拝啓、兄君さま。
草葉の香りが心地良く感じられますが、兄君さまは如何お過ごしでしょうか?
さて、昨日は大変お世話になりました。
ですが、後々考えてみますと、大変な無礼をしてしまったようで、申し訳なく感じております。
つきましては、お礼とお詫びをかねて兄君さまにご挨拶させていただきたく思い、こうして筆を取りました。
兄君さまのご都合が宜しい時で結構です。
お忙しいこととは存じますが、わたくしのために少々お時間をいただけませんでしょうか?




拝啓、兄君さま。

第二話 まだ遠い夏
Written by Eiji Takashima





「大変な無礼、か……」

液晶に映る文字の羅列を眺めながら、僕はひとつ溜め息をついた。

「春歌ちゃんらしいけど、でもな……」

果たして昨日のことをどう思っているのか、このメールの文面だけでは窺い知れない。
あの出来事を過ちと捉えているのか、それとも……。

「どっちにしても、話し合う必要があるかな……」

それだけは、疑いようがなかった。
僕と春歌ちゃんは兄と妹で、それ以上でもそれ以下でもない。
妹として兄に甘えてみたいという春歌ちゃんの願いは叶えられるべきものだったけど、結果として正しかったかと言えば甚だ疑問だ。
そう、僕はまだ、昨日のことについて悩んでいる。

「さて……」

メールの返事を書くのは簡単だった。
内容も、特に突っ込んだところには触れようとしなかった。
直接顔を合わせて話し合うのが一番だという考えは今でも変わらない。
結局、僕は昨日と同じく、春歌ちゃんが部屋に来るのを待つことになった。



『……兄君さま、宜しいですか?』

遠慮がちな声。
しかし、ドア越しでもよく通る。

「あ、うん、入って」
『では、失礼致します……』

昨日と何も変わらない。
こういった手順は、春歌ちゃんにとっては大切なもののようだ。
手順を踏む、という行為は、一見無意味なことかもしれない。
でも、そのひとつひとつに意味があることを、僕は知っている。
そして、さり気ない無機質な動作の中にも、必ず気持ちが込められていることを。

「こんばんは、春歌ちゃん」
「こんばんは、兄君さま」

挨拶を交わす。
そこには笑顔がある。
何も変わっていないと言う安心感。
お互い、思うところはきっとあったはずだ。
でも、悲しみなんて求めてはいない。
笑顔の価値は、春歌ちゃんにもちゃんと伝わっているようだった。

「まあ、適当に座って」
「はい、では失礼して……」

座布団を二枚敷いて、向かい合わせで腰を下ろす。
これも、昨日と同じシチュエーション。
それが僕の記憶を呼び起こして、不思議な気持ちにさせる。

「あ、あの……」
「な、なに?」
「いえっ、何でもありませんっ!」

会話は巧く繋がらない。
春歌ちゃんの顔も、心なしか赤くなっていた。
昨日の今日だ。意識しても仕方ないし、当然だと思う。
でも、人形のように固まったままでは、何の解決にもならない。

「あのさ、春歌ちゃん」

落ちついた体を装って、話を切り出す。

「はい……」

春歌ちゃんは驚くでもなく、ただ小さく視線を上げた。

「昨日の……ことなんだけど……」

忘れたいこと、とは言いたくない。
方法は間違っていたかもしれないけれど、あのことで春歌ちゃんのことをより知ることが出来た。

「はい……」

同じ応え。
でも、声は少し沈んでいる。
春歌ちゃんも、きっと僕の口から何が語られるか、そのくらいは容易に想像がつくに決まっている。
そして、その予想とは間違いなく、明るいものではないだろう。
そんな彼女の気持ちが手に取るように伝わって、僕の胸は少し痛んだ。

「別に、否定する気はないから……」
「えっ?」
「あれがよかったとは言わない。でも、忘れてくれとも言わない。まあ、お互いの秘密にしておこうっていうだけ、かな」
「兄君さま……」

その目を見なくても、心が溶けて行く様子が伝わって来た。
やっぱり苦悩する妹の姿を見るのは耐えられない。
本当は冷たく現実をつき付けるのが一番なんだろう。
でも、僕にはそれが出来なかった。

「だからさ、僕達は今まで通り、仲のいい兄と妹でいよう。それでいいだろ、春歌ちゃん?」
「は、はいっ!」

そう、全てをなかったことに、とは言わない。
でも、今まで通りの関係でい続けたかった。
こんなことくらいで……そう、所詮こんなことくらい、だ。
こんなことくらいで僕達の関係は崩したくない。
少なくとも、笑顔だけは、失いたくなかった。



そして、少しの時が流れた。
他愛もないお喋りをして、甘いお菓子とお茶を楽しんで。
深夜の楽しみは穏やかに過ぎていった。
そう、このまま和やかに流れて行くはずだった……。

「ところで兄君さま?」

それは会話の中に自然に挟まれた、些細な呼びかけだった。

「ん、なに?」
「後になってしまって恐縮ですが、電子メールで申し上げた件ですけれど……」
「メール? 何かあったっけ?」

春歌ちゃんからのメールは何度もよく目を通してある。
でも、具体的な用件があったようには思えなかった。

「あら、お忘れになられたんですか? 兄君さまにはきちんと、昨日のお礼とお詫びをしないと……」
「あ、そういうことか。別にいいって。こっちこそ春歌ちゃんには謝らないとって思ってたし」

答えは簡単だった。
実に春歌ちゃんらしい内容というか。
でも、正直昨日のことにはあまり深く突っ込みたくない。
それにあれはお互い様だと言うのが、僕の率直な意見だった。

「そういう訳には参りません。そもそもあれはわたくしの勝手なお願いですし」
「ま、まあ、そうかもしれないけど」
「ですから、お詫びをしなければなりません。たとえ兄妹の関係であろうと、礼儀は守るのが当然だとは思いませんか、兄君さま?」

春歌ちゃんの口調は厳しい。
そこが、彼女の守るべきところなんだろう。
他人にとっては取るに足りないものかもしれないけれど、そういうものは得てして本人にとっては神聖なものだったりする。
僕にそういうものがあるかというと首を捻ってしまうけど、少なくとも他人のものは尊重すべきだと思っていた。

「わかったわかった。確かに結果はどうあれ、僕が春歌ちゃんのお願いを聞いたんだしね」
「はい、そうですわ」

すぐに満足そうな笑みに変わる。
こういうやり取りの方が、春歌ちゃんと話していると実感できて、僕は嬉しかったりする。
自然と、僕も彼女に向かって笑顔を見せていた。

「じゃあ、僕もちゃんと春歌ちゃんのお詫びを聞くよ」
「では、改めて……」

春歌ちゃんは身を低くすると、そのまま僕から一歩下がった。
座布団を目の前にして正座になって、深々と僕に向かって頭を下げる。

「は、春歌ちゃん……」
「兄君さま、昨晩は大変失礼致しました。また、わたくしの不躾な願いを聞いて下さって有り難う御座います」

口調は至って重々しい。
顔を伏せているから表情はつかめないけど、恐らく厳しいものに違いない。

「このご恩に報いるためならば、春歌は死をも厭いません、兄君さま……」
「べ、別にいいって、そこまでしなくても」
「ですがっ!」

がばっと顔が上がる。
その目は真っ直ぐに僕を見つめていた。

「あ、あの……」
「わたくしはご恩などなくとも、常日頃から兄君さまのためならば、この命投げ出す覚悟に御座いますっ。それなのに、兄君さまのお役に立てるどころか、ご迷惑ばかりおかけして……」
「春歌ちゃん……」
「わたくしは悔しくてなりません! 他の皆さんはご自分の得意なところで、兄君さまのために働いておりますものをっ!」

別に、僕は妹達をそんな目で見たことなんてなかった。
ただ、妹だから空気のようにそこにいて、くるくると動き回っている。
みんな好き好きにお菓子を作ったり笑ったり、時にはからかい合ったり。
確かにそれ自体に価値はあるかもしれないけど、本質がそんなところにあるなんて誰も思っていない。
いや、そんな風に考えるべきじゃなかった。

「……別にいいんだよ、春歌ちゃん」
「えっ?」
「別に役に立たなくたっていい。反対に足を引っ張ったって構わないんだ。だって僕はみんなの兄だろう? 妹に何かしてもらうよりも、こっちが何かしてあげる方が自然だと思わないかい?」
「それは……」
「僕は春歌ちゃんに何かしてもらいたくて、兄貴をしてる訳じゃないんだよ。強いて言うなら、そこにいて欲しいから、かな。まあ、傍にいなかったとしても、春歌ちゃんがいつも元気でいてくれるなら、僕はそれだけで充分なんだけどね」

それが僕の本音だった。
そして、妹達にもそんな僕の気持ちをわかって欲しい。
何かしてあげるとかしてもらうとかそういうんじゃなく、ただ笑っていてくれればそれでいい。
妹の笑顔が絶えないことが、僕の一番の喜びだった。

「兄君さま……」
「だからさ、笑って」
「はい、はいっ……」

春歌ちゃんが笑って見せる。
でも、それはすぐに歪んでしまって、彼女の努力に応えようとはしない。

「しょうがないな……」

兄に出来ること。
それはほんの些細なことだけど、僕の妹にとっては大切なこと。
笑顔が涙で歪んでしまう時、笑顔を見せてあげたいのにどうしても見せられない時……それをそっと隠してあげるのは、僕の役目だった。

「兄君……さま……」
「見てないよ、春歌ちゃん。春歌ちゃんは僕の胸で、ちゃんと笑ってるんだよね……」
「は、はいっ、ありがとう……ございます……」

人に嘘が必要なことはわかりきっている。
真実だけじゃ優しさにはならなくて、優しい嘘は、もっともっと人を優しくしてくれる。
きっと春歌ちゃんは、今よりずっと優しい女の子になれる。
僕の中には、そんな予感でいっぱいだった。



「あの……兄君さま……もう……」
「平気?」

しばらくして、少しだけ鼻にかかったような声が僕に届いた。

「はい、ご迷惑おかけしました」

すっと顔を上げる。
そこには、僕の見たかった笑顔があった。
たとえ嬉し涙であっても、僕は笑顔の方がいい。
そんな僕の想いは、春歌ちゃんにも届いているようだった。

「うん、よかった……」
「わたくしはもう迷いません。春歌はただ、兄君さまのお傍にいます。それで……宜しいのですよね?」
「うん、そうだね」

お互いに笑顔を交わす。
それだけで、僕は充分だった。

「ずっとずっと……兄君さまのお傍に……兄君さまがご迷惑でなければ……」
「迷惑なんてことはないよ。僕達は、兄妹なんだしね」
「兄妹……」
「うん、それはたとえ春歌ちゃんがお嫁に行っても、ずっと変わらないからね」
「…………」

そのうちきっと、妹は兄の元を去って行く。
それまでは、妹達を見守り続けて行こう。
春歌ちゃんにはああ言ったけど、本当はそうじゃない。
今は兄として必要にされていても、そのうち必要とされなくなる日がやって来る。
とても悲しいことかもしれないけど、自然で当たり前のことなんだ。

「わたくしは……」
「うん?」
「わたくしは、兄君さまに、何かして差し上げられないのでしょうか?」
「だから、もうそれはいいって。春歌ちゃんにいてもらえれば、僕はそれで」

笑ってもう一度諭す。
でも、さっきとは春歌ちゃんの表情が違っていた。

「ご恩やお詫びなどと申し上げるのではありません。ただ、わたくしは兄君さまに、何かして差し上げたいのです」
「春歌ちゃん……」
「お慕いする相手に尽くしたいと思うのは、間違ったことなのでしょうか? もし兄君さまが迷惑だとおっしゃるのでしたら……」
「べ、別にそんなことはないって」
「ですからっ! 兄君さまにはわたくしにしか出来ないことが何なのかを、教えていただきたいのです!」

強く僕の手を握りながらそう言った後、春歌ちゃんははっとしてすぐに顔を下に向けた。
確かに、彼女の言いたいことはよくわかる。
春歌ちゃんの想いは、兄として是非遂げさせてあげたかった。

「わ、わかったから。でも、そう改めて言われても……」
「ひとつだけ……」
「ん?」
「ひとつだけ、御座います、兄君さま……」

俯いたまま、春歌ちゃんはそう切り出してきた。

「ひとつだけ?」

僕が聞き返す。
見えない表情は、春歌ちゃんの感情を隠し続ける。

「はい……きっと兄君さまは……お困りになると思いますけど……」
「困るって……」
「思いついたことがあるんです」
「思いついたこと?」
「はい、わたくし、昨夜のことを、考えておりました……」

すうっと顔が上がる。
そして――

「わたくしならば……兄君さまに、その……女性を教えて差し上げられます……」
「は、春歌ちゃん……」
「それに、昨日は兄君さまのお身体を全て拝見させていただいたと言うのに、わたくしの身体は少しもご覧に入れておりませんので……」
「そんなこと、別に……」
「よくはありませんわっ!」

僕の言葉に先んじて、春歌ちゃんの声が響いた。
一瞬、僕は気圧されて言葉を失う。

「その、まだ未熟かもしれませんが……少しずつ出るところも出ておりますし……子供ももう、産める身体ですので……」
「は、春歌ちゃん……」
「兄君さまが見るのも汚らわしいとお思いでしたら諦めます。ですが……」

そのまま、春歌ちゃんが立ち上がる。
そして僕を見下ろしながら、小さく微笑んだ。

「そうお思いでなければ……このままご覧になっていて下さい……これも……ひとつの勉強ですので……」
「…………」

これは止めなければならない。
ここで春歌ちゃんをやめさせなければ、昨日と全く同じだった。
でも、僕には春歌ちゃんの身体を汚らわしいものだなんて言うことは出来なかった。
八方塞がりになっている。
解決方法なんてどこにもない。
僕は流されるがままに妹の身体を眺めるしか出来なくて……。
よき兄であり続けるというだけのことが、どうしてこんなにも難しいことなんだろうか。

「では、失礼致します……」

返事がないのを肯定と取ったのか、春歌ちゃんはそのまま、手を背中に回した。
しゅるりと衣擦れの音がして、帯が解かれる。
春歌ちゃんはちらりと僕の顔を確認した後は、黙って目を細めたまま、帯を着物から外して行った。

「着付け……」
「はい?」
「着付け、出来るんだね……」
「ええ、ドイツでお祖母さまに教えていただいたんです」
「そっか……」

春歌ちゃんは笑顔で応える。
僕もそれに応じなければならないのに、笑って見せることが出来なかった。

「夏になったら……」
「……ん?」
「夏になったら、ご一緒に浴衣を着ませんか?」
「浴衣?」
「はい。浴衣なら簡単ですし、あまり仰々しくもないので兄君さまにも……」
「うん、そうだね。じゃあ、お願いしようかな」
「はいっ」

春歌ちゃんにも、彼女にしか出来ないことは沢山ある。
着物のことに関してもそうだ。
しかし、春歌ちゃんはそんな話題を展開しながらも、帯を畳み、着物を脱いで行く。

「兄君さまは……」
「何?」
「兄君さまは、女性の身体に興味を抱かれたことはないのですか?」
「えっ……」

横を向いた春歌ちゃんが、僕の方を見ずにそんなことを言う。

「な、ないことはないけど……」
「でしたら、そんな顔なさらないで下さい。喜んで下さると、わたくしも嬉しいです」
「あ、ああ……」
「わたくしも……嬉しいです……」

繰り返された言葉。
その意味は、尋ねなくともわかりきっている。
でも、わざわざそれを口に出すことなど出来ない。

「あの、お待たせ致しました……」

襦袢姿になって、春歌ちゃんはようやくこっちを向いた。
目と目が合う。
思わず、僕は彼女から目を逸らしてしまった。

「逸らさないで!」
「えっ?」
「ちゃんと……しっかりと見て欲しいんです、兄君さま……」

視線を戻す。
白一色の姿が、僕の目に映る。

「お嫌でしたら……はっきりとおっしゃって下さい。でないと春歌は……」
「……別に……嫌じゃないよ……」
「でしたら、どうかお願いします……」
「わかった」

無理矢理見させられているのではない。
そう、証明する必要があった。
昨日の裏返しと考えるならば、僕が春歌ちゃんの身体を求めなければならない。
彼女の目は、そう僕に訴えかけていた。

「……いいかい?」

手を伸ばし、そう訊ねる。

「はい……お願いします……」

帰って来た答えは簡潔で、何の含みもない。
僕は春歌ちゃんの想いに促されるがまま、そっと襟元に手をかけた。

「ん……」

触れた瞬間、小さく息が漏れる。
春歌ちゃんの胸元から視線を上げると、じっと僕の行為を見守る彼女の姿があった。

「続けて……下さい……」
「うん……」

ごめんとは言わない。
ここで謝ってしまえば、全く意味がなくなる。
僕は春歌ちゃんの視線を忘れることに努め、そっと手を左右に押し開いた。

「あっ……」

白い肌。
昨日触れた、小さな膨らみ。
薄紅色の突端が可愛らしくその上に乗っている。
視界に入るのは触れるのとはまた別の話で、僕はただ言葉を失っていた。

「着物の時は……下着を着けないんです……」

僕の耳に、彼女の説明が飛び込む。
が、僕は返事を返すことも出来ない。
初めて見る女の子は、僕にはあまりに鮮烈だった。

「どう……ですか、兄君さま?」
「うん……」
「うん、ではわかりませんわ」
「ああ……」
「……でしたら……宜しかければ触れてみて下さい。その方が、より伝わると思いますから」

クスリと笑っている。
きっと、そう言う春歌ちゃんには僕の姿は滑稽に映っているんだろう。
でも、今の僕にはそんなことを考える余裕などなかった。

「んっ……」

ふわりとした感触。
それでいて、少し固い。
沈む指先の先には、まだ芯が感じられる。

「掌で……」
「う、うん」

言われるがままに、そっと掌で包み込む。
すっぽりと収まって、僕に春歌ちゃんを伝えた。

「柔らかい……」
「はい、有り難う御座います。ですが……」
「うん?」
「触れるだけなら、昨日既にしていただきました」

頬を朱に染めながらも、にっこりと笑っている。
蕩けそうな彼女の笑顔に、僕は目を奪われていた。

「唇で……吸って下さい、兄君さま」
「え、でも……」
「お気になさらないで下さい。そうしないと、わからないこともありますし」
「そ、そう……」
「はい」

春歌ちゃんの手が差し伸べられる。
僕はその手を取って、そのまま導かれて行く。

「腕、背中に回しますね……」
「あ、うん……」
「では、どうぞ、兄君さま」

春歌ちゃんの腕が背中に回る。
一度だけきゅっと抱き締められて、それから優しく引き寄せられた。
僕は春歌ちゃんの胸に顔を埋める形となって……目の前にある先端にそっと唇を寄せた。

「んっ、んん……」

切ない声が漏れる。
同時に、唇の中でほんの少し大きさを増した。
唇で挟んだまま、舌先を押し出す。
僕は男の本能で、尖り始めた春歌ちゃんの蕾を舐めていた。

「あんっ、兄君さまっ、そうっ、ですっ!」

僕が舌で蕾を弾く度、春歌ちゃんは小さく身を震わせた。
行為を肯定する台詞も、途切れ途切れなものへと変わって行く。

「んうっ……も、もっと……もっと強くして下さっても……」

手を僕の頭に移してくる。
そして掻き抱くように、髪の毛に指先を埋めた。
僕は春歌ちゃんの求めに応じて先端を吸い上げる。

「あっ、ああっ、あ、兄君さまっっ……」

より強い刺激に、春歌ちゃんは首を左右に振って身悶える。
その度に髪の房が揺れ、部屋に春歌ちゃんの香りが広がった。

「わ、わたくしっ……そのっ……ああっ、そのっ……」

気持ちいい、とは言葉に出来ないのかもしれない。
恥らう気持ちと、求める気持ち、そして応えようとする身体のアンバランスさが、春歌ちゃんをもどかしげに見せていた。

「ああっ、駄目っ、駄目ですっっ……」

ぐうっと身体を突っ張らせる。
ほんのりと汗ばんだ肌が、薄く染まりながら不思議な気分にさせる香りを発していた。
唇に感じる蕾は既に痛々しく膨らみ、今にも弾けそうなほど。
舌で膨らみの奥に押し込もうとすると、更に硬く、大きくなった。

「兄君さまっ、兄君さまぁっっ……」

きつく抱き締められる。
というよりも、胸に顔を押し付けられているような感じだ。
僕は春歌ちゃんの胸に顔を埋めながら、彼女の求めるままに、その膨らみを愛してあげた。

「あっ、いやっ、いやですっ、わたくしっ……ああっ、あんんっ、お、おかしく……」

春歌ちゃんは耐えられないとばかりに首を左右にぶんぶんと振っている。
はだけただけの襦袢からはすらっと伸びた白い脚が見え隠れし、太股は無意識の中で僕の身体に強く押しつけられていた。
密着している面積が増し、春歌ちゃんの昂ぶりをより感じるようになる。
僕はそれを止めさせようとすることもなく、そのまま高みへと導いて行った。

「あっ、ご、ごめんなさい、兄君さまっっ……わたくしっ、わたくしぃっっ……ああっ、あんっ、あっ、ああぁぁーーっ!!」

全身をがくがくと震わせ、一際高い声を上げたかと思うと、春歌ちゃんは絶頂を迎えた。
その波が一番上まで達し、そしてうねりながら引いて行くまで待ってあげた後、僕はようやくその胸から顔を上げる。

「はぁっはぁっはぁっ……」
「は、春歌ちゃん……平気……?」

辛そうな表情。
胸だけの刺激とは言え、目を細めて息を切らしていた。

「へ、平気です……兄君さま……それより……」
「うん?」
「申し訳ありませんでした……その、わたくしだけ……」

恥ずかしそうに、そして、それよりもずっと申し訳なさそうに。
春歌ちゃんにとっては、自分だけが感じてしまったことの方が問題なんだろう。

「いや、別に……元々は、そういうつもりだったんだし……」
「ですがっ」
「いや、いいんだよ。昨日は春歌ちゃんが男の身体を知りたがった。そして今日はその反対に、僕が春歌ちゃんに女性の身体を教えてもらったんだから」

そう、僕は別に自分の快楽を求めてこうした訳じゃない。
それに春歌ちゃんを感じさせたかったのでもなく、ただ、言うなれば彼女の気持ちやこだわりとか、そんなものを満足させてあげたかっただけなんだ。

「確かに兄君さまのおっしゃる通りですが……」
「色々勉強になったよ。有り難う、春歌ちゃん」

はっきりとお礼を言ってあげる。
それが、今の行為の意味を固定化する。
これがよくない行為だって言うのはよくわかっている。
だから、僕も春歌ちゃんも理由を必要としていた。
反対に、理由がなければ何も出来ない。
昨日の我が侭を聞いてあげて、そして今日はそのお返しに我が侭を聞いてあげる。
それで全てが清算されて、後に残るのはいつもの僕と春歌ちゃんでしかなくなるはずだ。
少なくとも、僕はそう考えていた。

「いえ……どう致しまして……」
「これで、春歌ちゃんの気は済んだかな?」
「…………」

兄として、残酷な台詞だ。
妹の想いを知りながら、その道を封じようとしている。
でも、これは必要なことで、そうしなければ切りがなくなるのは目に見えていた。

「……春歌ちゃん?」

返事を促す。
まるで叱っているようで、僕の胸は微かに痛んだ。
春歌ちゃんもうな垂れて、僕の目を見ようとはしない。

「兄君さま……」
「僕は別に、春歌ちゃんを責めるつもりはないよ。それに、自分が悪いとも思わない」
「……はい」
「春歌ちゃんのお礼と謝罪も受けた。これで……いいね?」

それは、関係の終わりを意味する。
昨日と今日と、たった二日の交わり。
甘く切ないもので、魅力的にすら映ったけど、僕は兄として、けじめをつけなければならなかった。

「……はい……わかりました……」

うつむいたまま、春歌ちゃんが答える。
逃げ道はどこにもない。
これが自分の我が侭だってことくらい、聡明な春歌ちゃんならわかっているはずだった。

「じゃあ、服を着て……」
「…………」
「春歌ちゃん?」

乱れた襦袢。
その襟を、きつく握り締めている。
開いた胸元はそのままで、その膨らみは僕の唾液で淫らに濡れ光っていた。

「あ、あの……」
「なに?」
「その、もう……」
「そうだよ、春歌ちゃん。僕の言いたいこと、わかるだろ?」
「はい……」

小さく唇を噛む姿。
ここで僕の言うがままに着物を着れば、全て何もなかったことになってしまう。
春歌ちゃんにとっては、そのことが苦しいんだろう。
でも、僕だって春歌ちゃんの気持ちはわかる。
彼女が僕の妹でなければ、きっと求めに応じて、彼女を僕のものにしていたはずだ。
現に僕は春歌ちゃんの乱れる姿に、自分を硬くしていたのだから……。

「でも、兄君さま……」
「うん?」
「兄君さまも、お苦しそうです……」

僕の状態に気付いたのか、春歌ちゃんが小さく指摘する。
が、僕は軽く首を左右に振って応えた。

「いや、春歌ちゃんほどじゃないよ……」
「ですがっ!」
「春歌ちゃんの方が、苦しいだろ?」
「それは……」

僕の苦しみは身体の苦しみ。
それも痛いとかそういう類のものではないから、耐えるのは容易だった。
でも、春歌ちゃんの場合は違う。
春歌ちゃんの苦しみは、心の苦しみ。
僕はそれを知っているから、敢えてそう評した。

「嬉しいよ、春歌ちゃんが慕ってくれて……」
「はい……」
「だから、僕は我慢できるんだ。このくらいは、苦しみのうちに入らないよ」

ズボンの中で痛々しく張り詰めている。
行き先を求めて、強く訴えかけていた。
春歌ちゃんは僕の下半身をじっと見つめながら、ただ悲しそうな顔をしていた。

「……わかりました」

決意を固めたのか、春歌ちゃんはそう小さく応える。
そして、静々と胸元を合わせ、帯を手に取った。

「有り難う、春歌ちゃん……」
「いえ……兄君さまこそ……」

お礼を言う。
でも、謝らない。
謝れば、春歌ちゃんを辱めることになる。
ただ、僕は彼女の決断に感謝していた。



「……兄君さま?」

春歌ちゃんは着物を器用に身に纏いながら、僕に声をかけてくる。

「なに、春歌ちゃん?」
「わたくしも……有り難う御座いました……」
「いや……」

そっと目を伏せて。
それが束の間の夢であったかのように。

「それと……」
「うん?」
「着物を着るところ、見ていていただけませんか……?」
「……うん、わかった」
「有り難う御座います……」

心残り。
この時間を終わらせたくない想いが、春歌ちゃんだけでなく、僕の中にも残っていた。
春歌ちゃんが着物を脱ぐところはさっき見せてもらった。
でも、着るところはまだ見ていない。
春歌ちゃんが着物を着終わって、僕の部屋から出て行くその瞬間まで、全てが終わったとは言えないような気がしていた。

しゅるしゅると心地よい衣擦れの音が、不思議な緊張感を漂わせた部屋の中にただ響いていく。
脱ぐ時はそれほど時間がかからなかったような気がしていたけど、やはり着る時は違うのかもしれない。
春歌ちゃんの手付きはとても手馴れたもののように見えるのに、遅々として進まない様子がほんの少しもどかしかった。

「兄君さま……」
「なに?」

ふと手を止めて、春歌ちゃんがこっちに視線を向ける。
僕は少し身を固くして、その言葉の続きを待った。

「あの、先程のことですけれど……」
「先程のこと?」
「はい、浴衣のことです……」
「ああ……」

ほっと胸を撫で下ろす。
期待と不安の入り混じった様子は、きっと春歌ちゃんにも見て取れているんだろう。
そういう意味では、僕も未練だった。
まだ春歌ちゃんの方が、ずっと潔くすら感じられる。

「夏はまだまだ先の話ですけれど、頑張って皆さんの分も用意致しますので……」
「春歌ちゃんが?」
「はい、今から準備しておけば、きっと……」
「でも、大変じゃない? それに、みんな育ち盛りだから、すぐサイズが変わっちゃって……」

特に雛子ちゃんや亞里亞ちゃんは大変だろう。
水を差すようで春歌ちゃんには悪いけど、そこが問題だった。

「いえ、ゆったりサイズで作りますから……それに浴衣や着物は、それほど気にしなくてもいいんですよ」
「そうなの?」
「はいっ」

春歌ちゃんは楽しそうに笑って答える。
今の悲しみを忘れるためには、先のことを考える必要があった。
そう前向きに考え始めてくれた春歌ちゃんを見て、僕も心穏やかになった。

「そっか、じゃあ、悪いけど春歌ちゃんにお願いしようかな」
「ええ、わたくしに全てお任せ下さい、兄君さま」
「他のみんなの手伝いは要らない? もし必要なら、誰かに声をかけるけど……」
「いいえ、今のところは。まあ、お手伝いが必要になるとすれば、寸法を測らせていただくくらいですわ」
「なるほど」

春歌ちゃんはちゃんと計画立てて行動できる子だ。
だからこそ、夏には早いこの春と夏の間の季節に、こういう話をすることが出来る。
それに、春歌ちゃんは自分だけに出来ることを求めていた。
それを下らない気遣いで打ち消してしまうのは愚かしい話だろう。

「早速明日から、作り始めますね。一人で出来るかほんの少し不安ですけど、お祖母さまにお聞きして頑張ってみますわ」
「うん、頑張って。夏祭りには、みんなで着ようね」
「はいっ」

もう、悲しみの色はない。
少なくとも、僕にはそう見受けられた。
そして再び春歌ちゃんは着付けを再開する。
問題は何もなく、また全てが元通りに動き出して行った。

「そう言えば兄君さま……」
「なに?」
「同時に全員の浴衣を作るのは無理だと思うんです。ですから、どなたのものから作り始めたらいいと思いますか?」
「え、そうだね……」

誰のでもいいように思える。
でも、今は答えてあげることが重要なんだろう。

「千影ちゃんか咲耶ちゃんなんてどうかな? 他のみんなよりも年上だし……」
「どうしてですか?」
「あ、いや、やっぱり年下の子の方が、背も伸びるだろうからね」

別に深い意味なんてなかった。
ただ、現実問題として、それが当然のように思えた。
でも、春歌ちゃんは首を縦に振ることなく、僕に向かって言う。

「では、そういうことでしたら……」
「なに?」
「一番は兄君さまではありませんか? 一番の年長ですし……」
「あ、そう言えばそうだね。自分のことをすっかり忘れてたよ」
「ふふっ、いけませんわ。わたくしは兄君さまを第一に考えておりますのに」
「じゃあ、僕のからお願いしようかな。身長も、もうそんなに伸びないと思うしね」
「はい、では兄君さまのお浴衣から、お作りさせていただきますね」

もう、僕も春歌ちゃんも浴衣作りのことしか頭になかった。
きっと春歌ちゃんお手製の浴衣をみんなで着るのは、さぞ楽しいことだろう。
今から妹達のはしゃぎ回る光景が見えてくるようだった。

そして着物を完全に着終わった春歌ちゃんが、僕に向かって瞳を輝かせながら迫ってくる。

「では、善は急げと申しますわ、兄君さまっ。ささっ」
「ささっ、って……」
「ええ、ですから折角ですし、今のうちに寸法だけ、測らせて下さいませんか?」
「あ、そういうことね。うん、いいよ」

春歌ちゃんの言葉に納得すると、僕は気安くうなずいて答える。

「有り難う御座います。では、お時間は取らせませんので、ちょっと立っていていただけますか?」
「あ、うん、わかった」

寸法を取ってもらうために、僕は言われた通り春歌ちゃんの目の前に立つ。
頭ひとつくらい下のところに、ちょうど春歌ちゃんが来る感じだ。
僕が立ち上がると、春歌ちゃんはそのまま一歩前に出て、寸法を取り始めようとする。

「では、失礼します……」
「っと、そう言えば、メジャーとかは要らないの? あと、書き留めておく紙とか」
「兄君さまはお持ちですか?」
「紙と鉛筆ならあるけど、流石にメジャーはないなぁ」
「でしたら、それだけで結構ですわ。メジャーはあればいいというくらいですから」
「そうなんだ……」
「では、書くものをお借りしても宜しいですか?」
「あ、うん、じゃあこれを使って」

僕は机の上に置いてあったメモ用紙とシャープペンシルを手に取ると、春歌ちゃんに向かって差し出す。
が、書くものを用意しながらも、頭の中でメジャーが不要という台詞に首を傾げていた。

「では、兄君さま、失礼致します……」

春歌ちゃんは書くものを受け取ると、そのまま着物の袖に仕舞う。
そしてくるりと僕の背後に回り込んだ。

「……春歌ちゃん?」
「寸法を取りますので、申し訳ありませんが両腕を横に上げていただけますか?」
「あ、わかった。こうでいいかな?」
「はい、有り難う御座います」

僕は言われた通りに腕を横に上げる。
春歌ちゃんは僕の背中にいるため、何をしているのか僕には見えなかった。

「っと、それより、メジャーなしでどうやって寸法を取るの?」
「ええ、それはですね……」

すっと僕の手に何かが触れる。
見ると、それは春歌ちゃんの手だった。

「え?」
「こうして……人の身体で測るんですよ、兄君さま」
「そ、そうなんだ……」
「ええ、昔は自分の腕の長さで寸法を取ったんです。今でもそのやり方は残っているみたいですれけど」
「それは初耳だけど……」

触れられた指先。
でも、これは寸法を取るためだ。
現に春歌ちゃんは僕の腕と自分の腕を合わせて、長さを測っている。

「でも、ちょっと難しいみたいです……わたくし、やり方は存じているのですけれど……」
「そうなの? だったら無理にそうしなくてもいいんだよ」
「いえ、自分なりにアレンジしてみますわ。そうすれば、メジャーなしでも何とかなりますから」

春歌ちゃんは少し意地になっているのかもしれない。
メジャーくらいなくても採寸できるという自負のようなものが、その語調に感じられていた。

「そう、じゃあ頑張ってね、春歌ちゃん」
「畏まりました、兄君さま。春歌は兄君さまのため、全力を賭しますわ……」

春歌ちゃんの宣言と共に、僕の手が甲の上からきゅっと握られる。
そして驚く間もなく、また別の感触が僕の背中に伝わった。

「え、は、春歌ちゃん?」
「……少しだけ……少しだけで結構です……じっとしていて下さいませんか……?」
「あ、うん……」

僕の目には見えない。
でも、触れた柔らかさには、覚えがあった。
重なる指先。重なる腕と腕。
そして重なったのはそれだけじゃない。
春歌ちゃんはその全身をぴったりと、僕の背中にくっつけていた。

「もう少しですわ、兄君さま……」
「でも、それでどうやって……?」
「まず、横の長さを。兄君さまの腕を伸ばした長さと、わたくしの長さを比べて、その差がどのくらいかを調べれば……」
「なるほど……」

理屈はわかった。
しかし、やけにぴったりとくっついてきている。
さっきのこともあってか、僕はそれが気になった。

「でも、ちょっとくっつき過ぎじゃ……」
「くっつきませんと、正確な寸法が取れませんわ。申し訳ありませんが少しの間だけ、ご辛抱下さい」

そう答えたかと思うと、春歌ちゃんは更に身体を僕に押し付けてきた。
分厚い着物の生地の上からだけど、春歌ちゃんの身体の柔らかさが伝わってくる。
さっき僕が愛したその膨らみも、確かに感じられた。

「は、春歌ちゃん、まだ……?」
「もう少しです、もう少し……」
「は、早く頼むよ」

春歌ちゃんを軽く急かす。
長引くのは、あまりいい兆候じゃない。
すると僕の懸念が嘘のように、春歌ちゃんは身体を離してくれた。

「はい、終わりましたわ、兄君さま」
「そ、そう、よかった……」
「申し訳御座いません、お待たせしてしまって」
「いや、いいんだって。必要なことなんだろ?」
「ええ、必要なことなんです」

クスッと笑って僕に答える。
春歌ちゃんは僕から離れると、早くも袖に仕舞ったメモ帳を取り出して、測った数値を書き出していた。

「どう?」
「ええ、しっかり測れましたわ。ご安心下さい」
「有り難う、じゃあ後は……」
「次は、胴回りを測りますね」
「えっ?」

これでおしまいかと思っていた。
が、そうでもないらしい。
春歌ちゃんは胴回りを測ると僕に告げると、そのままひざまづいて僕の身体に腕を回した。

「ちょ、ちょっと春歌ちゃん!」
「じっとしていて下さい、兄君さまっ。寸法が取れませんわ」
「あ、ごめん、でもこのやり方は……」

まるで抱きつくような姿勢。
春歌ちゃんは僕のお腹のところに頬を押し付け、両腕をぴったりと胴に回す。
見下ろすと春歌ちゃんの頭しか見えないけど、それが却って変な感じだ。

「こうするしかないんです、兄君さま。ですから……」

春歌ちゃんは正面から僕にくっつきながら、もぞもぞとしている。
きっと腕だけでは測りにくいんだろう。
そうに違いない。

「春歌ちゃん……」

回された腕。
それがぎゅっと締め付けられる。

「春歌ちゃん、それだとウェストがきつくなっちゃうよ……」

でも、返事はない。
僕を抱き締める春歌ちゃんの表情は、その黒髪に隠されていた。

「春歌ちゃん、腕、きついよ。もう少し緩めて……」

怒ったりしない。
ただ、優しく諭すだけ。

「兄君さま……」

でも、腕の力は弱まらない。
ぎゅっと、ただぎゅっと。

「このくらいが……ちょうどいいんです……」
「そんなことないよ……」
「わたくしには……わたくしには、このくらいが……」
「春歌ちゃん……」

彼女に僕の寸法を取ってもらったのは、間違いだったのかもしれない。
少なくとも、今日この日には。
でも、春歌ちゃんを責めることは出来ない。
強いて言うなら、これは僕のミスだった。

「兄君さま……わたくし……」
「……何だい?」

優しく聞き返す。
言いたいことは全て言わせたかった。

「わたくし……わたくしは……兄君さまの言い付けを守れない、悪い妹でしょうか……?」
「それは……」
「……お叱り下さい。そして、このようなことをするなとおっしゃって下さい。兄君さまに怒られれば、諦めもつきますので……」

春歌ちゃんが僕に抱きついたまま顔を上げる。
その瞳は、微かに潤んでいた。

「そんなこと……」
「どうしてですか? こんなに簡単なことですのに」
「簡単なんかじゃ……ない……」
「どうしてっ?」

自分からは決して断ち切れない想い。
きっと春歌ちゃんの想いは、そんな想いなんだろう。

「どうしてって、それは……」
「それは?」
「春歌ちゃんは、悪くないから……」

そう、春歌ちゃんは悪くない。
兄への我が侭は妹に許された特権で、人を愛することは人に許された特権だった。
春歌ちゃんの想いは罪じゃない。
それなのに、どうして僕なんかが叱れるんだろう。

「悪く……ない?」
「そうだよ……」
「どうしてそんなことをおっしゃるんです? わたくしは、こうして兄君さまを困らせることばかり……」
「そんなことくらいで怒っていたら、僕は休む暇なんてないよ。そうだろ?」
「そ、それは……」

妹達にはいつも困らせられている。
みんな僕に我が侭ばかり。
確かに最初の頃は辟易したけど、そういうものだと割り切れば、別に気にもならない。

「昨日も言っただろ。妹は兄貴に甘えるもんだ、ってね」
「でも……」
「でもはなし。いいね?」
「はい……」

春歌ちゃんは納得したのか、ただ黙って僕の身体に顔を伏せた。
その小さな息遣いが聞こえる。
穏やかな呼吸は、僕の気持ちも穏やかにしてくれた。

「兄君さま……」
「うん?」

穏やかさが全てを包んで、しばらくして、春歌ちゃんが僕を呼ぶ。

「兄君さま……春歌は……兄君さまのことを……」
「うん……」
「ずっとずっと、お慕い申し上げております……」

顔の見えない告白。
お互いの表情が見えないからこそ、その言葉は切なく響く。

「春歌ちゃん……」
「兄君さまがわたくしのことをどのようにお思いになられても、やはりこの想い、捨て去ることなど出来ません……」
「別に、捨てろなんて言わないよ、僕は」

捨てることはない。
僕の理性も感情も、そう訴えている。
でも、それならどうして僕は、彼女を受け入れないんだろう。

「嬉しいです、わたくし……」

僕は春歌ちゃんが好きだった。
妹としても、ただの女の子としても。
妹かどうかなんて、そんな線引きは僕には出来ない。
一緒にいて、隣で笑っていてくれて。
そのことにこそ価値があるんだ。
僕に腕を回しながら喜んでいる春歌ちゃんを見て、純粋に嬉しいと思う。
この感情を僕は……どうしたらいいんだろう?

「……兄君さま?」

ふと、春歌ちゃんの声色が変わる。
僕は我に返って下を見下ろす。

「ん、どうしたの?」
「あの……少しだけ、気になったことが……」
「なに、言ってみて」
「はい、実は先程のことですけれど……」

顔を上げて、そしてきゅっと身を寄せてくる。
訴えかけるような瞳は、さっきよりも少し、強いものへと変わっていた。

「兄君さまは、その、ご自分ではどうされているんですか?」
「え?」

何が言いたいのか、僕にはよくわからない。
が、春歌ちゃんはそんな僕に、すぐに答えをくれた。

「あの、そのまた少し……大きくなっているようで……」
「あ、ああっ!」
「べ、別にお気になさらないで下さいっ。わたくし、その、責めるつもりなど微塵もなくっ、むしろ嬉しく感じていますので……」

春歌ちゃんは慌ててそう言うと、腕を外そうとした僕に抵抗して、更に僕の下半身に身体を押し付けてきた。

「は、春歌ちゃん、離れて……」
「いえ、離れません。兄君さまのお答えがまだですからっ」

胸が押しつけられる。
柔らかな圧迫で、僕は更に大きく、硬さを増した。

「こ、答えって……」
「このような時、兄君さまはどうされているのか、です」
「それは……」
「お答え下されなければ、わたくしは離れません」

決意の強さ。
というよりも、春歌ちゃんは必死だった。
求められて、僕の中の男はますます膨らんで行く。
今の春歌ちゃんを振り切るのは無理だと察した僕は、おずおずと答えることにした。

「そ、その……」
「はい」
「じ、自分で……」
「ご自分で、なされているのですか?」
「それしかないだろ。僕だっておと――」
「それは……」

焦りながらの僕の言葉を遮って春歌ちゃんが言う。

「それは、どなたを想ってされるのですか、兄君さま……」
「…………」
「他の妹の皆さんの中のどなたかでは……」
「そ、そんなことはないっ!」
「本当ですか?」
「本当だよっ。そんな、想像上だとしても、妹をそんな目で見るなんて……」

可愛い僕の妹達。
でも、妹だからこそ、一線を引く必要がある。
いくら春歌ちゃんが疑おうと、それだけは断言できた。

「そう、ですか……」
「そうだよ、これで安心できたかい?」

少し僕はむっとしていた。
いくら春歌ちゃんだろうと、踏み込んでいい部分とそうでない部分がある。
誰にも見せられない部分を邪推されたようで、僕は突き放すように返した。

「いえ、反対ですわ、兄君さま。わたくしは……今のお答えをお聞きして、悲しく思います……」
「えっ?」
「兄君さまは他の誰よりもわたくし達を愛してくれていると思っていました。ですから、兄君さまが夢の中でお抱きになる女性も、わたくし達の中のどなたかかと信じておりましたので……」

そう言って、春歌ちゃんは悲しそうな顔を見せる。
その表情に、偽りの色はなかった。

「春歌ちゃん……」

それは予想外の答えだった。
嫉妬でもなんでもなく、ただ、僕が抱くのは妹のはずだという言葉。
でも、無茶な考えでありながら、僕の胸には妙にしっくりと来ていた。
確かに、今の僕には妹以上に愛を注げる相手なんていない。
だからこそ、僕が今抱くのも妹のうちの誰かのはずだ。

「……わたくし、間違っていますか?」
「いや……春歌ちゃんの、言う通りなのかもしれない……」

妹を一番愛しているのに、別の女性を抱くのは失礼に値する。
その相手にも、そして妹に対しても。

「……わたくしは、この春歌を選んで欲しいと兄君さまに申し上げているのではありません。ただ、どうしてご自分のお心を偽りになるのか……それを悲しく思うだけです」
「ごめん……」
「わたくしだけではありません。兄君さまが感じて下さったのでしたら、女性を抱きたいとお思いになったら、いつでもそうおっしゃって下さい。夢でも現実でも、わたくし達妹は皆、兄君さまに愛されることをいつも心待ちにしているんです……」
「うん……」
「そしてわたくしも……兄君さまに抱かれたいと、いつでも思っております……」

春歌ちゃんは切にそう訴えかけると、その指先ですうっと僕をなぞる。
それは見えない糸で縛りつけられていた僕を、ゆっくりと解放していくかのように感じられた。

「春歌ちゃん……」
「でも、急にこんなことを申されては、兄君さまが困惑するのも致し方ないことかと思います。ですから……」

指先が、ジッパーを捉える。
そして静かに、下に降ろされていった。

「ですから兄君さまには約束して欲しいんです。夢でも現実でも、わたくし達以外の女性をお抱きになるのは……」
「……約束する。僕は愛する妹以外を、抱いたりはしない……」
「有り難う御座います、兄君さま……わたくしは、そのお言葉を聞きたかったんです……」

春歌ちゃんの手が、そっと僕を取り出す。
彼女の囁く声が魔法のように僕を縛りつけて、さっきまでのように抵抗する気を失わせていた。

「そして、兄君さまがこうしてお苦しくなった時には……」
「つっ……」

優しく握られる。
触れた掌の柔らかさに、僕は大きさを増した。

「兄君さまに抱いていただくのは、このわたくしを選んで下さるその日まで、待つことにします。それまではこうして……」

春歌ちゃんは挨拶するように手を軽く前後に動かしてから、そっと淡い唇を寄せた。

「は、春歌ちゃん、それは……」
「んっ、お気に……なさらないで下さい……兄君さまのですもの……」

唇にではないくちづけ。
触れた唇の優しさは、春歌ちゃんの愛情の表れだった。

「そんな、まだ……キスもしてないのに……」
「兄君さまが……んっ……お望みでしたら……でも、そうでないのでしたら……んんっ、そのようなお情けは無用ですわ……」

軽く音を立てながらついばむようなキスを繰り返した後、ほんの少し舌を出して僕をなぞっていく。
初めてのざらざらした感触に、僕は背筋を軽く震わせた。

「んっ……兄君さま……如何ですか……?」
「う、うん……」

純粋に、気持ちよかった。
自分でするより何倍もの快感が僕を襲う。
春歌ちゃんの濡れた舌の感触は魅惑的で、僕から余計な言葉を奪っていく。

「よかった……兄君さまに喜んでいただけて……」

春歌ちゃんの表情は慈愛に満ちていた。
その行為は扇情的なのに、穏やかに流れる空気はそのようなものを一切感じさせない。
きっとそれは春歌ちゃんの愛の形が、そうさせているんだろう。

「……兄君さま、どこかして欲しいところは御座いませんか?」
「あ、いや……」

まるで床屋で痒いところがあるかと訊かれているかのようなやりとり。
春歌ちゃんの言葉が僕を和ませていく。
が、僕の気持ちとは裏腹に、満遍なく唾液をまぶされた僕のものは、淫猥に赤黒く照り光っていた。

「ここの裏のところがよいと、お聞きしたのですけれど……」
「うあぁっ!」

少しだけ強く、春歌ちゃんの舌が僕の敏感な部分を擦りあげる。
僕は思わず大きな声を上げてしまった。

「兄君さま、お声が大きいですよ……もう少し低く……でないと他の方々をお起こししてしまいますわ」
「う、うんっ、でも、春歌ちゃんもちょっと……」

まだ、こんな刺激には馴れていない。
僕はすぐに絶頂を迎えてしまいそうな勢いだった。

「ちょっと……なんですか?」
「も、もう少し、弱く……」
「別に、いつお出しになられても結構ですよ、兄君さま」
「って、そういう問題じゃなく」
「兄君さまがお望みならば、一度わたくしの中で果てられた後も、続けてご奉仕させていただきますので……」

そう言うや否や春歌ちゃんは微かに唇を開き、僕をそのまま咥内へと滑り込ませた。

「ううっ!」
「んっ、ちゅぶっ……」

初めて感じた人の体内の温かさ。
真の意味での女性の身体を知らない僕は、一瞬陶酔しかけた。

「は、春歌ちゃん……」
「……んっ……んふっ……」

僕の反応を嬉しそうに、春歌ちゃんはそのまま頭を前後に動かす。
ぬるぬるした唾液が滑り、唇が先端を擦り立てる感覚。
嫌らしい音が、部屋にただ響いていた。

「くっ、そ、そんなにしなくても……」
「んっ……いえ……こうして差し上げた方が兄君さまも……」

春歌ちゃんは一旦唇を離してそう言うと、また再び僕を口に含んでいく。
特に吸い上げられる訳でもなく、ただ出入りしているだけなのに、懸命で真摯な春歌ちゃんの表情が、僕に何か特別なものを感じさせていた。

「春歌ちゃん……」

僕がその名を口にしても、ただ目を伏せて行為を続ける。
今の春歌ちゃんには言葉よりももっと伝えられる方法があると考えているのか、応えることなくただ頭を前後に動かしていた。

「んっ……ごめんね、春歌ちゃん……」

謝っても、答えはない。
ただ、髪の房を揺らすだけ。

「春歌ちゃんが僕を愛してくれるなら、僕も春歌ちゃんのこと……」

愛されることは喜びだった。
だからこそ、我が侭も何もかも許してしまえる。
でも、許すことが、受け入れることが人を愛することなんだろうか。
僕にはどこか間違っているように感じられて、そのまま先へ進むことが出来なかった。

「くっ……」

でも、寄せられた想いに応えずにいることは苦痛で、それが僕を悩ませる。
妹にはいつも、幸せに満ちていて欲しかったから。

「んっ、兄君さま……」

絶頂がもうそこまで来ている。
でも、僕にはその前に言うべきことがあった。

「うあっ……は、春歌ちゃん、僕は、ぼくはっ……」

素早く抜き取る。
そして今度は春歌ちゃんにかけないように、すぐに横に向けた。

「うっ、ううっ……うっ……」

春歌ちゃんのすぐ横の床に撒き散らす。
情けなく脈動しては、白い汚物を吐き捨てていた。

「あ、兄君さまっ!」
「い、いや、いいんだ、春歌ちゃん……」
「でもっ」

春歌ちゃんはこのまま口の中で出して欲しかったのかもしれない。
それがどういうことか、どんな味がするのかも知らないのに、ただ僕の全てを受け止めたい一心で。

「いいから僕の話を聞いて。お願いだから」
「は、はい」
「じゃあ、立ってこっちを向いて」
「はい、兄君さま……」

春歌ちゃんはわからぬままに僕の言うことを聞いて立ち上がる。
僕は少しだけ低い彼女の背丈に合わせて腰をかがめた。

「兄君さま……」

同じ高さで目と目が合う。
それだけで、何かが違って感じる。
僕はみんなよりも背が高くて、その分視線もちょっとだけ高くて。
それが「兄」なんだと思っていた。

「春歌ちゃん……」
「はい……」

でも、それは嬉しいけれど、ちょっと寂しい上下関係。
その僅かな差が、僕達を不安にさせていく。

腰をかがめて、視線をひとつにして。
それだけで、微かな不安は消え去っていく。
こうしてみて、僕は改めて気付かされた。
やっぱり僕は、春歌ちゃんのことが好きなんだって。

「好きだよ、春歌ちゃん……」
「あ、兄君さまっ……」
「だから、ちょっとだけ、目を瞑っててくれるかな……?」
「えっ……?」
「他のことなんて関係ない。僕はただ、春歌ちゃんにキスしたいって思うくらいに、君のことが好きだから……」

妹だから。
兄妹だから。
他の妹がいるから。
そんなことは全て言い訳。
ただ僕は春歌ちゃんが好きで、そのことは少しも変わらない。

妹としての好き。
兄としての好き。
男女としての好き。
好きの形には色々あるけれど、その形は誰かが決めたもので、僕達が決めたものじゃない。
目の前にいる人が好きで、それを伝えるためにキスしたくて。
そして僕のキスを受けるためにその目を閉じてくれるなら……。
ここでキスしない理由なんて、どこにもなかった。

「あ、兄君さま、わたくし……」
「……嫌?」
「そ、そのようなことはっ! わたくしっ、そのっ!」
「じゃあ、閉じて。それとも開いていた方がいい?」
「い、いえっ、ごめんなさいっ」

慌てて瞼が下ろされる。
ぎゅっと拳を握り締めて、全身を固く震わせて。
さっきまでの態度が嘘のように、春歌ちゃんは緊張しながら僕にその唇を差し出してきた。

「春歌ちゃん……」
「んっ……」

触れ合う唇。
少しだけ沈んで、その柔らかさを僕に伝える。
でも、それ以上に伝わるものがあった。
僕はただそれを感じたくて春歌ちゃんの身体を引き寄せる。

「……………」
「……有り難う、春歌ちゃん」
「え、あ、あ……」

キスを終えて、そっと身体を離して。
以前とは違って、春歌ちゃんは逆らったりしない。
ただ呆然として、僕の唇が触れた箇所を指先で確かめていた。
僕は彼女の自慢の髪に触れると、穏やかに笑って言う。

「……だからさ、夏になったら一緒に浴衣を着よう」
「えっ?」
「春歌ちゃんの作ってくれるお揃いの浴衣を、みんなで一緒に着てさ」
「は、はいっ!」

慌てて大きく首を縦に振る。
その様子に、僕は小さく苦笑した。

「夏祭り、楽しみだね、春歌ちゃん」
「はいっ、兄君さまっ!」

夏祭りと浴衣。
きっと今までと何も変わらない。
でも、こうして腰をかがめて視線をひとつにすれば、また何か違ったものが見えてくるだろう。
そしてその結果としてより妹を愛するようになるんだったら……。
それも悪くないかな、なんて思えた。

「わたくし、頑張ります。兄君さまのと、皆さんのと!」
「うん、楽しみにしてるよ。大変だろうけど、宜しく頼むね」
「任せて下さい、兄君さま。春歌はその、兄君さまのために……」

思い出したのか、ちょっと頬を赤く染める。
でも、僕はそんな春歌ちゃんを止めたりはしない。

「有り難う、春歌ちゃん。嬉しいよ……」
「はい、わたくしも……幸せですわ……」

キスのことはもう口にしない。
焦って求める必要は、もう僕達にはなかった。
ただ、そこにいて、笑ってくれたら。
あとはちょっとかがんで、視線をひとつにするだけ。
それは笑いたくなるほど簡単だった。

「夏、早く来るといいのに……」
「そうだね……」

待ち遠しい夏。
まだ遠い夏。
でも、風の香りはもう夏の兆しを僕達に伝えている。

窓の外から小さく鳴る虫の音。
それは僕と春歌ちゃんに対するご褒美のように、春の夜更けに微かに響いていた……。




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