えいえんはあるよ
そう、聞こえたような気がした。
でもぼくはふと思う。
えいえんって何なんだろうって・・・・
伝えたいこと
Written by Eiji Takashima
楽しい日々。
まあ、変わり映えはしないけど、取り敢えずつまらない訳でもないから、こういうのを楽しいって言うんだろう。
そしてまた、こんな日常を人は「幸せ」って呼ぶんだろうな、ってことも。
それはオレにとって永遠と呼べたかもしれない。
今のこんな調子がずっと続くなんて盲信していた訳じゃないけれど、今すぐに終わりが訪れるようなものでもなかった。
だから、取り敢えず目先は平気。
それに、目先よりもっと先の未来に何が起ころうとも、それはそれで普通に楽しくやっていけるような気がしていた。
「ほら、起きなさいよー、浩平!!」
こんな風に毎朝長森が起こしに来てくれる。
それは変わらないことだった。
「むー、あと3分だけー・・・・」
「駄目だってば!!遅刻しちゃうよ!!」
心地よいまどろみの中、長森に叩き起こされて学校に行くのが日課だった。
でも、それは安心感あってのこと。
オレは幼なじみと言う心安い存在を、完全に信じきっていた。
「もう、どうして毎朝走んなくちゃいけないのよぉ!!」
オレに並走する長森が愚痴を言う。
まあ、これも毎朝のことだ。
「なら歩けばいい。」
「歩いたら遅刻しちゃうじゃない!!」
「そうだな。」
「そうだなって、遅刻してもいいの、浩平は?」
「まあ、たまにはいいんじゃないのか?遅刻して、そのまま学校サボるとか。これから一緒にパタポ屋
のクレープでも食いに行くか?」
「よくないよっ!!それにまだこんな時間じゃ開いてないじゃない!!」
「だから走るんだろ?オレは別に無理になんて一言も・・・・」
「も、もういいよっ!!黙って走ればいいんでしょ!!」
「走ったまま喋ると舌噛むぞ。オレは口内炎にはなりたくない。」
「も、もう・・・・いっつも変なことばっかり言ってるんだから・・・・」
「・・・・・」
走りながら下らない会話を楽しむのもいつものことだった。
オレは自然と長森の走るペースにあわせ、学校までのひとときを過ごしていた。
そして学校では七瀬をからかい茜と中庭で昼飯を食い屋上でみさき先輩と話をして・・・・
授業が全て終わった後、オレはいつものように部活に顔を出すのだった。
「よっ、澪、今日も元気そうだなっ!!」
うんっうんっうんっ!!
言葉を失くした少女は、他の誰よりも元気そうに見えていた。
「なんだ、今日は大道具の手伝いか?」
うんっ!!
そして澪は愛用のスケッチブックを開くと、サインペンで大きく書いてオレに見せる。
『お城、つくってるの。』
「そうか、お城かー。今度の公演の奴だなっ?」
うんっ!!
いつもと変わらぬ元気一杯の笑顔。
たとえ雑用であっても、澪はとても楽しそうだった。
「ってことはオレも澪の手伝いかな?」
そう言ってオレは近くにあったトンカチを手にする。
そして何かを叩こうと構えてみるが・・・・
「・・・で、どこに釘打つんだ?」
いつもながら間抜けなオレだった。
するとそんなオレをおかしそうに見ながら、深山先輩がこう言った。
「折原君、有り難いけど今日はトンカチはいいわ。」
「へっ?」
「大道具も忙しいんだけど、それよりもちょっと急ぎの用があるのよ。」
「急ぎって?」
「うん・・・・それがね、折原君には色々してもらったじゃない。上月さんのコーチ役とか・・・」
「ええ、でもそれは自分で進んでやったことだから。」
オレは言う。
別に恩義を感じてもらいたいなんて思ってなかった。
澪のあの時の言葉に感じて、オレは澪の為に何かしてやりたかったんだ。
『いっぱい伝えたいことあるの』
喋れない澪。
だから、常にスケッチブックは欠かせない。
言葉の代わりに、文字で会話をする澪。
それだけでも凄いことだというのに、澪はそれに満足したりはしなかった。
『演劇部』
初めは意外だな、って思った。
でも、そう思ったのも一瞬のことだった。
「何が食いたいんだ、澪は?」
んーっと・・・・
『チョコレートパフェ』
スケッチブックに大きく書かれたそれは、如何にも女の子らしい選択だった。
まあ、オレもさりげなく甘党だったから、その辺の店の情報は抜かりない。
オレイチオシの巨大パフェを食わせる店に澪を連れて行き、腹はちきれんばかりに食ってもらうことにした。
「別に食い切れなかったら無理することないんだぞ。」
ぶるんぶるん!!
『全部食べるの。』
ウエハースを口に突っ込んだまま、器用にスケッチブックでオレと会話する澪。
流石慣れているせいか、パフェを食いながらでも普通に会話になってる。
オレはまるで逃げる物を追いかけるかのように凄い勢いでパフェを食べる澪を見て、この娘の元気さに感心していた。
溢れんばかりの元気さ。
それは喋れないというハンデを考慮してみても尚、誰よりも輝いて見えた。
言葉がなくても、スケッチブックで、そして演劇で・・・・
言葉の代用品と言うよりも、いっぱいの元気、それをとにかくどんな方法でもいい、表現したいという風に、オレには感じられた。
そしてこのオレは・・・・そんな澪の元気に、いつのまにか魅かれていたのかもしれない・・・・
「とにかく折原君のおかげで、上月さんの演技も大分板についてきたみたいだし・・・・」
うんっうんっ!!
深山先輩の言葉に大きく頷く澪。
きっと澪のことだ。
「演技が板についた」と言うところではなく「オレのおかげ」と言うところしか聞いていないのだろう。
「だから、思ったより余裕も出来たし・・・折原君にも出て欲しいのよ。やっぱり入ったばかりとはいえ同じ部員なんだし。」
「えっ!?オレが!?」
「そうよ。上月さんの練習に手伝うのだって、折原君の練習にもなっていただろうしね。」
「で、でも、オレなんてそんな・・・・台本だってもう出来てるんだし。」
「別に重要な役をやって欲しい訳じゃないわ。ほんのちょっとした脇役だけど、でも、あなたには出て欲しいのよ。」
やけに強く勧める深山先輩だった。
オレは別に、自分が何かを表現したくてここに来た訳じゃない。
ただ、澪の傍にいて見守ってやりたくて、この演劇部に入部したんだ。
だから・・・・
ぐいっぐいっ!!
オレが考え込んでいると、澪が制服の袖を引っ張ってきた。
何かと思い澪の方を見ると・・・・
『一緒に出るの。』
澪の眼差しは、真剣そのものだった。
そしてそれを後押しするかのように深山先輩がオレに告げた。
「ほら、上月さんもそう言ってるんだし・・・・」
「・・・・わかりました。オレにちゃんと務まるかわかりませんが、やるだけやってみますよ。」
うんっうんっ!!
ぶんぶんとスケッチブックを振り回して喜ぶ澪。
オレが舞台に上がることがどうしてこんなにうれしいのか、今のオレには理解出来なかった。
そして再びオレと澪、マンツーマンの特訓が始まる。
とは言っても、澪の方はもう殆ど出来ることは終え、あとは如何にそれを実践に移せるかと言う段階だったし、
オレはほんのチョイ役だったから、練習を必要とするほどの出番もなかった。
あとから深山先輩がわざわざオレのために台本を変更して台詞も追加してくれたけど、それもたったのひとつだった。
「ちょっと道を訊いてもいいかな?」
これだけだ。
だから、取り敢えず丸一日、何度も澪を相手にこの台詞だけを練習していた。
ただ都合のいいことに、って言うかわざわざ深山先輩がそうしてくれたんだろうけど、オレのこの台詞は澪に対しての言葉だった。
街中で澪に道を尋ねるオレ。
しかし、喋れない澪は答えることが出来ずに困ってしまい、オレは諦めて立ち去ると言うシチュエーションだ。
あまり澪にとっては愉快な設定じゃないけど、オレの役はホントに通行人B程度だから、それも致し方ないと思った。
ううっ・・・・
しかし、練習する度に澪は辛い表情を演技しなくてはならない。
それは元気一杯の澪には酷な話かもしれなかった。
「ちょっと休憩でも入れるか?」
オレは澪に訊ねる。
しかし、澪はオレよりもずっとずっと辛いはずなのに、もっともっと元気な姿を見せてオレに答える。
『もっと練習するの。』
「しかし疲れたろう?」
ぶるんぶるん!!
大きく首を左右に振る澪。
それはまだまだ元気一杯なんだってことをオレに見せ付けているかのようだった。
しかし・・・・身体は疲れていなくとも、心は間違いなく疲れているはずだった・・・・・
そんな澪に後押しされるように、オレ達は殆ど休憩も取らずに練習に明け暮れた。
そして夕暮れ時になって練習を切り上げると、オレはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じていた。
だが、そんなオレに澪は、疲れなど微塵も感じさせない様子でいつも制服の袖を引っ張るのだった。
『お腹すいたの。』
こうして、オレと澪は毎日のように部活が終わると商店街に繰り出しては甘い物を食べに行っていた。
「なあ、澪?」
オレは隣でちょこちょこ歩く澪に呼びかける。
「オレも長森と一緒に散々甘味どころを探しまわって、この近辺は網羅しているはずだ。」
うんっ!!
「しかし、実はもうネタ切れだ。すべて行き尽くした。」
はぅぅ・・・
オレの言葉に少し残念そうにする澪。
オレは色んな店を知っていることを澪にひけらかしたくて、同じ店に二度連れて行こうとはしなかった。
そして澪も毎回新しい店を発見出来て、その大きな瞳を輝かせていたものだ。
「だから、今日はどうする?今まで行った中で、澪が一番行きたいところにしようかって思ってるんだけど・・・」
オレの言葉を聞いて澪は考え込む。
パタポ屋のクレープは絶品だし、三葉堂のワッフルも並んで食ったら尚美味いしなぁ・・・・
『お寿司』
にっこり笑顔でオレにスケッチブックを見せた澪。
「そっか、寿司か・・・って甘いものじゃないだろっ!!」
うううっ・・・・
オレにツッコミを入れられてほえほえになる澪。
こういうのもなんか楽しい。
きっと澪はボケを狙った訳でもなく天然なんだと思うけど。
「寿司は却下!!甘いもので決めろ。」
澪は結構優柔不断なのか、散々迷った挙げ句に焦れたオレの一喝を受け、ようやくスケッチブックにペンを走らせた。
『あの、おっきなパフェ』
それはオレと澪が最初に行ったパフェの店だった。
「お、あそこか!?澪もなかなか腹が減ってるんだな?」
オレがそう言うと、澪は返事に困ったような顔をしていたけど、最後は小さく頷いてくれた。
そんなちょっと元気なさげな澪に気付かずに、オレは呑気なことを言う。
「よし、じゃあ二人で競争だ!!オレも腹ぺこだし、今度は一緒に食うぞ!!」
うんっ!!
澪はいつもの元気な頷きで答えてくれた。
そしてオレは澪の手を取ると、目指すパフェ屋に向かって駆けて行った・・・・
殆ど日が沈んでいたと言うこともあって、流石にこのパフェ屋も学生で賑わう訳でもなく、静かなたたずまいを見せていた。
オレと澪は景気良くドアにつけられているベルを鳴らして中に入ると、早速あの巨大パフェを二つ注文した。
そしてパフェが来るまでの間の時間を、澪とお喋りをして過ごすことにした。
「でも、こんな夕方から腹一杯パフェ食って親に怒られないのか?」
『平気なの。』
「そっか。まあ、澪も高校生なんだし、帰りに寄り道して何か食っても怒られたりしないよな。」
うんっうんっ!!
澪と二人だけの時間。
オレにとってそんな時間は不思議と落ち着ける時間となっていた。
スケッチブックを通しての会話も、もうそれが当たり前になっていて違和感なんて感じなかった。
そしてオレが公演に出させてもらうことになって以来、そんな時間は着実に増え続けている。
果たして澪が気付いているのかはわからなかったけど、そんなことなんてどうでもいいことだった。
ただ、ここにこうしていられれば・・・・
そう思ってふと窓ガラスに視線を向ける。
既に暗くなり始めているせいで、外の様子よりも反射して映るオレの顔が見えた。
しかし、それは目の錯覚か、すーっと薄れたかと思うと見えなくなっていた。
えいえんはあるよ・・・・
そしてその時、オレの中ではっきりと声が聞こえた。
それは幼い時に出会った、あの瑞佳の声だった・・・・
「えいえんなんてないんだっ!!」
ぼくははき捨てるようにいう。
えいえんだとずっとおもってたそれは、あっけなくぼくの手から消えていった。
「くそっ!!」
にぎりしめる手。
カメレオンのおもちゃは、ぼくの手の中できしんで悲鳴をあげた。
「こわれちゃうよ・・・・」
「うるさいっ!!こんなものっ!!」
ぼくはそれを床にほうりなげる。
ころがるカメレオン。
その子はあわててそれを拾いに行った。
「たいせつなものなんでしょ?」
「・・・・」
たいせつなものになるはずだった。
ぼくとみさおが大きくなって、こどものときに好きだったおもいでのおもちゃとして・・・
でもそれは、ぼくにとってはかなしみのきっかけにしかすぎなかったんだ。
「いっしょに遊ぼ?」
「いやだ。お前なんかきらいだ、どっかいっちゃえ!!」
「遊びたいんだよ、きみと。」
「うるさいうるさい!!」
「きっと楽しいよ。海のずっとずっと向こうにはおかしの国があってね・・・・」
「うるさい!!」
「まいにちまいにち甘いものを食べるの。」
そう言えば、みさおもすきだったっけ、甘いもの・・・・
「ぼくはあまいものなんてきらいだっ!!柿のたねのほうがいいっ!!」
じゃまなだけだった。
ぼくはひとりでいたかったんだ。
べつにこの子をいじめるつもりじゃなかったんだよ。
「か、柿のたね?」
「そうだよっ!!たまにはしょっぱいものも食べたくなるだろっ!?」
「そ、それもそうだね・・・・」
「あまいものばっかり食べてたら虫歯になるぞ。それでお母さんにおこられるんだ。歯医者さんにつれていかれて、
いたいいたい思いをするんだからなっ!!」
「そ、そんなぁ・・・・」
ざまあみろ。
おかしの国なんてあるはずないんだ。
あるのはしょっぱい柿のたねと歯医者さんなんだ・・・・
「そうだ、もって行けばいいんだよ。」
「えっ?」
「もって行けばいいんだよ、柿のたね。それから虫歯にならないように歯ブラシも持っていこうよ。」
「う、うーん・・・・たしかにもっていけばいいな。」
つい、納得させられてしまった。
「だからいっしょにあそびに行こうよ、おかしの国に・・・・」
そう言って差し出される小さな手。
ぼくの手よりも、ちいさくてかわいかった。
でも・・・・
「えいえんなんてないんだよっ!!」
「・・・・」
「おかしの国も、いつかなくなっちゃうんだっ!!だからぼくはいかないっ!!」
ぼくはそうさけんでその手をふりはらった。
かなしそうな顔。
ぼくはかなしませるつもりなんてなかったんだ。
ただ、ひとりで泣きたかっただけなんだ・・・・
「・・・えいえんは・・・・」
「なんだよっ?」
「えいえんはあるよ・・・・おかしの国はね、えいえんになくならない魔法がかかってるんだよ・・・」
「まほう?」
それはおとぎばなしの世界だった。
「うん。だからね、おかしが好きな子はみんな行けるの。きっとたのしいよ。」
そしてもう一度、手がさしのべられた。
ぼくはそれをみてその子にきいてみた。
「おかしが好きな子は・・・ほんとにみんな行けるんだな?」
「そうだよ。きらいな子は行けないけどね。」
「・・・みさおは・・・・みさおもおかし、すきだった。」
「なら、その子も行けるね。」
「でも、ここにはいないんだ。もう、行っちゃったから・・・」
「おかしの国に?」
「わからない。でも、ここにはもういないんだ。」
「そう・・・なら、行こうよ。その子もいると思うよ、きっと。」
「・・・・」
ぼくはその手をとった。
その子のはんたいの手には、まだカメレオンがにぎられていた。
もしかして、ぼくが柿のたねをもって行きたいと思ったようにこの子は・・・・
「じゃあ、いこ。」
「どうすれば?」
「かんたんだよ。ほら、こうすれば・・・・」
そして瑞佳の唇がぼくの唇に触れ、二人はおかしの国に旅立って行った・・・・・
「・・・・・」
そこはおかしの国じゃなかった。
でも、ぼくが望んだ世界の一つでもあった。
それはぼくが誰の目も気にせずに泣ける世界。
そしてぼくの隣には瑞佳がいて、ぼくが投げたカメレオンをいつも拾ってきてくれるんだ。
だから、カメレオンはなくならない。
つらくてもかなしくても、それだけがみさおの思い出の証だったんだ。
「・・・・・」
確かにえいえんはあった。
でも・・・・ここにはみさおがいない。
いないんだよ、瑞佳・・・・
「えいえんがあればいいんじゃないの?」
「ぼくはそうおもってた。でも、ちがうような気がする。」
「じゃあ、なにが欲しいの?ここには君の望むもの全てがあるよ。」
「・・・・・ない。」
「・・・・」
「ぼくがほしかったのはえいえんじゃない、みさおなんだ。えいえんがあればみさおは・・・・」
そう、ぼくはえいえんなんていらない。
みさおに帰ってきてほしかった。
そして、またこのカメレオンで遊んでほしかっただけなんだ。
「なら、わたしがその子の代わりをしてあげる。ほら・・・・」
ころころ
瑞佳が小さな手のひらの上でカメレオンを転がす。
舌が出たり入ったりして・・・・
「みさお・・・・」
ころころ
「たのしいね、これ・・・・」
ころころ
「わたしにくれる、このカメレオン?」
ころころ
「・・・・」
ころころ
「・・・・みさおは・・・・もういないんだな・・・・」
ころころ
瑞佳は何も言わずに、ただカメレオンで遊んでいた。
ぼくはもう、それを止めることは出来なかった。
ころころ
「もう、ぼくはここには用なんてない・・・・いえに帰りたいよ。」
ぼくがそう言うと、瑞佳は手を止めて顔を上げた。
「どうして?どこに行っても、その子はもういないんだよ?」
「いや、どこかにいるはずだっ!!ここにはいないだけで!!」
「・・・・じゃあ、いっしょにさがしに行く?」
「いっしょに?」
「うん。それでわたしもその子をいっしょにさがしてあげる。」
「・・・・ありがと。」
「でも、見つからなかった時は・・・またいっしょにここに戻ってこよ?」
「・・・・・」
ころころ
瑞佳が再びカメレオンで遊び始める。
ぼくの答えは、ひとつしかなかった・・・・
「わかったよ。じゃあ、いっしょに行こう。」
オレは大切な何かをずっと忘れていたような気がした。
そして脅えたように周囲に視線を走らせる。
するとそこには、きょとんとした顔をしてオレを見つめる澪の姿があった。
「ど、どうした、澪?待ちきれなくなったのか?」
それはぎこちない台詞だった。
しかし、今のオレにはそれが精一杯の軽口だった。
『かなしいの?』
澪のスケッチブックがそう訊ねていた。
オレは・・・・やっぱ、わかるのかな、澪には?
がたんと音を立てて席を立つ。
突然のことに澪は驚きを隠せなかった。
「すまん、急用が入った。パフェ、オレの分も食っていいから。」
オレはそう言うと千円札を二枚テーブルの上に置き、そのまま走って店を出て行った・・・・
「澪・・・・」
澪には済まないことをした。
しかし、澪はいくらオレにとっては妹と同じくらい大切な存在であったとしても、みさおではなかった。
そしてオレが瑞佳にこの世界にこの成長した姿で戻してもらったのは、ただみさおを見つける為だったんだ。
オレと瑞佳が交わした盟約。
それはみさおが見つからなければ、オレはまたあの世界に戻らなければ行けないというものだった。
「・・・もう、タイムリミットなのか・・・・」
幼なじみの長森があの瑞佳と同一人物なのか、もはやオレにはわからなくなってきている。
しかし、長森はずっとオレの傍にいてくれていた。
もしかしたらオレと同じく、長森も瑞佳としての記憶を一時的に失っているのかもしれない。
瑞佳がかけてくれたこの魔法の効果が切れ始めるこの時まで・・・・
と言うことは、長森の奴も思い出しているはず。
この世界から去り、再びあの二人だけの場所に戻らなければ行けないのだと言うことを。
「・・・・・」
この世界・・・ここは夢の中の世界なのだろうか?
瑞佳が魔法の力で生み出した、みさおを捜す為の世界・・・・
「いや、違うっ!!」
これは現実だった。
全ての記憶が蘇ったのと同時に、オレの幼かった頃の記憶も鮮明になってくる。
「これ、おまえに貸してやるよ。」
・・・・・
きょとんとする彼女。
ぼくが手にしていたそれは、真新しいスケッチブックだった。
「おかあさんに買ってもらったばっかりだけど、おまえに貸してやる。これで話すんだ。」
・・・・・
「なんだ、書くものもってないのか?じゃあ、これも貸してやる。」
ぼくはクレヨンのケースを差し出す。
「好きな色えらべよ。」
そして彼女は青いクレヨンを手に取った。
「青か・・・ぼくも好きな色なんだけどまあいいや、おまえに貸してやる。なまえ、書いてみろよ。」
不器用な手つきでクレヨンを走らせる。
そしてぼくに向かって見せた。
「何だよ、むずかしくてよくわかんないよ。まあ、いいや、貸すだけだからな。後でちゃんとかえせよ!!」
おかあさんが迎えに来たのに気付いたぼくは、スケッチブックとクレヨンを貸すと走って行った。
そう、あれがオレと澪との最初の出逢いだったんだ・・・・
「澪・・・お前、ずっとあんなの、持っててくれたんだな・・・・」
澪がいつも大事に大事に持っていたぼろぼろのスケッチブックは、オレがあの時貸してやった奴だったんだ。
そして澪はあのスケッチブックをきっかけにして、自分を表現することを覚えたんだな・・・・
「・・・・・」
澪があの時のオレと今のオレが同一人物だと言うことに気付いているかどうかはわからない。
でも、そんなことは問題じゃなかった。
そう・・・とにかくオレは澪がいとおしかったんだ。
しかし、オレは去らなければいけない人間だ。
澪がみさおじゃないなら、オレは魔法が切れればこの世界には留まれなくなる。
そうしたらオレは・・・・また澪を傷つけることになる。
小さかったオレが、スケッチブックを返してもらいに来なかったように・・・・
「・・・・」
だから、別れが必要だった。
ちゃんと澪を独り立ちさせて、オレのスケッチブックを必要としないようにするために。
そしてオレはもう完全に暗くなって誰もいなくなった学校に忍び込む。
あのスケッチブックは、持ち歩かない時は澪がいつも大切に演劇部の部室に保管しておいたのをオレは憶えていた。
「・・・・・」
本当は別れたくなんてないんだ。
既にオレにとっては澪はとても大切な存在として、大きく膨れ上がっていた。
あの元気一杯の笑顔が見れなくなるなんて・・・・
オレは悲しかった。
「・・・・これ・・・だな。」
オレは目的のものを見つけて手に取る。
古くなってぼろぼろのスケッチブック。
でも、それは澪の宝物。
言葉を失くした澪にとっては、身体の一部と言ってもおかしくはなかった。
ページを捲るオレ。
あの時は読めなかった漢字も、今でははっきりと読むことが出来る。
『澪』
大きく書かれてはいても、確かに子供には難しすぎる字だった。
そしてこれが澪にとってのはじまり。
ページを捲る毎に、澪があれからどんな風に人に自分を伝えようとしたのかを感じ取ることが出来た。
『いっぱい伝えたいことあるの』
澪のそんな言葉は、もしかしたらオレが与えてあげたのかもしれなかったな・・・・
そして最後のページ。
そこだけは何も書かれてはおらず、空白のままだった。
オレは意を決してそのページを破り取ると、持っていたペンで大きくこう書いた。
『遅くなったけど、ちゃんと返してもらったよ』
それがオレにとっての、澪への別れの言葉だった。
オレはそれをスケッチブックのあった場所に仕舞うと、オレのスケッチブックを脇に抱えて部室を後にした。
「・・・・見つけたんだね、浩平。」
「瑞佳!!」
部室を出たところには、長森の姿があった。
「記憶、戻っちゃったね。」
「・・・・瑞佳も、忘れてたのか・・・・?」
「そうみたい。でも、今は全部思い出せるよ。」
そう言う長森は何故か悲しそうに見えた。
「オレもだ。」
「もう、みんなともお別れなんだね。」
オレはそれを聞いて、持っていたスケッチブックにそっと視線を落とした。
お別れなんだよな、澪とも・・・・
せめて公演が終わるまで、見届けてあげたかった。
しかし、それはオレにはどうにもならないこと。
オレの力でここにいるのではなく、この瑞佳の不思議な魔法の力でここに一時的に存在することを許されていたのだから。
「そろそろ時間切れだよ、浩平。」
促すようにそう言う瑞佳。
オレも澪との別れを済ませた今、これ以上したいこともなかった。
しかし、自分の運命に身を委ねようとしたオレに、瑞佳がそっとこう告げた。
「じゃあ、お別れだね、浩平。」
「えっ!?」
「だって、浩平は見つけること、出来たんだから。」
「な、何言ってんだよ、長森!!オレはみさおなんて見つけちゃ・・・・」
「見つけたんだよね、浩平は?」
その時オレは、瑞佳が何を言いたいのか、ようやく悟ることが出来た。
「瑞佳・・・・」
「あの時みさおちゃんは死んじゃったけど、でも、今の浩平にはみさおちゃんと同じくらい守ってあげたい相手が出来たじゃない。」
「・・・・・」
「わたしはね、わかってたんだよ。どこに行ってもみさおちゃんはいないんだって。でもね・・・・」
瑞佳はそう言うと、少しだけ間を置いてから再び語り始めた。
「みさおちゃんと同じ存在なら、もしかしたら見つけられるんじゃないかって思ったの。」
「・・・・澪のことか?」
「うん。浩平、今ではみさおちゃんと同じかそれ以上に大切な存在なんじゃないの?」
「・・・・ああ、お前の言う通りだ。悔しいけどな。」
オレは自分の中でかけがえのない存在だった妹のみさおよりも大切な存在が芽生えているという事実に少しだけ申し訳なく感じていた。
「だから、お別れだね、浩平。わたしは約束通り、あの世界に戻らないと・・・・」
「そ、そんなっ!!あの魔法はお前のものなんだろう!?お前もここに残れないのかよっ!?」
「残りたいよ。でもね、駄目なこともあるんだよ、浩平。」
「長森・・・・」
この数ヶ月、オレといつも一緒だった長森はいなくなり、あの世界にはたったひとり、瑞佳が残されることになる。
「みさおちゃん、ううん、澪ちゃんのこと大切にしてあげてね。」
「な、何言ってんだよ、長森!!お前は毎朝オレを起こすという大切な役目があるだろっ!!」
「あははっ、それなら澪ちゃんが代わってくれると思うよ。」
「オレはお前じゃなきゃ駄目なんだよっ!!」
そう叫んでオレは長森に向かって手を伸ばす。
しかし、長森はオレのその手をさっとかわした。
「すぐに慣れると思うよ。だって浩平、澪ちゃんのことが好きなんだから・・・・」
「えっ!?」
「今度からは妹としてだけじゃなくって、ひとりの女の子としても大切にしてあげて。」
「・・・・」
「わたしから浩平への、最後のお願いだよ。そしてこれが最後のわがまま・・・・」
長森はそう言って音も立てずにオレに近づくと、すっと唇と唇を触れ合わせた。
「ずっとずっと、大好きだったよ、浩平・・・・」
「長森ぃっ!!」
長森のキス。
それは涙に濡れた、別れのキスだった。
そしてオレはそんな長森を離さないように抱き締めようとする。
しかし・・・・オレの両腕は空を切り、長森はあの世界へと帰って行ったのだった。
「ううっ・・・長森・・・・どうして・・・・・」
オレはその場に崩れ落ちる。
そして行き場を失った両腕で、自分の身体をかき抱いた。
冬の学校の廊下は凍りつくほどに冷たく、長森を失った悲しみに暮れるオレの全身を冷やすのだった。
しかし、そんな時、突然温かいものがオレを包み込む。
「・・・澪・・・・・」
それはオレに抱きつくのが大好きな澪だった。
『笑ってなくちゃ駄目なの。』
月明かりに照らされたスケッチブックで、澪はオレにそう語っていた。
そしてオレは手の甲で涙を拭うと、澪を見つめた。
「どうしてここに・・・・?」
『女の人が教えてくれたの。』
長森だ。
あいつ、澪にまで・・・・
「そっか・・・済まなかったな、急に飛び出したりなんかして・・・・」
そんなオレの言葉に対して、澪は何も言おうとしなかった。
ただ、オレに抱き着いたまま、一向に離れようとはせずにしがみつくだけだった。
「どうした、澪?」
『怖いの』
それを聞いてオレは思い出す。
このスケッチブックを取りに、今みたいに真夜中に忍び込んだことがあったっけ。
「怖いか、まだ・・・」
うんっ。
小さく頷く澪。
しかし、あの時とは違って、澪の身体は少しも震えてなんかいなかった。
「でも、オレがいるから心配すんな。ずっとずっと澪のこと、守ってやるから・・・・」
オレはそう言うと、澪の身体をぎゅっと抱き締め返した。
すると澪は身体の力を抜いて、オレにその身を委ねた。
これでいいんだよな、長森・・・・
オレは彼方に消えた長森にそっと呼びかける。
するとオレの耳に、聞き慣れた声が聞こえたような気がした。
そうだよ、浩平。これからはずっと、こっちで見ていてあげるからね・・・・
オレはそんな長森の言葉にそっと頷いて見せると、再び澪を抱いた両腕に力を加える。
これがオレの求めた結末。
みさお・・・いや、長森の代わりに手に入れた澪なんだ。
もしかしたら・・・・瑞佳は本当はみさおだったのかもしれないな・・・・・
ふとそんなことを思ってみる。
しかしそんなことはもうどうでもいい。
ここに澪がいてくれて、オレはそれを抱き締めている。
おかしの国はもう夢の存在となってしまった。
オレにとっての現実はこの廊下。
月明かりに照らされた、冷たい廊下だった。
でも、廊下は冷たくてもオレは寒さを感じたりなんかしない。
「好きだよ、澪・・・・」
抱き締めたままの、そんな告白。
澪の背中しか見えなかったけど、オレはいつでもあの澪の元気一杯の笑顔を思い浮かべることが出来る。
うんっうんっ!!
言葉を失くした澪。
しかし今のオレ達には言葉なんて必要ない。
二人にはちゃんと、お互いを伝えあう方法があるのだから・・・・
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