私立第三新東京中学校

第二話 病院にて

明日はいよいよ学校だ。久しぶりにみんなに会えると思うと、ずっと沈んで
いた僕の心もいくらか躍ってくる。昨日はいろいろ考えてしまって、あまりよ
く眠れなかった。やはり、闘いの傷痕は深い。

トウジとアスカ、そして綾波・・・

トウジも妹さんももう退院したそうだ。みんなの家は崩壊してしまって、住所
も電話番号も分からなくなっている。昨日せっかくケンスケから電話がかかっ
てきたんだから聞いておけばよかったな。しかしもう過ぎたことだ。それに
明日からは毎日会えるんだから。

「あら、シンちゃん、おでかけ?」

ミサトさんは今日は休みみたいだ。朝からビールを飲んでいる。

「明日から学校だから、必要なものをちょっと買ってくるよ。」
「ホントーにそれだけ?」
「それだけです。」
「ホントーに?」
「本当です。」
「そう、じゃあアスカの病室が変わったこと知らなくていいわよねー」
「え、アスカの病室変わったんですか!」
「そうよ。でも、シンちゃんは買い物だけだもんねー」
「そんな意地悪しないでくださいよー、ミサトさん。」
「もっと素直にならなくちゃダメよー、シンジ君。アスカのこと気になるんで
しょ?」
「そ、そんなんじゃありません!ただ・・・」
「ただ・・・何?」
「ただ、昔の元気なアスカがみたいな、って。」
「・・・ま、いいでしょ。シンジ君にしてはそのくらいが合格点かなー」
「教えてくれるんですか?」
「アスカを元気付けてあげるのよ!シンジ君だけが頼りなんだから。」
「はい!!」

というわけで、僕は買い物もそこそこにアスカの病室に向かった。病院のロビ
ーには病気の人よりも怪我の人の方が多く見られる。あの闘いの爪痕を生々し
く感じさせる場所だけに、ここに来るといつも後ろめたい気分にさせられる。
でも、ここから逃げては行けない。僕の背負った罪からは・・・

コンコン

僕は控えめにノックする。アスカは過度の刺激に敏感になっているから。

コンコン

もう一度ノックする。今度はもう少し強く。

「僕だよ、アスカ。シンジだよ。入ってもいいかい?」
「どうぞ・・・」

いい兆候だ。入院したてのころは何の反応も示さず、ただぶつぶつつぶやいて
いた。しかし、何度も来るうちに少し返事をするようになった。それでもまだ
昔のアスカには程遠い。病院の先生によると、感情の起伏を取り戻せれば回復
も近いといっていた。

ガチャ

ゆっくりとノブを回し、病室に入る。

「アスカ、具合はどうだい?」
「・・・」

アスカはこっちを見ようともしない。

「アスカ!」
「・・・シンジ?」
「そうだよ。」
「・・・」

アスカは何を考えているんだろう。僕に対して反応するとはいうものの、心は
僕の方をむいてはいない。
アスカはベッドの上にひざを抱えこんで体育座りをしている。アスカが僕の方
を向かないので、僕はアスカの正面に立ってアスカの顔を見つめる。

「アスカ、昨日ケンスケから電話があったよ。」
「・・・」
「明日から学校が再開されるんだって。」
「・・・」
「またみんなの顔が見られるよ。」
「・・・」
「アスカも行こうよ、学校。」
「・・・」
「僕が弁当作るからさ。」
「・・・」
「行こうよ、アス・・」

コンコン
「アスカ、入るわよ。」

ノックの音がして誰かが入ってきた。

「洞木さん!」
「碇君?」
「洞木さんもアスカのお見舞い?」
「ええ」
「じゃあ、僕はこれで・・・」
「ちょっと待って!」
「え?」
「うちに来てくれない?話があるの。」
「話って?ここじゃだめなの?」
「だめってことはないけど、ペンペンも返さないといけないし。」
「ペンペン!忘れてた!!」
「忘れるなんてかわいそうね。あたしがもらっちゃおうかしら。」
「ご、ごめん・・・」
「冗談よ。少しロビーでまっててくれない?アスカに話があるから。」
「わかったよ。」
「じゃ、あとで。」

ロビーに戻ると僕は隅の椅子に腰掛けた。この人数にもかかわらずロビーは思
いのほか静かだ。「いやな静けさだな。」僕はつぶやいた。にぎやかな方が人
の生気を感じられる。こう静かだとみんなが僕を見つめているような気がして、
胸が苦しくなる。しかしもう戻れない。血にまみれた僕の手を洗い流すことも
できない・・・
周りを見るともっと憂うつになりそうなので考えをアスカに戻すことにした。

アスカ・・・
人一倍元気だったアスカ。
いつも周りを明るくしてくれたアスカ。
プライドの高かったアスカ。
いつも僕をひっぱたいてたアスカ。
今ではその痛みも懐かしい。
あの時のキス。
僕の初めてのキス。
そう言えばアスカは何を考えていたのだろう。
僕はアスカの気持ちを何も知らない。
何も知らない・・・
僕が加持さんに父さんの話をしたとき、人は他人を完全に理解することはでき
ないっていってたっけ。
本当にそうなんだろうか。
でも僕は、アスカの気持ちを
知りたい・・・

「碇君!」
「洞木さん・・・」
「待たせたわね、さ、いきましょ。」
「うん・・・」

僕と洞木さんは病院を出た。しばらく歩きながら話をした。しかしそれは洞木
さんが僕に話したかった話でなく、学校のことや友達のこと、避難生活のこと
など、とりとめのない世間話だった。そう、アスカの話ではなかった。

「ところで洞木さん。」
「なに?」
「話って何?」
「え?」
「病室で話があるって言ってたじゃないか。」
「そうよね・・・」
「アスカのことでしょ?」
「そうよ。でもそれだけじゃないわ。」
「それだけじゃないって?」
「す、鈴原のことよ。」
「トウジ?」
「そ、そう。私は委員長として鈴原の御見舞いに行ったの。」
「・・・」
「鈴原は片足を失ったけれど、ぜんぜん落ち込んでなんかいないわ。だから碇
君はあんまり思いつめちゃだめだって鈴原が・・・」
「そのことはケンスケから聞いたよ。」
「そうなの?じゃあ・・」
「でも僕は僕を許せない。僕にはあれを止めることができたはずだ。しかしで
きなかった。いや、できたのにしなかったんだ!」
「そんなことないわ。鈴原だって碇君に済まないって言ってたもの。」
「トウジが?」
「ええ。あいつは繊細すぎる奴やから、きっと自分で自分を苦しめとる。わい
のせいでこないなったのに。しかも死んでまうとこを足一本ですんだんや。
感謝せなあかんとこをあいつを苦しめてまうとは・・・ってね。」
「でも・・・」
「明日会ったらしっかり話をするのね。でも、その元気さに却って拍子抜けす
るかもね。」
「わかったよ。そうしてみる。」
「じゃあ、これで問題は一つ終わったとして、次はアスカね。」
「うん。」
「私はほとんど毎日御見舞いに行ってるんだけど、どう?碇君のときは何か話
す?」
「ううん。自発的な話は何も・・・」
「そう・・・碇君の場合もそうなんだ。碇君とならアスカも話をすると思った
んだけど・・・」
「どうして?」
「どうして?って、碇君、あなたまさかアスカの気持ちに気づいてないの?」
「え、どういうこと?」
「やっぱり男子は鈍いのよね。アスカはねぇ、碇君のことが好きなのよ。」
「え!?]
「やっぱり気づいてない。誰が見たって分かることじゃない。」
「で、でもアスカは僕のことを馬鹿だの男らしくないだの言って・・・」
「でもアスカは碇君のこと、すごく心配してたわよ。」
「・・・」
「まあ、あれはあこがれるっていうよりは、守ってやりたいっていうものに近
いけどね。」
「・・・」
「アスカが碇君のことを見守っていたのは事実なんだから、今度は碇君がアス
カを守ってやる番よ。」
「僕が・・アスカを・・守る・・・」
「そう。いいわね。」
「うん・・・」
「さ、うちについたわ。今ペンペンを連れてくるから待ってて。」

僕はペンペンを連れてミサトさんの待つうちへ向かった。
アスカが?僕を?好き?
あまり実感はないが、そう見ればあの時のキスも納得がいく。でもてっきりア
スカは加持さんのことが好きなんだと思ってた。
そう言えば加持さん、最近見ないな・・・どうしたんだろう・・・

「ただいまー」
「おかえり、シンちゃん、って、ペンペンー!」
「クェ〜!!」
「ミサトさんも忘れてたんですか?」
「ち、ちょっちここんとこ忙しかっただけよ。忘れてなんかないわよ。」
「本当ですかぁー?」
「ほ、本当よ。ところでアスカの様子、どうだった?」
「いつもの通りです・・・」
「そう・・・ま、根気良くやんなさい!時間をかければきっともとのアスカに
戻るわ。シンちゃんも男の子なんだからアスカを守るのよ!」
「アスカを守る、か・・・・」
「そうよ、シンジ君。これからが大変よ。」
「ところでミサトさん?」
「何、シンちゃん?」
「加持さん、見ませんでしたか?」
「!!!」
「ど、どうしたんですか、ミサトさん!?」
「加持くんは・・・・」
「・・・」
「死んだわ・・・」

僕はミサトさんにかける言葉が見付からなかった。
そして、夜は更けていった・・・

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