私立第三新東京中学校

第四話 綾波

ミサトさんが先生・・・・
しかも偶然にも僕のクラスの担任だって言うじゃないか。
あのグータラなミサトさんに本当に教師なんて勤まるのだろうか。
僕には信じられない。
授業中に缶ビール片手に暴れたりしなければいいけど・・・
それにしてもうちだけでなく学校でもミサトさんのおもちゃにされてしまうの
だろうか。
僕に安息の日は、
ない・・・・

「シンジ君!」
「え、なに?」

ここのところ考え事をしているせいか、どうも周りについて注意力が散漫にな
っている。寝不足なせいもあるんだろう。

「シンジ君、昨日はちゃんと寝たの?」
「え、うん。」
「本当かしらね。今日の朝礼も聞いてなかったみたいだし。」
「最近おかしいのよ、シンジ君。」
「ただの寝不足じゃないの、ミサト?」
「そうだといいんだけど、アスカのこともあるしね・・・」
「そうね。」
「ミサト先生、またシンジの奴ぼーっとしとりまっせ。」
「シンジ君!]
「・・・」
「しゃきっとなさい、シンちゃん!!」
「はっ、ミサトさん!何?」
「何じゃないわよ。人の話も聞かずにぼーっとして。シンちゃんも男の子なん
だから朝っぱらから眠そうな顔してんじゃないの。いい?」
「わかったよ。でもみんなの前でシンちゃんはやめてよ、ミサトさん。」
「あらどうして?いいじゃない、可愛くて。ねえ、リツコ。」
「私もそう思うわ。」
「リ、リツコさんまでそんな・・・」
「お二人はこれから僕たちの先生になるんだぞ、シンジ。先生に逆らうなんて
良くないな。」
「ケンスケの言うとおりや、シンちゃん。」
「ト、トウジ、おまえ!!」
「はいはい、二人ともそこまでよ。私とリツコは、職員室に行くけど、あなた
たちは教室で待ってて。」

こうして、僕たち三人は教室に向かった。
教室に入るとさすがに新しいクラスということもあって、ガヤガヤ騒がしかっ
た。

「トウジ、席の場所分かった?」
「あ、ちょっとまて。ええと、ケンスケが出席番号一番で右端の一番前。シン
ジがその後ろや。」
「トウジはどこなの?」
「わいは三列目の一番後ろや。」
「そう。じゃ、トウジ、後で。」

人込みをかき分けて僕の席にむかうと、見覚えのある景色が僕の目に飛び込ん
だ。

眩しいばかりの水色の髪、何を見ているのかまるですべてを見透かすような赤
い目・・・

綾波!!

まったく予想してなかったことだ。しかし今にして思えば、綾波がここにいる
のはおかしなことではない。むしろ今まで同じクラスだったんだから、当たり
前といえる。
綾波はいつもと同じく一人、本を読んでいる。周りの喧騒も綾波には何でもな
いかのようだ。
みんなにとってはいつもの綾波でも、僕にとっては違う。
あそこに座っている綾波は、僕の知ってる綾波じゃない。
僕の知ってる綾波は、もう、
いない・・・・

いたたまれなくなった僕は綾波から視線を逸らし、自分の席へと向かった。

!!!
重大なことに気づいた。僕の席はケンスケの後ろ。綾波の席はケンスケの左斜
め後ろだ。ということは・・・

僕の席は綾波の隣じゃないか!!

僕は自分の席につくと、綾波の反対側、つまり廊下の方をぼんやりと眺めた。
しかし、視線は反対側でも、僕の心は綾波の方を向いていた。

綾波・・・

綾波は何を考えていたんだろう?
いつもいつも一人でいた。
誰とも話をしなかった。
・・・・・・

何分たっただろうか、しばらくしてミサトさんがやってくるのが見えた。

ガラッ!!

勢い良くドアを開けると、ミサトさんはやや前のめり加減に教壇に手をついて
立ち、しゃべりはじめた。

「皆さんこんにちは。わたしが2年C組の担任、葛城ミサトよ。科目は社会
科。質問があったらどんどんしてちょうだい。できる限り、答えるわ。」

美人でさばけた先生を前に、クラスの男子はどよめいた。家での様子を見せて
やりたいよ、まったく。女子の方にもヒステリックな先生でなくてよかったと
いう安堵の声が上がっている。確かにそういう観点から見ればミサトさんは
教師に向いているのかもしれない。しかしミサトさんを侮ってはいけない。い
つかきっとグータラな心が・・・

そんな事を考えているうちに、一人の男子が手を挙げた。

「葛城先生、質問!!」
「ミサトでいいわよ。ミサト先生って呼んでちょうだい。」

ウォーー

男子連中は興奮のるつぼと化した。周りを見てみると、いつのまにかミサトさ
んを知ってるケンスケやトウジもその渦に飲み込まれている。女子の方は今度
はいささか気に食わないように見える。その筆頭が洞木さんだ。洞木さんは前
に委員長をやってたから、こういう無秩序なのが我慢ならないんだろう。とう
とう洞木さんも我慢できなくなり、立ち上がった。

「静かにしてください!隣の教室に迷惑です!!」
「いーのいーの、洞木さん。」
「良くありません!!」
「そんな固いこと言わないで。あなたも女の子なんだから楽しまなくちゃダメ
よ。」
「でも・・・」
「いーから!さ、すわって。」

よく訳の分からんミサトさんらしい理由だが、さすがに洞木さんも先生に反抗
するというわけにも行かず、おとなしく席についた。

「確か質問のあるコがいたわね・・・」

それから男子を中心とするミサト先生質問会が始まった。僕はミサトさんのこ
となら大体知ってるので、どうでもいい話を聞いているうちに、またうとうと
感が戻ってきた。みんなの声が子守り歌となり、眠気は強くなっていく。

ぐぅ・・・

熟睡モードに突入した。僕は机につっぷして寝入っている。ここのところの睡
眠不足もあってか、夢を見ることもなく爆睡していた。なんぴとも僕の眠りを
妨げる者はいない。トウジもケンスケも・・・

「シンジ君!!」
「ぐぅ・・・」
「碇シンジ君!!」
「・・・」
「起きなさい、シンちゃん!!」
「ん・・なんだミサトさ・・ん・・って、しまった!!」

僕はなんてことをしてしまったんだ!!
顔から血の気は引き、冷や汗が流れる。眠気は一気に吹き飛んだ。
よりによって、学校で熟睡してしまうなんて。
あたりは爆笑の渦だ。しかも周りからは「シンちゃ〜ん」というからかいの声
が聞こえる。トウジやケンスケだけでなく、クラス全員に聞かれてしまうなん
て・・・
僕は今度は顔を真っ赤にしてうつむいた。

「おきた、シンジ君?」
「は、はい。」
「いくら寝不足だからって学校で寝ちゃダメよ。」
「ご、ごめんなさい・・・」
「分かればいいわ。さ、次はあなたの番よ。」
「え、番って?」
「自己紹介よ。相田君が終わったから次はシンジ君の番。わかった?」
「は、はい。」
「そ、じゃ、始めて。」

困ったことになった。寝ていたので何を話すかまったく考えていない。
ただでさえ人前でしゃべるのは苦手なのに。でももう時間の猶予は残されてい
ない。僕は思い切って立ち上がった。

「い、碇シンジです。えーとえーと、と、とりあえずよろしく。」
「それだけ?他に何か話すことないの?」
「と、特にありません。」
「そ、まあいいわ。もうみんなシンジ君のことはよく知っているようだから。」
「え?」

大爆笑だ。周りを見るとクラスの中で笑っていないのは綾波くらいで、洞木さ
んさえも笑いをこらえきれずにいる。なんで僕が笑われるのかわからない。
確かに熟睡はしてたけど。
しかし、「ミサト先生と一緒に住んでるなんて、うらやましーぞー!!」とい
う声を聞いてはじめて僕は理解した。
みんなは僕とミサトさんが一緒に住んでいることを知っている!!さっきの質
問会でミサトさんが答えたに違いない。ということは僕は起こされるもっと前
に熟睡してるとこをみんなに見られてたというわけだ!!
いい笑い者だろう。ケンスケが「かわいそうに」という顔をしてこっちを見て
いる。
僕は新しいクラスでひっそりとやっていくつもりだったのに、初日からもう注
目される人物となってしまった。ショックだ。

自己紹介は次々と進んでいく。
僕はショックのあまり呆然としていた。
そのためまたミサトさんに、「シンジ君、寝ちゃだめよ!」と注意されてしま
った。またもや爆笑だ。もういいかげん止めてほしい。

ようやくぼーっとしていた僕を現実に引き戻したのは、ミサトさんのこの一言
だった。

「次は綾波さんの番ね。立って。」
「はい。」

そう返事をして、綾波は読んでいた本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
教室は急に静まり返った。今までの喧騒が嘘のようだ。

「綾波レイです。よろしく。」

一言述べると、綾波は腰を下ろし、また本を読みはじめる。

「あ、綾波さん、それで終わり?」
「はい。」
「・・・」

綾波はミサトさんの問いかけに対して、ちらりと目をくれて返事をしただけで、
本を読むのを止めようとはしなかった。
クラス中の人間が息を飲む。綾波の人を凍り付かせるような雰囲気はしばらく
教室全体に広まった。
ようやくその呪縛から逃れたのはやはりミサトさんだった。

「じ、じゃあ続きを始めましょうか。」

ミサトさんの一言でみんなの緊張は途切れ、何事もなかったかのように、再び
賑やかなクラスへと戻っていった。

やっぱり違う。
僕はそう思った。
みんなにしてみればこれが綾波だというのだろうが、僕にとっては違う。
これでは、僕が最初に出会った綾波、
いや、それよりももっとかたくななように感じる。
そう感じるのは僕だけなのだろうか?
やはり、僕が見た綾波の秘密、
セントラルドグマで見た、あの秘密を知ってしまったせいなのだろうか?
知らない方がよかった、あの秘密の・・・

僕は綾波に惹かれていた。
こういう感情を人は「好き」というのかもしれない。
零号機のエントリープラグの中で、綾波の笑顔を見たときから、綾波は変わっ
ていった。
でも、僕の知ってる綾波は、僕を助けるために、使徒とともに消えていった。
今の綾波は、僕の知ってる綾波じゃない。
僕の好きだった綾波は、もう、
いない・・・

思いはぐるぐる駆け巡る。
思考の迷宮にとらわれていた僕を解き放ったのは、終了のチャイムだった。

「さーて、休み時間の後に続きをやるわよー。」

ミサトさんはそういって解散を促した。みんなぞろぞろと立ち上がっていく。

「つらいな。」
僕はそうつぶやくと、立ち上がった。
綾波に話しかける勇気は、今の僕にはない。
こんな綾波を見るのはつらすぎる。
僕は逃げるように教室を後にした。

水道で思いっきり顔を洗う。
冷たい水の感触は、疲れきった僕の心をいくらかリフレッシュさせてくれた。
ハンカチで顔を拭いて、それをまたポケットにしまう。
すると、後ろから声がかかった。

「シンジ君。」

振り返るとミサトさんがいた。先ほどまでの表情とはうってかわってやや硬い
表情だ。こういう時のミサトさんは何か大事な話があるに違いない。

「何ですか、ミサトさん?」
「・・・シンジ君、レイと話、した?」
「・・・・・してません。」

僕はミサトさんの目を見て答えることができなかった。

「どうして?席、隣じゃない。」
「で、でも・・・」
「シンジ君の気持ちは分かるわ。わたしも、あなたといっしょにあれを見たん
だから。」
「じゃあミサトさんだって・・」
「でもね、シンジ君。それは逃げよ。何の解決にもならないわ。」
「分かってるよ。僕が逃げてるってことくらい。」
「あの時、逃げるのを止めたんじゃなかったの?」
「・・・」
「前を向いて生きなさい。現実から逃れることなんてできないわ。」
「・・つらいんだよ。苦しいんだよ・・・」
「・・・」
「・・僕は綾波が好きだった!でも僕の好きな綾波は、僕を助けて死んでいっ
た!!」

僕のしまいこまれていた感情は、このとき、ミサトさんに向けて解き放たれた。
これまでの僕の苦しみをはらすかのように・・・

「どうしてミサトさんは平気なの!!好きな人が、加持さんが死んだって言う
のに!!僕にはこんなの耐えられないよ!!」

「・・・・・平気なわけ・・・ない・・・じゃない・・・・・」
「え?!」
「わたしだってそんなに強くない!!今だってつらくてつらくて仕方ないわ!
あいつのことを思い出すたびに涙が出てくる・・・」
「・・・」
「でもね・・・私はあいつを忘れない。この世では死んでも、私の心の中でい
つまでも生き続けるわ。
だけど、シンジ君!あなたには現実にいるじゃない。こんなに近くに・・・」
「だけどあれは綾波じゃない!綾波はもういないんだ!!」

ビシッ!!

ミサトさんの手が、僕の頬を音高く打った。
不思議と痛みは感じなかった。
しかし、心は、痛かった・・・

「リツコが言ってたわ。このまえ、レイが、涙を流してたって・・・」
「!!!」
「あの時もそうよ。あなたを助けて、爆発していく直前にも・・・」
「・・・」
「誰のためにだと思う?」
「えっ?」
「シンジ君、あなたのために流したのよ。」
「・・・」
「レイはあなたと出会って、変わっていったわ。そして、その時の涙も忘れて
はいない・・・」
「・・・」
「それでもあなたは、レイじゃないって言い張るつもり?」
「でも・・・」
「確かにレイは変わったわ。でも、それは最初に戻っただけ。いなくなったの
とは違う。」
「ミサトさん・・・」
「戻る可能性はあるのよ。シンジ君、あなたならそれができるんじゃない?」
「ミサトさん!!」

僕はミサトさんの胸の中で泣いた。
いっこうに涙は止まる気配を見せない。
喜びと悲しみの入り交じった、不思議な感情。
いつもはこんな誰が見てるかわからないところで泣く僕じゃないけど、
今日はこのままでもいいかなって思った。


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