カツーン、カツーン・・・・

オレの靴音が、静まり返った廊下に響く。
仄かに月明かりの差し込むここは、深夜の学校だった。

「・・・・」

オレは独り言を言う質でもない。
それにここで口を開けば、辺り一面に響き渡ることは目に見えていた。
だからオレは黙ったまま廊下を進む。
それがこの静謐な空間には相応しいように思えていた。

今、オレが向かっているのは、来栖川先輩のオカルト研究会の部室だ。
何だかこんな時間にあそこに行くと言うのは薄気味が悪い。
いつだったか、先輩に招待されていった時にはえらいめにあったっけか・・・・

オレは少し前のことを思い出しながら、軽く笑みをこぼした。
おっかない目には遭ったけど、あれはあれで先輩と二人っきりの時間が持ててよかった。
しかし今回は・・・・


オレは背筋に軽い寒気を感じると共に、不思議な昂揚感にとらわれていた。
そして軽くズボンのポケットを叩いてみる。

「用意は・・・万全だな。」

自分に確かめるように、オレはそっと囁いた。
草木も眠る丑三つ時、先輩との降霊会ならともかく・・・なんでオレはこんなとこにいるんだろ?


コンコン。

オレは部室のドアを軽くノックする。
本当に軽くノックしたにもかかわらず、その音は廊下中に響いてしまった。
しかし、そんなオレの無作法を咎めることもなく、中からそっけない応えが返ってきた。

「藤田か?」
「ああ、遅れて済まん。」
「気にするな。入れ。」
「ああ。」

至って簡素なやり取り。
しかし、この場の雰囲気とやけにマッチしていて、オレは別に不快にも思わなかった。

ガチャ・・・・

ドアのノブがゆっくりと回される。
中では蝋燭が点されているのか、オレンジ色の明かりがドアの隙間から漏れてきた。

オレは自分で作り上げた隙間から身体を斜めにして室内に滑り込む。
すると・・・・

「いらっしゃい。」

オレを出迎えたのはあの坂下だ。
さっきのぶっきらぼうな声も、同じく坂下のものなのだろう。
坂下は至って生真面目な空手少女で、技術のみにとらわれることなく、その精神面についてもかなり重
視している。
この坂下がどうしてこんな真夜中に学校に忍び込んでいるかと言うと・・・・

「よく来たわね、歓迎するわ。」

綾香だ。
綾香は葵ちゃんが坂下を負かして以来、何故か坂下を下僕にしている。
オレと葵ちゃんの知らないところで、二人の間に何やら不健全なやり取りが交わされていたのだろう。
オレにとってはどうでもいいことだったが、真面目に勝負した葵ちゃんにとっては可哀想な気がしなくも
ない。
無論、勝負に関して綾香はともかく坂下は真面目だったんだろうが、綾香の口車に坂下の方がうまく丸
め込まれたと言うところだろうか?
ともかく坂下は綾香に何らかの賭けで負けて、今ここに渋い顔をして座っている。

「どうした?始めないのか?」

黙ってぼけっとしていたオレに、坂下が声をかけた。
別に親しい訳じゃない。
これが坂下に与えられた仕事なのだ。

「わ、わかってるって。ホレ。」

オレはそう言うと、ポケットの中から財布を取り出して、取り敢えず千円札を三枚ほど差し出した。

「これだけでいいのか?」

椅子に座っている坂下は、オレの出した金を受け取って無表情に見上げて訊ねてくる。
確かに坂下はぶっきらぼうだが、感情がない訳ではない。
きっとここにいるのがかなり不本意で、しぶしぶこうしているのだろう。
まさしく最低限の仕事しかしないと心に決めているような・・・そして坂下からすれば、綾香の招待を
受けてここに来たオレも、綾香の棒組に他ならなかったのだ。

「いいんだよ。オレは運は強いんだからな。」
「そうか。」

坂下は大人しく引き下がった。
そして机の引き出しの中から、木製の札を何枚か取り出す。
その札は如何にも手作りと言う感じで、お世辞にも出来がいいとは言えない。
きっと綾香の奴が、下僕の坂下か葵ちゃん辺りに作らせた代物なのだろう。

札はいくつか種類があって、それぞれ隅っこの方に黒く線が引いてあったり、ちょっとした切れ込みが
入っている。何だか坂下と葵ちゃんが二人並んで彫刻刀でも握り締めているところを想像すると、なか
なかに笑えるものがある。
しかし、今の坂下の前では笑うことさえ許されないような雰囲気だった。

ともかくオレは坂下からその札を受け取る。

「そこに・・・座れはいいんだよな?」
「そうだ。」

こうして、オレと坂下のやり取りは終わった。
オレは心の中で、もう一度坂下の世話になることだけは避けたいと強く願っていた。


「あ、先輩、こんばんは・・・」

オレが座った席の隣には、葵ちゃんがいた。
葵ちゃんはこんな時間だと言うにもかかわらず、きちんと礼儀正しく挨拶をしてくれた。

「こんばんは、葵ちゃん。」

オレも横に座る葵ちゃんに挨拶をする。
二人とも時間が時間だけに、かなり声をひそめている。
しかし、誰も何もしゃべろうとしないここにおいては、一言口を利いただけで部屋の蝋燭が揺らめくよ
うにも思えた。

「でも、それにしてもこんな夜遅く大変だよな、葵ちゃんも・・・」
「いいんです。たまにはこういうのも面白そうですし。」

きっと葵ちゃん自身はどうあれ、綾香は葵ちゃんのことを坂下とほぼ同じ何でも言うことを聞く存在だ
と思っているのだろう。
まったく、この娘の純真を自分の道楽のために利用するなんて・・・
オレはそう思うと、正面に鎮座まします綾香に向かって不穏当な視線を向けた。

「・・・・」

この部屋は、綾香の手によって畳が数枚敷かれている。
無論、オレは靴を脱いでその上にあがり、あぐらを掻いて座った。
一方葵ちゃんの方は生真面目に正座を崩さない。
まあ、今はエクストリームだとは言え、以前は坂下と同じ道場で空手をしていたのだから、正座の方は
お手の物なのだろう。

そして、オレ達と綾香の間には両者を遮るように白い敷物が敷かれている。
オレが見た対岸の綾香は・・・・オレ達を待ち構えるべく、もろ肌脱ぎになって片手に藤製の壷、もう片方
にはサイコロを二つ、指の間に挟んでいたのだった・・・・






女賭博師、綾香 − 深夜の部室にて −

Written by Eiji Takashima
そう、それは今日、というかもう昨日なのだが、来栖川先輩と一緒に帰ろうと思って校門を潜り抜けた 時のことだった。 「遅かったじゃない、姉さん。」 オレ達を待っていたのは、あのいつものセバスチャンではなく、先輩の妹の綾香だった。 どうせ先輩は何も言わないと思って、オレが代わりに綾香に訊ねる。 「どうしたんだよ、先輩になんか用か?」 「ええ。でも、姉さんだけじゃなくて、取り敢えずあなたにも用事があるんだけど・・・」 「オレに?」 「ええ。」 「何だよ?エクストリーム関係か?」 綾香がオレに用事と言えば、葵ちゃん絡みだろうと思った。 そこを「エクストリーム関係」と言ったところが、オレの情けないところなのだろうが・・・ そして綾香もそんなオレに気付いたのか、軽く意味ありげな笑みを見せて答えた。 「違うわよ。私、最近ちょっと凝ってるものがあってね・・・あなたにも付き合ってもらいたいのよ。」 「そ、そうか・・・」 オレは綾香の凝っているものなんて想像もつかなかった。 すると綾香はオレに向かって楽しそうに訊いてくる。 「何だと思う?」 「えっ?そ、そうだなぁ・・・先輩は知ってるの?」 こく オレが隣の先輩に訊ねると、先輩は黙って首を縦に一度振った。 まあ、全くの正反対に見えても一応は姉妹なんだから、知っていても不思議じゃない。 案外この二人も仲のいい姉妹をやっているらしいから、オレの知らないところで不思議なコミュニケーシ ョンでもとっているのだろう。 「そ、そうかぁ、先輩も知ってるとなると・・・・なんだ?」 「あ、あなた・・・いつまで経っても変わらないわね。そんなんでうちの姉さんを任せていいものかしら・・?」 オレの言葉に呆れたようにそう言う綾香。 オレはそんな綾香にちょっとむっと来てこう答えた。 「おい、綾香、それは言い過ぎなんじゃないか?」 「そう?でもあなた、結構浮気性みたいだし・・・」 「な、なにっ!?」 オレはにやりと笑って大それた事を言う綾香に、思わず仰天しそうになった。 そして先輩も綾香の言葉に黙ったままオレの顔をじっと見つめてくる。 ううっ、そんな目でオレを見ないでくれぇ〜!! オレは胸の中でそう叫んだ。 口で言わないだけに、先輩の視線は痛い。 オレを信じ切っているのだろうか、先輩の視線はいつもと同じく穏やかだ。 でも、綾香はきっとオレと葵ちゃんのことを示唆して・・・・ 「ちょ、ちょっとこっち来い、綾香!!」 「な、なんなのよっ、急に?」 「いいから来い!!」 オレは慌てて綾香を引っ張ると、少し離れたところに連れていった。 そして詰め寄るようにして言う。 「望みは何なんだ?」 「の、望みって・・・ただ今晩私の趣味に付き合ってもらいたいだけよ。」 「それだけかっ?」 「それだけだって。別に姉さんや葵に変なこと吹き込んだりしないからさ・・・・」 「当たり前だ。」 オレって今、結構恐いかもしれない。 何だかこの綾香でさえ、今のオレにたじたじになっている。 「ちょ、ちょっと苦しいわよ。手を離して・・・」 「で、何だ?」 「何だって何よ?」 「趣味だ。」 「え、ああ・・・・」 「早く言え。」 オレがそう言うと、綾香は少し恥ずかしそうにしていたが、静かに口を開いて答えた。 「・・・壷振りよ。」 「壷振りぃ!?」 「そ、そうよ・・・悪い?」 「あ、あの、丁半駒揃いました、って奴かぁ?」 「だ、だからそうだって言ってるのよっ!!」 如何にも馬鹿にした口調のオレにかっと来たのか、綾香は大人しくオレに掴みかからせていたのをあっさり と振りほどき、強烈な肘撃ちを鳩尾にお見舞いした。 「ぐおっ!!」 「馬鹿な奴。大人しく従っておけば、痛い目見ずに済んだのに・・・・」 綾香はさっきとは打って変わってオレを見下した視線で見下ろす。 そして悶絶するオレに向かってこう言った。 「じゃあ、今日の夜中の0時、姉さんの部室で。お金持ってきなさいよ、いいわね?」 「ぐぐぐ・・・」 「あ、そうそう、これから姉さん借りるわね。部室のセッティングとかあるから。」 綾香はそれだけ言うと、無慈悲にもオレを置いて立ち去っていった。 そして先輩もオレの元に来ない。 きっと綾香に上手いこと丸め込まれたんだろう。 オレがこれこれこう言っていたとか何とか言って・・・・おのれ、この恨み晴らさでおくべきか!! そうして、オレは今晩、ここに来ることになったのだった・・・・・ 今の綾香は着物姿だ。 そしてよく映画やテレビであるように、右の肩を完全にはだけさせて片膝を突いて座っている。 こうして実際に見てみると、なかなかに色っぽい格好だ。 「何、じろじろ見てんのよ?」 「えっ?いや、すまんすまん。」 オレはそう言うと、情けなく謝る。 しかし、おっさん臭く視線だけは綾香に向けたままだ。 「ったく、女の肌を見たことがない訳じゃないでしょ!!スケベ面して・・・・」 「お前のは見たことがない。それに男はみんなスケベなんだ。良く憶えておくんだな、綾香。」 オレがそう言うと、綾香は怒りに顔を真っ赤にした。 まあ、当然だ。オレもわざと綾香を挑発するように言ったんだからな。 取り敢えずギャンブルは冷静さを欠いた方が負け。それが鉄則だった。 これでオレも数歩リードかな、なんて思ってると、綾香は急に表情に冷静さを取り戻させて、まるで猫の ようにこう言ってきた。 「浩之?」 「な、なんだよ・・・・」 綾香は扇情的な流し目をオレにくれる。 オレは図らずもどきっとしてわずかに後ずさった。 そして綾香はそんなオレを挑発するように、さりげなくもう少し着物をはだけさせてこう言った。 「あなたが勝って勝って勝ち続けて・・・・それで私がもう払えなくなったとしたら・・・・」 「・・・・」 「もっと・・・見れるわよ。」 「!!!」 オレはごくりと唾を飲み込む。 もう完全に綾香の迫力と色香に参ってしまったのだろうか? オレのちょっとした心理作戦も裏目に出てしまって・・・頭の中には、オレが綾香の着物の帯を引っつかん で「あーれー!!」と言う男のロマンとも言うべきぐるぐる回しをしている光景が渦巻いていた。 そしてそんなオレを見て綾香はにやりと笑う。 さもあろう、オレは完全に綾香の術中にはまっていたんだから。 「せ、せんぱい・・・・」 そんな時、隣にいた葵ちゃんがオレのシャツの袖をくいくいっと引っ張る。 「あ、葵ちゃん・・・・」 オレは思い出したように葵ちゃんの方を見る。 すると葵ちゃんは恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら、オレに向かって言う。 「あの・・・そんなひどいこと、しませんよね?これ、遊びなんですし・・・・」 「え、あ、まあ・・・・」 「私・・・そんなにお金、持ってきてないんです。あの、おこずかい前で・・・」 「へっ?」 「あの、その、ひ、人前で裸になるなんて・・・私、出来ません。」 「はあっ!?」 葵ちゃん、思いっきり勘違いしている。 胴元の綾香はともかく、葵ちゃんは持ち金がなくなればやめたらいい話だ。 まあ、実は葵ちゃんも相当のギャンブル狂で、負けが込んで坂下に借りるなんてことがなければ、の話 だが・・・・ そしてオレだけでなく、綾香も当然葵ちゃんの大ボケに気がついて、けらけらと笑いながら言った。 「葵、あなたもなかなか可愛いこと言うわね。心配しなくっても大丈夫よ、お金は貸しても身ぐるみ剥 ぐなんてことはしないから・・・・ま、浩之は別だけどね。」 「お、おい・・・・」 「いいじゃない、別に。葵も姉さんも浩之の裸、見ても平気でしょ?」 「えっ、先輩?」 オレは綾香の言葉の中身よりも、来栖川先輩に向かって呼びかけたことに驚いた。 そして慌てて目を凝らして周囲を探してみる。 すると・・・・ こくこく いた。しかも綾香の問いにこくこくしてる。 先輩がいたのは、なんと葵ちゃんの隣。つまりはオレと先輩は葵ちゃんを挟んですぐ傍にいた訳だ。 いくら室内が薄暗いとは言え、こんなに近くにいて全く存在を感じさせないなんて・・・ 流石はオレの芹香さんっ!!ってとこかな? 「せ、先輩もいたんだ・・・全然気付かなかったよ。」 オレは葵ちゃんの向こうの先輩に声をかける。 すると先輩はちょっと恥ずかしそうにぽそぽそと何やら喋った。 「えっ?私はずっと前からオレのことに気付いてましたって?」 こく そりゃそうだ。 この中では、オレが一番騒々しい存在だったから。 「ともかく時間もないし、さっさとはじめましょ。」 先輩との巡り合いに水を注すように、綾香が全員に呼びかけた。 そしてオレ達はこれから勝負の世界があることを思い出して黙ってうなずいた。 先輩だけでなくオレや葵ちゃんまで揃ってこくこくしてるとなかなかに笑える光景かもしれないが、そん な呑気にもしていられない。 オレはここで快勝して綾香の着物の帯を・・・いやいや、とにかく綾香には夕方の借りを返さねばっ!! そして、勝負は始まった。 「入ります・・・」 如何にものポーズで綾香はそう言う。 まあ、この部屋の様子を見ればわかる通り、綾香が相当これにはまっていることは目に見えていた。 なににそんなに惹かれているのか、オレには見当もつかなかったが、でもここまでくると敵ながらあっぱ れだと思う。 そしてオレや葵ちゃんの格好が如何にも場違いのようにも思えるのだった・・・って、あれ? 「何よ、折角私がきめるんだから、大人しくしてなさいよ。」 綾香が不満そうに言う。 だが、それどころではなかった。 「せ、先輩、それ・・・・」 オレは立ち上がって先輩を見る。 先輩は・・・いつのまにか例のビロードの黒マントとトンガリ帽子をちゃっかり身につけていたのだ。 そして驚くオレの方を無表情に見つめ返して先輩はぽそぽそっと何かを呟く。 「えっ?正装ですから、って?」 こく 「で、でもいつのまに・・・ついさっき?そ、そう・・・・」 オレは呆れて何も言えなかった。 そしてそんなオレに同感なのか、綾香が壷振りの体勢のまま嘆くようにこう言った。 「姉さんはね・・・何を言っても無駄よ。譲れないポリシーらしいから・・・・」 「ははは・・・そうなんだ・・・」 こくこく 肯定するようにこくこくする先輩。 やっぱりオレの芹香さんは可愛い顔に似合わずなかなかお茶目だぜっ!! 「と、とにかくはいっ!!丁か半か?」 何だかちゃんとポーズを極められないままに、強引に綾香が始めた。 そしてオレ達も綾香の路線に大人しく従う。 「うーんと・・・先輩はどっちだと思います?」 こういうのには慣れていないのか、葵ちゃんが悩んだ顔をしてオレに聞いてくる。 「葵ちゃん・・・それが判ればギャンブルにはならないって。」 「あ、そ、そうですよね、す、すみません、恥ずかしいこと言っちゃって・・・・」 葵ちゃんは恥ずかしそうにうつむいて顔を赤く染める。 そして木札をしばらく手の中で弄んでいたが、意を決したかのようにそっと一枚差し出した。 「ええと・・・じゃあ、半。」 「半ですね?」 「え、は、はい。」 「丁方ありませんか?」 「あ、じゃあ、オレ、丁で。」 「はい、丁半駒揃いました。」 何だかんだいいながら、勝負はスムーズに進んだ。 綾香は物々しく藤製の壷をゆっくりと持ち上げて・・・ 「五二の半!!半と出ました!!」 「や、やったぁ!!せ、先輩、私、勝っちゃったんですよねっ!!」 勝って喜ぶ葵ちゃん。 でもオレは・・・とほほ、負けなんだよ。 まだ序盤戦とは言え、幸先のよくない負け方だ。 しかしそれにしても負けたオレの傍でそんなに喜ばなくってもいいのに・・・・ そしていつのまにか坂下が綾香の隣にいて、熊手のような木の棒でオレの掛札を奪い去り、反対に勝った 葵ちゃんの方に札を押しやった。 それを手にとって嬉々とする葵ちゃん。 全く・・・あんまり一緒に賭博をして楽しい相手ではないかもしれない。 まあ、しょうがないと言えばそうなんだろうけどさ・・・・ 勝負は続く。 綾香・坂下コンビはなかなかに強力で、オレの財布の中身を次々に減らしていった。 オレも男だ、勝つまでやると意気込んだのが裏目に出たのか、オレの今月の生活費のはずだった財布の中身 からは、既に万札が二枚も消費されていた。 「負けぬ。」 オレは自分に言い聞かせるようにぼそっと呟いた。 だが、振り師の綾香はそれを聞き逃さずにオレに向かってこう言う。 「あら、そんなこと言っちゃって大丈夫?そろそろ限界なんじゃなくって?」 「うっさい、黙ってろっ!!」 「恐い恐い。」 綾香は興奮状態にあるのか、はだけた着物から覗かせる肌はややピンク色に染まっている。 普段ならそっち目が行くオレも、今はひたすら綾香の手に視線を釘付けにしていた。 しかしそんな時、オレの耳になにかぶつぶつ言う声が聞こえてくる。 どうもしばらく前から聞こえてきたような気がしていたのだが・・・・ オレは気になって振り向くと、そこには目を血走らせた葵ちゃんがいた。 「あ、葵ちゃん・・・」 だが、葵ちゃんの耳には入っていない。 「・・・負けちゃ駄目、負けちゃ駄目、負けちゃ駄目・・・・えい、丁!!」 「・・・・駄目だな、こりゃ。」 葵ちゃん、完全にはまってるみたいだ。 どうやら既に持ち金は使い果たして、坂下の厄介になっているらしい。 まったく、初めの話が冗談じゃなくなってきた。 身ぐるみ剥がれてもおかしくないんじゃないのか・・・・? しばらくして・・・オレは相も変わらず負け込んでいた。 現金も既に底を突き、今手にしているこれが最後の賭け札だ。 まあ、葵ちゃんのように坂下の厄介になればいい話なのかもしれないが、これ以上負けたら洒落じゃ済 まなくなってくる。 それに坂下の厄介になると言うことは、綾香の軍門に下ると言うことを意味していた。 それだけはオレの男の面子にかけて許す訳には行かない。 オレは綾香にギャフンと言わせるためにここに来たんだから・・・ でも、オレもずっと負け続けと言う訳じゃない。 大体一回勝つと二回負けると言うペースだ。 だからイカサマがどうとか言うことはないだろう。 やっぱり単にオレのツキがないだけか・・・・ そしてふと隣に視線を向けると、葵ちゃんもどうやら最後の一枚らしい。 しかし、既に持ち金がマイナスの葵ちゃんは完全に壊れていた。 何だか折れそうなくらいに力強く賭け札を握り、目も完全に行っちゃってる。 オレと葵ちゃんをここまで素寒貧にして、綾香はさぞかし御満悦なことだろう。 オレはそう思って綾香の方に視線を向けると・・・オレが想像していたのとは正反対だった。 「ね、姉さんを呼んだのは失敗だったわね・・・・」 綾香は顔面蒼白だった。 そしてその原因を探るべく、先輩の方に視線を向けてみると・・・ 「せ、先輩、なにその量は!?」 賭け札の山、山、山だった。 「姉さん、まだ一度も負けてないのよ。信じられないったらありゃしない・・・・」 誰に言ったのか、綾香はそう呟いた。 だが、そんな綾香に向かって先輩は無慈悲に札を差し出す。 しかも・・・持ち札全部。 「ね、姉さん、勘弁してよ・・・そんないっぺんに賭けて・・・とんでもないことになるじゃない。」 困ったように懇願する綾香。 自分が勝つと言う可能性もあったのだが、この先輩の勝ちっぷりを見せ付けられては、流石の綾香も勝 負には出難いのだろう。 ふるふる しかし、そんな綾香に対して先輩は首を左右に振った。 案外先輩もギャンブラーなのかも? オレは自分が激しく負けているにもかかわらず、何だか嬉しくなって叫んだ。 「さっすが先輩、当然だよねっ!!ホレ、綾香、さっさと振りやがれ!!」 「・・・・わかったわよ。仕方ない・・・・四六の丁、入ります。」 綾香も先輩が言ったらてこでも動かないと言うことを知っているのか、しぶしぶ壷を振った。 「で、先輩はどっちにするの?丁?それとも半?え、半だと思いますって・・・そういう訳だ、綾香。 我らが芹香先輩は半にお賭けなさるのだぞ!!」 「うるさいわねっ!!外野は引っ込んでなさい!!」 綾香は完全に切れていた。 まあ、さもあろう。 ここまで完全に勝ち続けられたとあっては、綾香としても自信喪失だ。 一般人のオレや葵ちゃんとは違って、なんたって奥様は魔女、もとい先輩は魔法使いだからな。 綾香などとは格が違うってもんだ。 流石は我らが芹香さん、黒猫を生け贄にしてるのは伊達じゃないよなっ!! そしてオレは動揺を隠し切れない綾香に向かって、それ見たことかと挑発する。 「あやかぁ〜ここで負けたら・・・わかってるよな?」 「わ、わかってるわよ。負けなきゃいいんでしょ、負けなきゃ!!」 「そうだよ、負けなきゃいいんだよ。」 オレはそういいながら両手をわきわきさせてみせる。 もし綾香が負けたとしても、勝ったのはオレじゃなく先輩だ。 だからこのオレがどう出来るわけでもないのだが、今の綾香はそこまで頭が回らないはずだ。 オレは先輩がすぐ傍にいるにもかかわらず、不謹慎にも綾香のぐるぐる回しを想像していた。 「・・・・」 ごくりと唾を飲み込む音が聞こえてきそうだ。 緊張感が全体に走る。とは言っても先輩はいつものマイペースなんだけどね。 「開けるわよ・・・・」 綾香がゆっくりと壷を持ち上げて、真っ先にサイコロの目を見ようと顔を近づける。 「・・・どっちなんだよ?」 オレはちょっといらついて訊く。 だが、オレに応えずに綾香は唐突に立ち上がって叫んだ。 「坂下っ!!」 すると坂下も立ち上がってぼそっと答える。 「合点承知。」 そして坂下は懐から何かを取り出して床に投げつける。 投げつけられた白っぽい物体は、床で弾けて部屋中を真っ白に染め抜いた。 「なにっ、煙幕か!?」 完全に油断した。 まさか綾香がここまで準備していたとは・・・ オレは煙幕に使われたと思しき小麦粉に咳き込みながら目を凝らして綾香と坂下を捜す。 だが、当然逃亡のための煙幕、逃げていないわけはなかった。 「くそっ、逃げられたか・・・・」 オレは歯噛みしながらも、取り敢えず先輩を心配して言う。 「先輩、大丈夫?」 黒づくめのコスチュームのため、先輩は情けない格好になってしまっている。 「え、大丈夫ですって?それならよかった。しっかし綾香の奴め・・・」 オレは先輩の頭から帽子を取り去り、マントに積もった小麦粉を払ってあげた。 そしてなんとなく視線を向けてみると、坂下のいた机の引き出しは見事に開け放たれ、オレと葵ちゃんか ら巻き上げるだけ巻き上げた現金は一円残らずなくなっていた。 「ったく、それにしてもなんて手際だ・・・時代劇の見過ぎだぞ。」 オレはそうこぼす。 まあ、オレ自身は負けていたのだから文句を言う筋はないかもしれないが、卑怯な手口に文句を言わずに はいられなかった。 すると、そんなオレに先輩が済まなそうにする。 「え、ごめんなさいって?別に先輩が謝ることじゃないだろ?でも、妹のしたことですからって・・・ 優しいんだな、先輩は・・・」 オレがそう言うと、先輩はぽっと赤くなって下を向いてしまった。 そして何やらオレに向かって恥ずかしそうにぽそぽそと言う。 「え、何だって?妹の代わりに私が脱ぎますって・・・先輩、いいっていいって!!」 オレはマントに手をかけようとした先輩を慌てて止めた。 まあ、芹香さんの裸を見たくないなんて言ったら大嘘だけど、でも、こんなので見たくなんかないよな。 やっぱり愛がないと・・・・ なんて、自分で考えててこっぱずかしくなって、オレはごまかすように笑って視線を先輩から逸らす。 すると・・・・ 「あ、半だ。やった、私、勝っちゃいましたよ、先輩!!」 そこには呑気に自分の勝負の結果しか気にしていない小麦粉まみれの葵ちゃんが、壷振りの壷を手にし て小躍りしていた。 それをみてオレは大爆笑し、そして葵ちゃんと先輩はわけがわからないと言う感じできょとんとするだけだった・・・・
おしまい

戻る