私立第三新東京中学校

第五話 帰り道

キーンコーンカーンコーン

「さ、教室にもどりましょ。」
「はい。」
「いっぱい泣いてすっきりしたでしょ。」
「ごめんなさい、ミサトさん・・・」
「いいのよ、気にしなくて。シンジ君の泣きたい気持ち、よく分かるから。」
「ありがとうございました。でも誰も見てなきゃいいけど。」
「いいじゃない、見てたって。泣くのは決して恥ずかしいことじゃないわ。」

こうして、僕とミサトさんは教室に戻った。
恥ずかしいけど、僕は、なんだかよりミサトさんに近づいた気がした。

「みんな席について。続きを始めるわよ!」

自己紹介が再び始まった。
僕はどうやって綾波に話しかけるかを考えていた。

前から綾波って話し掛けづらいとこがあったんだよなー。

僕は自己紹介を聞きもせず、考えにふけっていた。
今度はミサトさんも僕のことが分かったらしく、寝てるなんてからかうような
ことはしなかった。しかし、ミサトさんのそんな心遣いに気づく余裕もなく、
僕は、綾波のことだけを考えていた。

キーンコーンカーンコーン

思考は破られた。
もう終わりの鐘が鳴ったらしい。自己紹介も一通り終わったようだ。

「今日はこれで終わり。みんな帰っていいわよ。洞木さん、号令よろしく。」
「起立、礼!!」

みんな解散していく。どうやらいつのまにか洞木さんがまた委員長に決まった
らしい。
結局考えはまとまらなかった。まあ、焦ることはないだろう。これから毎日会
えるんだから。
しかし、まったく話し掛けないというのもあれだ。取り敢えず何か話してみよ
う。

綾波は読んでいた本を閉じ、鞄にしまおうとしているところだ。

「あ、綾波!!」
「なに?」
「あ、あの、その・・・」
「・・・」
「せ、席、隣だね。」
「そうね。」
「あの、ええと・・・」
「用がないなら、私、先、行くから。」
「・・・」

綾波は鞄を持って行ってしまった。
失敗だ。なんで僕は気のきいたこと一つ言えないんだろう。

「シンジ!!」

僕は振り向いた。
ケンスケだ。トウジもいる。

「帰りにゲーセン行こうぜ。」
「う、うん。いいよ。」

明らかに二人とも今のやりとりを聞いていたはずだ。しかしそんな事はおくび
にも出さない。僕は二人の思いやりを感じた。

僕たち三人は、連れ立って学校を出た。僕は二人の話を聞きながら、黙って歩
く。トウジとケンスケは、新しいクラスメイトや、先生たちの話をしている。
いつもなら興味深いはずの二人の話も、今日の僕には心に届かない。いつのま
にか僕はまた綾波の事を考えていた。

どうやって話し掛けたらいいだろう。
綾波の興味を引く事なんて知らないしなぁ・・・

「シンジ、何か食うてくか?」
「そういやひるめしまだだな。」

僕は黙って二人の言うまま近くのファーストフード店に入り、機械的に食事を
済ませた。そしてそのままゲームセンターに入る。
僕は二人の対戦を見ながら、心はまだ、宙をさまよっていた。未だに、はっき
りとした結論はいっこうに出てこない。

「わしは妹を病院につれていかなあかんから、きょうのところはこれでな。」
「じゃあな、トウジ。」

トウジは妹さんを病院に連れて行くために、先に独りで帰っていった。
後には僕とケンスケが残された。

「シンジ、俺達はどうする?」
「え、あ、そうだね・・・」
「もう帰るか?」
「うん、そうしよう。僕は今日は何だかゲームする気分じゃないし。」
「そうか、もう4時になるし、じゃあ帰るとするか。」

僕とケンスケは並んで歩いた。ケンスケは僕の気持ちを察してか、何も話し掛
けては来ない。
しばらく経って、この緊張に耐えられなくなったのか、ケンスケが話し掛けて
きた。

「シンジ、いいか?」
「ん、何、ケンスケ?」
「俺、お前には悪いと思ったから誰にも言わなかったけど、見ちゃったんだよ。
おまえの泣いてるとこ。」
「え!?」
「おまえもつらかったんだな。俺は、エヴァンゲリオンに乗れるシンジをずっ
とうらやましいと思ってたけど、いい事だけじゃなかったみたいだ。」
「うん・・・」
「なんでおまえが泣いてたのか、詳しい事はわからないけど、相談に乗れる事
があったら相談してくれよ。俺もトウジもおまえの親友なんだからな。」
「ありがとう・・ケンスケ・・・・」
「無理にとはいわないよ。おまえにも人に言えない事があるだろうから。だけ
ど、おまえには俺達がいるって事を忘れないでおいてくれよ。」
「うん。ケンスケも相談事があったら僕に言ってよ。親友なんだから。」
「ああ。でもまあ今んところはないな。それよりもうこんなところだ。」
「あ、ほんとだ。」
「じゃあ明日またな、シンジ!」
「バイバイ、ケンスケ!」

僕はケンスケと別れた。ケンスケの言葉が心に染みる。ケンスケたちに出会う
までは、僕は父さんにも見捨てられ、ずっと一人だと思ってた。最近分かるよ
うになってきたけど、やっぱり友達ってのはいいもんだ。
しかし、綾波の事はケンスケたちには話せない。あの秘密は誰にも話してはな
らないのだ。
綾波の、あの、秘密は・・・・

僕は夕食の材料を買いに、スーパーへと向かった。これは僕の日課の一つだ。
はじめのころはミサトさんと当番制にしてたけど、ミサトさんの料理は食べ物
と呼べる代物ではないので、ここのところずっと、僕が食事を担当している。
そのせいで近所のおばさんとも顔なじみになった。ちょっと恥ずかしい。

買い物袋を下げて家へと向かう。あたりはもう夕暮れだ。日中の暑さもひと段
落し、ようやく涼しくなってきた。
緩やかな下り坂を下りながら、僕はふとつぶやいた。

「そういえば、綾波のうちってこの近くだったよな・・・」

ふと視線を脇にやると、何と偶然にも綾波を見つけた。

「綾波!!」

しまった!!僕はつい声に出してしまった。しかし後悔したときは既に遅く綾
波はこっちを向いた。

「碇・・くん?」

綾波は表情を変えずに言った。まったく驚いてはいないようだ。

「や、やあ・・・偶然だね、こんなところで会うなんて・・・」
「そう・・・」

綾波は行こうとしはじめる。綾波の手にはコンビニの袋が見える。僕はとっさ
に綾波の近くに駆け寄って言った。

「そ、それ、きょうのよるめし?」
「そうよ。」
「そ、そんなんじゃだめだよ!栄養のバランスにもよくないし・・・」
「いいの。いつものことだから。」
「だめだって!ほら、僕がご飯を作ってあげるからさ!!」

そう言って、僕は半ば無理矢理に綾波の手を引いて、綾波の家に入っていった。
綾波の部屋は前に来たときとほとんど変わっていない。女の子とは思えない、
無機質的な部屋。そう、あの部屋と同じだ・・・

僕は綾波を座らせると、早速料理に取り掛かった。
キッチンはほとんど使われた形跡がない。それは、綾波がいつも買ってきたも
ので食事を済ませている事を証明している。ここで、包丁やフライパンなどが
あったのはラッキーだった。今思うになくても当たり前だったからだ。

料理は出来上がった。綾波は確か肉が嫌いだったので、野菜メインの食事だ。
自分で言うのもなんだけど、僕は割と料理の上手な方だと思う。もちろん洞木
さんなんかにはかなわないけど。

「さあ、たべてみてよ。」
「・・・」
「遠慮しないでさ。」

綾波はゆっくりと箸を取る。僕はそれをじっと見つめている。
綾波は食べる気になったようだ。ゆっくりとではあるが料理に手をつけていく。
僕もそれを見て安心し、一緒に食べはじめた。

買ってきた肉が使えなかったため、おかずは少なめだ。そのせいもあってちょ
うど二人で食べきる事ができた。

「ごちそうさま。」
「・・・」
「ちょっとお茶でも入れるから座って待っててよ。」
「・・・」

テーブルの上の食器を片づけている間にお湯を沸かす。洗い物のすんだころに
ちょうどお茶が入れられた。ここのところの手際は完璧だ。僕は二つの湯飲み
を置くと、再び綾波と向かい合わせで座った。

「どうぞ。」
「・・・」

綾波は、今度は躊躇なく湯のみをとり、お茶をすする。二人のお茶のすする音
だけが部屋の中に響く。

二人だけの世界

そう思うと僕は思わず顔を赤らめた。
綾波に見られてなきゃいいけど・・・
余計に顔を赤くしながら、僕はお茶をすすった。

二人ともお茶をのみ終わった。間がもたない僕は急いで帰ろうとした。

「じゃ、じゃあ僕はこれで帰るから。」
「・・・」

立ち上がって玄関にむかい、僕はドアのノブに手をかける。

「・・・・あ、ありがと」
「え?じゃあ、綾波、また明日・・・」

僕は家路へ急いだ。ミサトさんが待ってるだろう。
でも最後に綾波、何て言ったんだろう・・・
僕には綾波の言葉が聞き取れていなかった。

一方、綾波は部屋で一人、今の言葉を反芻していた。

「ありがとう。感謝の言葉。初めての言葉・・・
でもなぜだか、初めてじゃないような気がする・・・・・・」

初めての戸惑いだった。


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