ぐつぐつぐつ。
今日もおなべがよく煮える。
夜のだいたいこの時間、いっつも換気扇はフル活動だ。
にんじん柄のエプロンがちょっと恥ずかしいけど、自分でもなかなかお似合いだと思っている。

キッチンにふわりと広がる、かつおのおだしとほんのちょっとのお味噌の香り。
今日もしあわせいっぱいの食卓だった。




あまいのだいすき

Written by Eiji Takashima




「まーだーっ?」

テーブルの方から催促の声。
何故かちっちゃな子供のように両手で一本ずつ箸を握り締め、お茶碗をチンチンと叩いている。

「おなかすいたよー。まーくーん!」

ちなみに声の主は子供でもない。
それどころかこの俺よりも年上だ。

「はいはいー、もうすぐ出来るから待っててねー」

黙っていればちょっと感じのいいお姉さん。
喋ったとしても、一家に一人欲しくなるような、そんな美人のお姉さん。
でも、俺の前ではただのおこさまだ。

おなかをすかせたかわいいひよこ。
自分の家では決して使わないようなうさぎ柄のちっちゃなお茶碗は、既に楽しげな楽器に変貌していた。

「ごっはんっ、ごっはん〜♪」
「あー、お行儀悪いからその辺でストップなさい。ほら、お茶碗貸して。ごはん盛ったげるから」
「はーい」

うさぎ柄のお茶碗を奪い、炊飯ジャーの蓋をかぱりと開ける。
炊き立てのごはんからはもわっと湯気が。
しゃもじを持った手が一瞬あちちだが、やっぱりごはんはこうでないといけない。

「美織さーん、どのくらい食べるのー?」
「てんこもり!!」

盛りレベルを尋ねると、間髪入れずに返事が返ってきた。
そもそも子供用のお茶碗だから、てんこもりにしようが大した量じゃない。
ただ、美織さん曰く、それがドリームなのだそうだ。
まあ気持ちはわからなくないので、俺は可能な限りのてんこもりで、その期待に応えてあげることにする。

「ぺたぺたぺたっと、これで限界だよー」
「うむっ、よしよし」

箸をぐーで握った両手の間に、てんこもりのごはんを置いてあげる。
漫画ちっくなビジュアルに、美織さんは偉そうに首を縦に振っていた。

「それと、おかずはこれとこれっ。今日の晩ごはんは以上!」

ごはんの他に、玉ねぎのお味噌汁と野菜炒め、それからポテトサラダという、そこそこ簡素な食卓だった。

「どう、これで足りる?」
「うーん、70てん」

難しそうな顔をして採点する美織さん。
ちなみに箸はもう左手に集まり、食べる寸前状態だ。

「あ、そうそう忘れてたけど……」
「なぁに?」
「杏仁豆腐、作ってみたんだ。冷蔵庫で冷やしてあるから、食後に二人で食べようね」
「わあっ、それなら95てん!!」

追加のデザートでようやく及第点に達する。
毎晩うちにメシをたかりに来てるのに、実に贅沢でわがままなおひとだ。

「それじゃ、問題なさそうだし……」
「うんっ、じゃあそろそろ……」
「いっただっきまーす!!」

仲良く頂きますの挨拶をして、俺と美織さんはごはんを食べ始めた。

「ずずず……」

まずはお味噌汁のチェックから。
ちょっとだしを強めにしたのがいい感じだ。
玉ねぎの甘味も程よく出ていて、普通においしい。

「うんっ、まあまあ合格」

お味噌汁はおっけー。
そして俺は向かいにいる美織さんのリアクションを確認すべく、視線を向ける。

「えーい、どぼどぼどぼ……」
「って、ちょい待ち!!」

慌ててその手首を掴んだ。
このひとはかわいい顔して、突拍子もないことをするから恐い。

「ちょっとまーくん、邪魔しないでよぉ」
「アナタ、邪魔も何もねぇ……」

どうやら本人には悪気のかけらもなかったようだ。
でもなぁ、いきなりポテトサラダの鉢に、ウスターソースを全力でかけるなんて無茶だろ、無茶。

「まーくんのごはん、ちょっと薄味すぎるよー」
「いーえ、これが普通です。ってゆーか、ソースかけたきゃ取り皿に分けて自分のだけかけなさい」
「えー」

俺としては正論を説いているつもりなのだが、美織さんは不満たらたらだ。
露骨に嫌そうな顔をして、こっちを見つめる。

「えーじゃありません、えーじゃ」
「でも、おソースかけるとおいしいんだよ、まーくん」
「そういう問題じゃなく……」
「もうっ、しょうがないなぁ。はい、あーん♪」

何を血迷ったのか、ソースの染みたポテトサラダを箸で俺に向かって差し出してくる。
その言葉といいこの状況といい、やっぱりこれは、そういうことなんだろう、うん。

「まーくんも食べてみればわかるよ。ポテトサラダにはおソースが必要なんだーって」
「…………」
「ほら、はやくはやく〜。早くしないとおねーさんが食べちゃうぞー」
「……食べてもいいですよ、別に」
「あぁん、そんないじわる。ほら、せっかくあーんしてあげてるんだから、食べてちょうだいよー」
「わかりましたよ、もう……」

このひとが駄々をこね始めると手がつけられなくなる。
俺は仕方なく顔を近づけて、ポテトサラダを口でキャッチした。

「もぐもぐもぐ……」
「どう、おいし?」
「……んぐ、おいしいよ、美織さん」
「えへへ、でしょう? だから今度からはおソースかけましょう。はい、決まりっ」

別に俺はソースの是非について咎めていた訳ではないのだが、美織さんにそう勝手に解釈されてしまったようだ。
その当人はというと、問題解決してハッピーとばかりに、ニコニコしながらごはんを再開している。

「あー、おいしっ、やっぱりまーくんのごはんはいいね〜」
「って、さっきまで薄味だーって文句言ってたくせに……」
「まあまあ、気にしない気にしない♪」

文句を言いつつ、毎晩のように晩ごはんを食べに来るこのひと、岩崎美織さんは、俺にとってはお隣さんになる。
どうやら世間では才色兼備という扱いを受けているらしいが、とにかく家事全般が駄目なのだ。
隣の部屋の換気扇から美味しそうないい匂いがして来たから、というだけで勝手に見初められてしまい、こうしてごはんを作ってあげるようになってしまった。

「それで、今日のお仕事はどうだったの?」
「んむー、まあまあ」
「それじゃ答えになってません」

俺の質問にも上の空。
もぐもぐやりながら、こっちを見ることもなくごはんに夢中だ。

「ったく、これでも聖職者かね……」

ちなみにこのひと、お仕事はなんと中学校の教師をしている。
今の子供はすれているから、美織さんみたいなぽんぽこしたキャラは、年下同然に扱われてるんじゃないかって思うけど、俺に見せるこのだらけた様子とは裏腹に、学校では生徒たちに厳しく接しているようだ。

「まーくんが心配しなくってもだーいじょうぶ。これでもこの美織さん、学校ではしっかりとせんせーしてるのです」
「はいはい、それは何度も聞きましたって」
「しっかりした大人のレディを演じるのは、すっごーーーく疲れるんだよー、これが」
「でしょうね、このギャップを見ればわかりますよ」

美織さん曰く、これが本来の自分の姿なのだそうだ。
でも、教師としてゆるゆるな性格ではやっていけない。
ということで、そこは大人としてしっかり演技しているようだ。

「だからこうしてまーくんのところで息抜きを……」
「って、なぜキクラゲばっかり!?」

油断も隙もないひとだ。
話に入り込んでいる隙を見て、野菜炒めに入っているキクラゲばかりを集め、自分の取り皿にてんこもりにしている。

「ちぇー、バレたか」
「バレたかじゃありません。独占禁止法違反!」
「もう、いいじゃない、キクラゲくらい。美織さんはキクラゲが好物なのですー」
「それは知ってます。でも、俺だってキクラゲ食いたいのに」
「はーい、それじゃちょっとだけおすそ分け〜」

美織さんは誤魔化すように、俺に向かってキクラゲを差し出す。
あーんとは言わないが、さっきと同じシチュエーションだ。

「だめー、もう誤魔化されないよ、美織さん。キクラゲを返却してください、はい」
「えー、そんなお行儀の悪い。一度取ったものを戻すのは反則なんだよー」
「そうやって、あーんってやるのも、十分お行儀悪いと思うけどなぁ」
「あーんはラブなのだよ、まーくん。ラブは何にも勝るのですっ」
「はぁ……」

相変わらずの無茶苦茶な理論だ。
しかしこのひと、かわいい顔して存外に頑固者だから、集めたキクラゲは絶対に返さないだろう。

「ということで、まーくんがキクラゲ希望なら、この美織さんのおはしから食べるしかないのです」
「……やっぱり、どうしても?」
「もっちろん、どうしてもだよ」
「わかりました。それじゃ、キクラゲください、美織さん」

あーんをされるのは恥ずかしいものの、やっぱり俺もキクラゲが食いたい。
元々キクラゲなんて好きでもなかったが、今ではキクラゲ好きな美織さんに完全に感化されてしまった。
ちなみに美織さんは魚肉ソーセージも好きだ。
冷蔵庫にキープしてないと、いつもほっぺたを膨らませる。

「はーい、それじゃ、あーん♪」
「あーん……ぱくっ」
「おいしいおいしいキクラゲさんですよー。こりこりっ」

歯ごたえの擬音まで口にしてくれなくてもいいと思うが、それでもあーんしてもらったキクラゲはおいしかった。
しかし、キクラゲは単体で食うよりも、他のものと一緒に味わった方がいいような気がする。
でも、それを美織さんに言おうものなら、また何かおかしなことをさせられそうなので、黙ってキクラゲを堪能させてもらうことにした。



こうして、どことなく新婚さんちっくな晩ごはんを終え、まったりと一緒にテレビなんか見たりする。
ちなみに、俺は後片付けをしながらの斜め見だ。
美織さんと膝を揃えてなんてことは、決してあり得ないのが悲しい。

「ねー、まーくーん、あんにんさんまだー?」

あんにんさんとは、きっと杏仁豆腐のことだろう。
こっちがまだ洗い物の途中なのに、実にのんきなことだ。

「今お皿洗ってるからー。欲しかったら勝手に取って食べててー」

まさか冷蔵庫に取りに行くのを嫌がるほど横着なひとでもあるまい。
洗い物を中断させてまだあんにんさんのお運びをするのも癪だったので、そう答えてみた。

「うーん、じゃあやめとくー」
「どうして? もしやめんどくさいとか……」

まさかあるまいと思っていたことが、現実になろうとは。
美織さんはわがままで子供っぽいひとだってのはわかってたけど、ちょっと失望しかけてしまった。

「そんなことないよ、まーくん」
「えっ?」
「さっきまーくんと約束したでしょ、いっしょにたべよって」
「あっ……」

すっかり忘れていた。
後で一緒に食べようって言ったことを。
俺はさして難しく考えず、軽い気持ちでそう言っただけなのに……まさか美織さんがそれを覚えていたとは思ってもみなかった。

「だから、まーくんの手があくまで待つよ。美織さんは大人なのであんにんさんくらい待てるのです」

いつものペースで笑って言う美織さん。
でも、俺は美織さんを一瞬でも悪く思った自分が恥ずかしかった。

「……ごめん、美織さん」
「ど、どうしたの?」
「俺、美織さんがただのものぐさだと思っちゃった。だからごめん」

黙っておけば、それで丸く収まる話だったかもしれない。
でも、胸に隠したまま美織さんといつものように楽しくお話できる自信がなかった。

「そんな、別にいいよ、まーくん。わたし、ほんとにものぐささんだし」
「いや、でも……」
「いーのっ、もう気にしちゃダメ。そんなことより早く終わらせて、いっしょにあんにんさんしよっ」
「う、うん……」

こういうところは、やっぱり大人なんだって思う。
些細なことはおおらかに受け止めてくれる、それが美織さんの魅力のひとつだった。



そして手早く洗い物を終え、杏仁豆腐タイムの開始となる。
美織さん風に言うならば、あんにんさんタイムだ。

「わー、あんにんさーん、会いたかったよー」
「初めて作ったんで、味の保障は出来ませんよ」
「いいっていいって。いまいちだったらはちみつかけちゃうから」
「なるほど……」

俺の講釈よりも、とにかく早く食わせろって感じの美織さんだ。
さっきあれほどたらふく食ったと言うのに、顔に似合わぬ健啖家ぶりを発揮している。

「むー、あまいものはべつばらー!」
「……は?」

いきなりこんなことを言い出す美織さん。
俺は訳がわからず目を白黒させてしまった。

「まーくん、わたしのこと見ながら、食べすぎだーって顔してたよ」
「あ、いやそれは……」
「ふふふ、美織さんアイはレントゲンよりすごいのですっ。どう、まいった?」

美織さんはふふりと笑いながらこっちを見ている。
それ見たことかって感じが露骨に出ていて、実に美織さんらしい。
俺は半ば呆れつつも、毎度のことなので割り切って負けを認めることにした。

「……はぁ、参りました参りました」
「それじゃ、あんにんさんはじめてもいいよねっ?」
「うん、そうだね。じゃあ食べよっか」
「いっただっきまーす!」

本日二度目のいただきますの挨拶。
俺と美織さんはちょこんと並んで座りながら、初めての杏仁豆腐に舌鼓を打つことにした。

「……どうかな、美織さん?」
「はむっ、もぐもぐもぐ……」
「おいしい? それともおいしくない?」

まずは最初に美織さんに先に味見してもらうことにする。
俺も杏仁豆腐なんて作るのは初めてなので、感想はとても気になるところだ。
しかし、そんな俺の心境とは裏腹に、美織さんは軽く目を伏せながら、何やら小さくうなっていた。

「うーん……」
「ちょっと美織さん、そんなうなってないで何とか言ってよ」
「……62てん!」
「えー」

美織さんにしては辛口だ。
俺はつい失望の声をあげてしまった。

「やっぱりまーくんってば薄味だよー。ちっともあまくないもん」
「えー、そうかなぁ?」

言われてみて、俺も慌ててスプーンですくうと口に運ぶ。
ほんのり甘いシロップは、ひんやりしていて美味しい。
そして杏仁豆腐は噛むとふんわりミルクのような香りがして、実に上品な味に仕上がっているような気がする。
というか、俺的にはコンビニの杏仁豆腐なんかとは比べ物にならないくらいに美味しく感じた。

「うまっ! これうまいじゃん、美織さん」
「だからおいしくないとは言ってないよー。もっと甘い方がいいかなーって」
「まあ、女のひとは甘いの好きだろうけど、これ以上甘いと甘いだけになっちゃうよ」

そうそう、甘いと単にくどいだけなのだ。
爽やかで切れ味のあるすっきりとした甘味が、杏仁豆腐の持ち味なのに。

「でも、美織さんはもっとあまーいのがお好みなのです。以後そうしてくれるよう、お願いしますー」
「はいはいりょーかい。でも、甘くしすぎて太っても知らないからね」

今時のおんなのひとは割とヘルシー志向なのかと思ってたけど、この美織さんは大違いだ。
甘さもしょっぱさもきつめが好き。
何にでもお醤油やソースやはちみつをどぼどぼとかけてくれる、料理人泣かせなお客さんだった。

「ということで、美織さんもちょっとは……」
「こらーーっ!!」
「ふぇっ!?」

いきなりスプーンを振り上げて大きな声を出す美織さん。
俺も慌てて腰が引けてしまう。

「ど、どうしたの、美織さん?」
「おんなのこに太るとか言っちゃダメーっ! そういうのはマナー違反だよ、まーくん」
「う、うう、ゴメンナサイ……」
「もうっ、美織さんみたいにスタイルのいい子ばっかりじゃないんだよ。同じノリでそういうこと言ったら、すぐ村八分にされちゃうんだから」

美織さんは珍しく、ぷんぷかぷーんって感じで怒っている。
怒ってもかわいいひとなのだが、やっぱり怒らせているのはよくない。
俺は素直に謝ることにした。

「わたくしがわるうございました。反省してます」
「うむ、反省の意、しかと聞き届けた」
「……許してくれる?」
「うん、許しちゃうっ」

ぱっと明るくなる美織さんの表情。
怒り顔も悪くないけど、やっぱり笑っている方がかわいい。

「それじゃ、さっそくたべちゃお。あんにんさんもぬるくなるとかわいそうだからね」
「って、はちみつは?」
「うーん、今日はやめとく」

薄い薄い言ってた割には、妙にあっさりと引き下がる。
少し拍子抜けさせられて、美織さんの顔を覗き込んだ。

「あ、別にふとるの気にした訳じゃないからね。パティシエのまーくんに対する礼儀なのです」
「はぁ、そいつはどうも……」
「ということで、気にしなくていいからね。次から甘ささくれつで作ってくれればいいから」

そう言ったかと思うと、相好を崩しながら、さも幸せそうにあんにんさんを口に運んでいった。
さっきポテトサラダにソースをかけた一件はどうしたよ、と思いつつも、余計なツッコミは避けておくことにする。
美織さんが幸せそうならばそれでいい。
取り敢えず今は、はちみつかけずにいてくれたんだし。



そして、あんにんさん祭りも終え、だらりとした時間は過ぎていく。
美織さんはあくびをしながら、テレビの電源を落とした。

「ねーむーいー」
「そろそろ寝る? まだ早いけど、美織さんはお仕事でお疲れだもんね」
「その前におふろー」

さも眠そうなふにゃふにゃした声で俺に訴えかける美織さん。
この時点で、自分の部屋に戻ってシャワーを浴びるという意思は微塵もなさそうだ。

「はいはい、それじゃ準備しますんで待ってて下さいよー」
「まーくんかっこいい〜」
「んなお世辞は結構ですから。沈没せずに待ってて下さいよー」
「あいあいさー。美織さん待ちもーどはつどー」

お風呂の用意をしに行く俺の背中に、だらしない声がかけられる。
美織さんが本当に待っててくれるかどうか怪しいが、とにかく信じて急ぐことにした。



しばらくして、お風呂掃除&湯だめが完了した。
部屋に戻ってみると、美織さんはとろんとした目で俺を出迎えてくれる。

「まーくんおそーい。もう3時間はいねむりしちゃったよー」
「……んなバカな。せいぜい20分がいいトコですよ」
「えっへへ、じょうだんなのだ〜」

眠そうというより酔っ払ってるようにも見える。
まあ、どちらにせよ、完全熟睡は免れたようで俺はほっと胸を撫で下ろした。

「それじゃ、一人で入って来れます?」
「にゅー、おふろいれてー」
「……はいはい、それじゃ一緒に入りますか」

仕方なく、美織さんをお風呂に入れてあげることにする。
まあ、よくあることなので、俺も気にしないことにした。

「おふろまでつれてってー」
「わかってますよ。起きてても、運んで欲しいくせに」
「それがおとめごころなのだー」

俺と少し話をして、美織さんも目は覚めているのだろう。
でも、こうしてへにゃりとなっていつも甘えてくる。

「それじゃ、運びますよ……」
「あー、よっこらしょ、とか言っちゃだめだからねー」
「はいはい、よっこらしょもどっこいせも何も言わないから」
「うむ、よしよし。美織さんは羽毛のようにかるいのですっ」
「ええ、羽毛のように軽い美織さんですねー」

美織さんのふにゃふにゃトークに話を合わせながら、その身体を抱き上げた。
あまり重そうな様子を見せないように気を遣いつつ、お風呂場へと連れて行く。

「きゃー、らちられるー」
「って、失礼なこと言わないで下さい」
「あはは、じょうだんじょうだん。まーくんかっこいい〜」
「誤魔化しても駄目。もう、美織さんったら……」
「ごめーん、でもかっこいいのはほんとだよ」

ちょっとだけ真面目な顔でそんなことを言ってくれる。
男として、美織さんみたいなきれいなひとに言われて嬉しくない訳ないけれど、気恥ずかしくて何も言えなくなってしまった。

「っと、このへんでいいよ。ありがと、まーくん」
「あ、うん」
「いちおー、服は美織さんが自分で脱ぎますので」
「それじゃ、俺はこれで……」

俺の役目も済んだと思い、引き下がろうとする。
が、そんな俺の手首を美織さんが掴んだ。

「ちょっとまーった!」
「って、どうしたのさ、美織さん」
「さっきまーくんは言いました。いっしょにお風呂入るって」
「いやでもここまで運んだし、自分で服脱げるなら……」

そう言った瞬間、美織さんがぎゅうっと俺の手首に力を入れる。
痛くはないけれど、正直驚いた。

「そんなこと言うと、つねるよ」
「いでででで!!」

そして反論の余地もなく、手の甲をつねられた。
流石にちょっとだけ痛い。

「もっとつねろうか?」
「い、いやそれだけは勘弁」
「なら、いっしょに入ろうよ。服も、まーくんが脱がせたいなら、脱がしてもいいし」

上目遣いになって、まるでおねだりをするように。
ただでさえ美織さんはかわいいのに、そういうことをされると更に攻撃力は増す。
好きなひとにそこまで言われては、俺だって断るはずがないってもんだ。

「……じゃあ、一緒に入りましょうか」
「うん、けってーい」
「もう、そんなにはしゃがなくても……」
「だってうれしいんだもーん!」

美織さんは子供のようにはしゃぎながら、一緒のお風呂タイムを喜んでくれた。
俺よりも年上なのに、なんだか年下の子でも相手にしているかのよう。
そんな無邪気な美織さんを、微笑ましく見守っていた。

「それで、まーくんはどうする?」
「へ?」
「へ?じゃないよー。美織さんの服、脱がしたい? 乱暴なことしないなら、脱がしてもいいんだよ」

子供っぽい仕種はどこへやら。
ほんのり年相応の妖艶さを覗かせて、美織さんが俺に尋ねていた。

「あ、そうだ。まーくんの服、美織さんが脱がしてあげたいなー」
「……別に構いませんけど」
「それじゃきまりー」

そう言うと、いきなりすっくと立ち上がって、美織さんが俺の服に手をかけ始めた。
別に初めてのことじゃないけれど、なんだかちょっと気恥ずかしい。

「むふふ、若いおとこのこを毒牙にかける女教師なのです……」
「って、そんなぷにぷにほっぺで言っても説得力ないですよ」
「えー、ひどいー。美織さんはこれでも職場では生徒達にえっちな目で見られて困ってるのにー」
「そりゃまあ、美織さんはかわいいし、美人ですから」

美織さんの性格がどうあれ、やっぱり美人だし、中学生くらいには目の毒に違いない。
俺が中学の時にこんな先生がいたら、きっと授業なんか上の空になってしまうだろうと思った。

「わわっ、まーくんがほめてくれた。なんかうれしいなぁ〜」
「俺は事実を述べただけだけど」
「でも、まーくんってばあんまりそういうこと言わないでしょ。だからとくべつ」
「なるほど……」

美織さんは実に幸せそうな顔をしながら、俺の服を脱がせていく。
俺も、美織さんを邪魔しない程度に、ブラウスのボタンを外していった。

「えへへ、脱がしっこだね、まーくん」
「うん……手、邪魔じゃない?」
「ちっとも。ぶつからないように、すっごく気にしてくれてるんでしょ?」
「まあ……」
「やっさしいんだから。ずるいよ、まーくんは……」

まったりと会話を交わしながら、俺と美織さんはお互いの服を脱がしていった。
そして、二人とも一糸も纏わぬ状態になってから、初めて軽く顔を見合わせる。

「ちょっぴり恥ずかしいね……」
「うん……」
「ふふっ、まーくんの、ちょっとおっきくなってる……」

ちょんっと指で突っつく美織さん。
でも、残念ながらその指摘は正しいので、俺は何とも言えない。

「ほらっ、このままだと風邪ひいちゃう。早く入ってあったまろ」
「あ、うん」

ここでふざけあっていてもしょうがない。
美織さんの促しに応じて、俺はお風呂場のドアを開けて中に入っていった。

「はーい、まずはあらいっこでーす」

身体を洗うタオルにボディソープをたっぷりとつけて、美織さんは早くも臨戦体制に入る。
ちょいちょいと指で合図して、俺に後ろを向かせた。

「よしよし、今日もおっきな背中だね」
「って、背中は縮まらないよ、美織さん」
「わかってますっ、ちょっと言ってみたかっただけなんだからっ」
「はいはい……」

軽くふざけた会話をしてから、美織さんが俺の背中をこすり始めた。
もう何度も美織さんとお風呂に入っているから、力加減はお手の物だ。

「おきゃくさーん、かゆいとこないですかー?」
「いや、特には……」
「じゃあ、かゆいとこつくってくださーい」
「んな無茶な」
「えへへ、じょーだんだよ。少し強くこするね」
「あ、うん……」

ふざけながらも、美織さんの洗い方は的確だ。
いつもこんなだから気付かないけど、このひとは真面目で頭もよくて人一倍努力する方だから、背中の流し方も上達しただけに過ぎない。
初めて一緒にお風呂に入った時はひどいもんだったけど、今ではそんなかつての出来事が嘘のように、丁寧に背中を流してくれた。

「はーい、それじゃお背中おしまいっ。次は前だね……」
「あ、その前に美織さんの背中を俺が流すよ」
「……いいの?」
「うんっ、美織さんもそのままじゃ寒いでしょ。お湯かけたりしないと風邪ひいちゃう」
「それもそうだね。美織さん、ちっとも気付きませんでした」

ぐーでこつんと自分の頭を叩くと、美織さんはちろっと舌を出しておどけて見せた。
こうして裸になっていても、決してかわいらしさを失わないところが美織さんらしい。
俺はそんな様子にほっとしながらタオルを受け取ると、美織さんに背中を向かせた。

「はーい、それじゃ洗いますよー」
「おねがいしまーす」

手の中でタオルを泡立ててから、さっそく美織さんの背中を流し始める。
しかし、こうして間近で見るとよくわかるが、真っ白で綺麗な背中だ。
こんなざらざらしたものでこすると傷つくんじゃないかって思うくらいに、お肌はすべすべを保っている。

「美織さん、相変わらず背中きれーだねぇ」
「そうなの? 自分じゃ見えないからよくわかんないよー」
「まあ、俺も美織さん以外の背中なんて見たことないから、これが普通なのかもしれないけどさ」
「むー、喜んでいいのかがっくり来ていいのか、迷ってしまう美織さんですー」
「あはは、喜んでいいって。少なくとも、俺は褒めてるつもりなんだから」

俺は多少弱めに美織さんの背中を流しながら、このまったりとした時間を楽しんでいた。
色々困らされることも多いけど、このひとがいるおかげで俺は幸せになれた気がする。
このふにゃっとした声を聞くだけで、とにかく心が和まされるんだ。



「はーい、それじゃおしまい。お湯かけるからじっとしててねー」

背中を流し終わってそう言うと、美織さんは身体をぎゅっとさせて熱いお湯がかかるのを待つ。
熱すぎないように軽く手でチェックしてから、ゆっくりと手桶で泡を洗い流した。

「おつかれさまでしたー。さーてお次は……」
「……前、かな」

お互いに背中を流し終えて、再び正面を向き合う。
お風呂場の湯気のせいなのか、それとも照れているのか、美織さんの頬は少し上気して赤くなっていた。

「まーくん、ちゃんと毎日洗ってる?」
「……う、うん」

美織さんがおずおずと俺のものに触れる。
そして指先でそっと撫でてくれた。

「……むいて、中も洗うんだよ。むくくせをつけないと、だめなんだから……」

細い指先で硬くなり始めたものをつまむと、ゆっくりとスライドさせていく。
美織さんの手で、俺は皮を剥かれていった。

「っ……」
「いたい?」
「あ、ううん、痛くない」
「そ、そうだよね……もう、なんどもむいてあげたもん……」

美織さんは俺を完全に剥いてしまうと、指の腹でくびれた部分をこする。

「くっ……」
「すこしだけ、我慢して。ほんとは自分でやんなきゃだめなんだよ、まーくん」
「う、うん……」

優しく指先で俺を洗ってくれる。
一番敏感なところをこすられて、俺ははしたなく膨らんでいった。
でも、美織さんは意地悪してからかったりしない。
何も言わずに、俺を丁寧に洗い続けてくれた。

「それと、ちゃんと自分でしてるの?」
「えっ?」
「まーくんはまだ高校生なんだから、たまに白いの出さないと大変でしょ」
「あ、うん……」
「あんまり美織おねーさんを頼っちゃだめだぞー。自分でコントロールしなきゃ」

普段はだらしない美織さんも、こういう時は妙に教師魂を発揮してくれる。
自分ですることも美織さんに教えてもらったし、お風呂場ではちっとも頭が上がらなかった。

「ふふっ、お料理じょーずでも、まーくんはやっぱりまーくんだね」
「って、どういうこと?」
「かわいい、ってこと。この美織さんとおんなじくらいかわいいよ、うん」

にっこり笑って断言する美織さん。
でも、その手は俺のものをキープしたままだ。

「そんなことない……美織さんのほうが、ずっとかわいいよ」
「……ほんとに?」
「うん」
「えへへ、うれしいなぁ……まーくんに言われるのが一番うれしい」

照れ笑いを浮かべながら、美織さんはそっと胸に手を当てて俺の言葉を受け止めていた。
何にもしてくれなくっても、美織さんがそばにいるだけで幸せになれる俺と同じように、美織さんも俺のことを想ってくれているように感じる。
そっと見守りながら、俺は改めてこのひとが好きなんだって自覚していた。



そして一通りお互いの身体を洗い終えた後、美織さんが俺に向かって提案する。

「そろそろじゃぶんと浸かろうか。身体、冷えてきちゃったもんね」
「あ、そうだね……」

頻繁にお湯をかけていたものの、やっぱり湯船に入らないとあったまれない。
もわもわと湯気の立ち昇る水面を眺めていると、このまま飛び込みたくなるくらいだ。
でも、そんな俺の腕を軽く引いて、美織さんがこっちを見つめた。

「ひざの上、乗せてくれる?」
「もちろん」
「それじゃ、まーくんが先に入って。すぐに美織さんも追いかけるから」
「はーい」

アパートに備え付けのお風呂では、所詮サイズなど限られている。
二人一緒に入るには、こうして重なるようにしないと無理な大きさだった。

「いいよ、美織さん、来ても」
「それじゃ、おじゃましまーす……」

脚を広げないように注意しながら湯船の縁をそっとまたいで、美織さんが中に入ってきた。
俺のひざの上にお尻をちょこんと乗せると、そのまま身体をお湯の中へと沈めて行く。

「ふわー、あったまるー」
「あったかいね、美織さん」

美織さんはしみじみとした声でお湯を愉しむ。
実に心地よさそうな感じで、同じ湯船に入っているはずの俺ですら、ちょっぴり羨ましく思えるくらいだった。

「やっぱりおふろはさいこーだね、まーくん」
「そうだね。でも、もうちょっと広いといいかなぁ」
「もうちょっとだけ、なら広くてもいいかも」

そう言う美織さんは俺の言葉に賛同するように見えて、どこか気になる言い回しだ。
俺はちょんちょんと目の前の肩をつつくと、美織さんを振り向かせた。

「なぁに、まーくん?」
「今の言い方、ちょっと気になるんだけど……」
「そう? わたしはふつーだけど」
「いやその、もうちょっとだけ、って限定するのはどうして?」
「えー、だって広すぎると、まーくんにこうしてだっこしてもらえないもん」

さも当然とばかりに言いのける美織さん。
ここまで普通に返されると、なかなか突っ込む気にもなれない。

「この、いっしょに入ってるって感じがいいんだよねー。守られてるんだぁって実感できて」
「別に、守るようなことは何もしてないけど……」
「じゃあ、まーくんは守ってくれないの?」
「えっ?」
「美織さんが大ピンチの時、まーくんは助けに来てくれないの?」

仮定の話なのに、泣きそうな顔で美織さんは俺のことを見ていた。
仮でも何でも、このひとを悲しませたくなんかない。
俺は咄嗟に抱き締めると、強く強く宣言した。

「助けに行くよ、いつでもどこでもっ」
「ま、まーくん……」
「美織さんが好きだからっ、誰よりも大切だからっ、悲しませるようなこと、絶対いやだっ!」

小さな浴槽の中で、俺は美織さんの身体を抱き締めていた。
今、こうして確かに俺の腕の中にいるけれど、いついなくなってしまうかわからない。
だから、離したくない、離れたくないとばかりに、強く引き寄せていた。

「まーくん、ちょっといたいよ……」
「……あ、ご、ごめん美織さんっ!」

力をこめすぎていたせいで、美織さんに痛みを感じさせてしまった。
そのことに気付いて、俺は慌てて腕の力を緩める。

「ごめんね、我慢できなくって……」
「えっ?」

美織さんが小さく俺に謝る。
謝るべきは、俺の方だって言うのに。

「まーくんの気持ち、すっごく感じたから。抱き締めてもらって、うれしかったから……もうちょっと、抱きしめられたかったんだけどね、うん」
「美織さん……」
「えへへ、この美織さんの方がおねーさんなのに、だめだね……」

俺が抱き締めた美織さんの身体には、ほんのり赤く跡がついていた。
お風呂から出ればすぐに消えてしまう程度の、ほんの一瞬のものだけど、俺がどれだけ美織さんに無理をさせたのかがよくわかった。

「だ、だからね、まーくん……」
「なぁに、美織さん?」
「そ、そのね、またちょっとだけ、おねーさんぶらせてほしいなーって、思うんだけど……」

そう言って、美織さんの手が動く。
おしりの下にあった俺のものに、指先が触れた。

「っ……」
「すっごくね、うれしかったんだよ。だから、そのぉ……」
「み、美織さん……」
「まーくんと、ひとつになりたいな……」

指ではさまれたまま、根元の方にスライドしていく。
結果、俺はまたしても、美織さんにむかれてしまった。

「いつもまーくんに頼りっぱなしだけどね……でも、こうしてる時だけ、おねーさん気分を味わえるんだ……」
「くっ……」
「このままね、美織さんのなか、入ってきていいよ。まーくんのもおっきくなってるし、ちゃんとむけたままだし……」

美織さんは俺のものを片手で支えたまま、もぞもぞと腰を動かす。
敏感になっている先端に、柔らかいものが触れた。

「ここ、だからね……ぎゅっと抱きしめて、引き寄せてくれる?」
「う、うんっ」

美織さんの身体に両腕を回して、そのまま手前に引き寄せる。
するとちょうど入り口に当たっていたものが、ぬるりと中に導かれていった。

「んふうぅっっ……」
「み、美織さん、入ったよ……」
「う、うん……わかるよ、まーくんの……」
「い、いつもとちょっと、ちがう……なんか凄いよ、美織さん……」
「直接は、はじめてだもんね……」

今までにも何度か美織さんとはしたことがあったけど、コンドームをつけずに直接するのはこれが初めてだった。
そのせいか、俺も美織さんも、なんだかいつもとは様子が違う。
二人とも真っ赤な顔をしたまま、腰を動かすでもなくもじもじとしていた。

「や、やっぱりちゃんとする? お風呂出て、いつもみたいにベッドで」
「まーくんは、その、どっちがいいの?」
「美織さんは?」
「まーくんがしたい方で」
「俺も、美織さんがしたい方で」
「じゃ、じゃあ……」
「うん……このまま……」
「ここで、しちゃおっか」

俺の申し出に、美織さんはこくんと小さく頷くのみだった。
でも、答えははっきりとしている。
俺は美織さんを抱き寄せながら、少しずつ腰を動かし始めた。

「んっ……んくっ……まーくんのが、ぐりぐりしてるよぉ……」
「美織さんっ、美織さんっ……」
「む、むねとかもっ、さわっていいから……」

美織さんが俺にそう勧める。
当の美織さんはというと、自由になっている手を後ろに回して、俺の背中をなでさすっていた。

「あんっ、ああぁ……あっ……ふあっ……」
「美織さんっ、好きですっ……」
「んうっ、わ、わたしもっ、まーくんのこと……だいすきっ!」

湯船の中でちゃぷちゃぷと激しく揺れながら、俺と美織さんはお互いの一番感じる部分をこすり合わせていた。
相手の名を呼びながら、その肌を手が求めてゆく。

「あっ、あぁんっ、あっ、まーくんっ、まーくぅんっっ!!」
「くっ……美織さんっっ!!」

既に膨れ上がっていた想いは、一気に加速して、そして呆気なく果てていった。
美織さんは俺の全てを受け止めたまま、くったりとしている。
俺も力を使い果たしたのか、美織さんの中にまだ入ったまま、そっとその髪をいとおしげに撫でるのみだった。



「へっくちん!」

かわいいくしゃみがこだまする。
ついつい調子に乗ってお風呂えっちをしてしまった俺達だったが、そのおかげで長風呂になってしまった。

「美織さん、大丈夫? 風邪とかひかなきゃいいけど……」
「そのときは、まーくんが看病して」
「いや、それはもちろんだけど……」

美織さんは、既にうちのタンスに常備されているパジャマを身に着け、濡れた髪の毛を熱心にタオルで拭いている。
風邪は頭からひくものだという信仰を、どうやら頑なに信じているようだった。

「まーくんお手製のたまごおじやがたべたいなー」
「まあ、そのくらいならいつでも」
「あと、プリンも食べたい。ぷっちんってする、ちょっと安っぽいやつ」
「はいはい、ちゃんと買ってきてあげますよ」
「あー、買うだけじゃだめー。あーんって食べさせてくれなきゃ」

そう言って、美織さんはあーんとして見せた。
まだ風邪もひいていなければ、プリンだってここにないのに、まるでシミュレーションプレイだ。

「って、そこまでしなきゃ駄目なの?」
「美織さんを癒すのはプリンの糖分じゃないのです。まーくんの愛なのです」
「じゃあ、プリンは要らない気が……」
「プリンは別腹なのです。愛情はプリンといっしょに摂取することによって、はじめておくすりになるんだよ」

まるでビタミンAとかBとかの正しい採り方みたいだ。
美織さんは伊達に教師をしている訳ではないらしく、こういう変な講釈には長けているのが楽しい。

「まあ、そういうことならいいですよ。プリンをあーんして食べさせてあげますから」
「あと、アイスも食べたい。あ、ヨーグルトもいいなぁ〜」
「……そこまで食欲があると、なんか病人っぽくないんだけど」
「うっ!」

さっきのくしゃみは、どうやらたまたまだったようだ。
少なくとも、美織さんはいつも通り元気いっぱいで、食欲も旺盛と見える。
そこを俺に指摘されて、思わず言葉を詰まらせていた。

「それよりも、髪の毛が乾いたらそろそろ帰らないと。明日のお仕事に差し支えると思うけど」
「えー、帰らなきゃだめ?」
「だめです。俺も寝なきゃいけないんだから」
「まーくんのけちー! いいじゃない、いっしょに寝れば」
「あのベッドに二人は狭いでしょ」
「えっちする時しかベッド貸さないんだー。いじわるー」

いつものように調子に乗って甘えてくる美織さん。
最近うちでお風呂に入った時は、こうして帰りたがらないことが多い。

「というか、一緒にベッドで寝たら、結果としてえっちしちゃうことが多いだけじゃない」
「だって、まーくんってば、すぐおっきくするんだもん」
「そ、それは美織さんがむくから……」
「まーくんのをむいてあげるのは、美織さんのライフワークなのです。それだけはゆずれません。はい、おわり」

そんなことをライフワークにされてしまうのもどうかと。
まあ、相変わらず無茶苦茶な論法も、実に美織さんらしいが。

「でも、今日はもうえっちしちゃったし。お願いだから今日は……ねっ?」
「そんなぁ……帰り道、まーくんの大事な美織さんが、えっちなおじさんに襲われちゃうかもしれないよ」
「って、アナタの家はすぐお隣でしょ」
「問題は距離じゃないよ。気持ちの方が、ずっとずっと大事なんだから」

美織さんはまっすぐに俺を見つめて、訴えかけていた。
問題は距離じゃないって言葉が、妙に胸に残る。
距離だけじゃなく、俺と美織さんの間にはいろんな障害があるけれど、でも、一番大切なのは相手を想う、この今の気持ちのはずだ。

「……そうだね、うん」
「あ、わかってくれた?」
「いや、ちっともわからない」
「えー」

まるで肩透かしを食ったように、明らかにがっくりとなる美織さん。
でも俺はそんな美織さんをなだめるように、ぽんっと肩に手を乗せた。

「それより美織さん、寝る前に紅茶とか飲みませんか?」
「えっ?」
「お砂糖いっぱい入れた紅茶を飲むと、ぐっすり眠れると思いますよ」
「……むー、まーくんの意図がよめない」
「飲みながらそのまま寝ちゃっても……そういうのは、やっぱりしょうがないですよね」
「あっ!」

俺の言いたいことがようやくわかったのか、美織さんの顔に喜色が満ちてゆく。

「寝ちゃったら、ベッドまで運んでくれる?」
「まあ、そのまま放置はできないし」
「えへへ、まーくんも一緒に寝ていいからね。美織さんはちょっとの狭さくらい、我慢できるのです」

いつものようにおどけて笑う美織さん。
やっぱりこのひとに甘えられると、ついつい俺も許してしまう。
でも、その理由は単純にして明快。美織さんが好きだからに他ならない。

「それじゃ、俺は紅茶を淹れるから……」
「うん、待ってる。寝る前だから、甘いおかしとかはない方がいいよね」
「りょーかい」

話がまとまって、俺はキッチンへお湯を沸かしに向かう。
そして美織さんはというと――

「あれ、美織さん、どこ行くの?」
「まーくんのお手をわずらわせるのは悪いと思いまして。寝ちゃって運んでもらうくらいなら、いっそのことベッドでお茶した方がよいかと……」
「……はぁ、なるほど」

それでは屁理屈をこねて美織さんが泊まれるようにした俺の作戦が水の泡だ。
でも、美織さんにはそんなことはどうでもいいんだろう。
とにかく、今日は俺のベッドで一緒に寝たいと、それだけしか今の美織さんからは伝わってこなかった。

「それじゃ、先にベッドに入ってまってるからね〜」
「あ、うん、わかった」

完全に美織さんのペースに巻き込まれてしまった俺。
美織さんはそのまますたすたとベッドのところまで行き、ご丁寧にぱちりと電気まで消してくれた。
どう見ても、このまま寝るモードだ。

「はぁ……」

お茶を淹れても無駄になりそうな気がしなくもなかったが、とにかく2杯の紅茶を用意して、俺は美織さんの元へと向かうことにした。

「おーい、美織さーん……」

小声で呼びかけてみる。
でも、薄暗い部屋からは、既にくーくーという寝息の音が聴こえていた。

「やっぱり寝ちゃったか……」

仕方なくカップを載せたお盆を窓際の机の上に置くと、そのままベッドの中へと滑り込む。
美織さんを起こさないように、背中を向けたままそっと後ろ手で手を握ってみた。

「おやすみ、美織さん……」

横になった俺の目には、カーテン越しの月明かりにぼんやりと浮かぶ、寄り添って並んだティーカップがふたつ。
ふんわりと立ち昇る湯気は行き場を失い、そしてひとつに重なってゆく。
何だかその光景が不思議とあったかくて、俺はくすりと笑ってしまう。
その瞬間、寝ているはずの美織さんの手が、きゅっと握り返してくれたような気がした。




          終わり