声がかかった。

「碇君。」

振り返ると、そこには綾波が立っていた。

「あ、綾波!」
「これから帰るの・・・?」
「うん。」
「・・・・」
「何か、話でもあるの?」
「・・・・別に・・・・何も無いわ・・・・・」
「そう?じゃ、僕ちょっと急ぐから、じゃあね!」

そう言うと僕は綾波を背に、学校を出ていった。
そして、走っていく僕を、綾波はじっと見つめていた・・・・


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