ネルフ創世紀
人が行きかう雑踏の中、一人の初老の男がとぼとぼと力なく歩いていた。
その男は道端に力無く腰を降ろすと、その肩に背負った唐草模様の風呂敷包みを傍ら
に置き、
疲れきった人生の重みを感じさせる大きなため息をついた。
途方に暮れた視線を足元に漂わせ、その男、冬月コウゾウは無意識の内につぶやいて
いた。
「ああ、明日からどうしたもんだろうか。」
すると、そのつぶやきに答えるように彼の頭上から声が聞こえた。
「よう、大将、どうしたね不景気なツラして、よかったらこの俺に話してみな。」
力無く見上げるとそこには、顎髭をたくわえ、飴色のサングラスをかけた、
あやしいといえば、あやしいような気がする、人相のよくない男が
うすら笑いを浮かべて覗き込んでいた。
「いや〜、何ね...」
冬月は自嘲ぎみに笑うと、自分の身の上をぽつりぽつりと話し始めた。
「オイラがね、働いていた万年筆工場がさ、昨日の火事で焼けちまったんだよ、
それでさ、会社がつぶれちまってね、オイラ仕事無くなっちまったんだ。」
「へ〜、そいつぁあ大変だあ、おう、兄弟、この大将の働いてた工場がなんと
火事で丸焼けなんだとさ。」
サングラスの男は冬月の言った言葉を、妙に芝居がかった口調で通行人に向かって大
声で語った。
大抵の人は気にも止めずに通りすぎるが、野次馬根性丸だしの輩が何人か足を止め、
何だ、何だと覗き込んだ。
人が大分、集まったのを見計らって、冬月はその手で顔を覆い、突然泣き始めた。
「エ〜ン、エ〜ン、オイラ明日からどうしたらいいんだよお。」
「おい、泣いてるぜ。」
「いったいぜんたい、どうしたってんだい。」
野次馬たちがただ事で無い雰囲気に騒ぎ始めた。
それに答えるように、サングラス男がまたしても大きな声で身振り手ぶりを交え、
最初から冬月の言葉を代弁した。
「なんと、この大将の働いてた工場が昨日の火事で丸焼けになっちまったんだとよ、
おかげで大将は哀れ無職、この通り途方に暮れてるって寸法さ、
なんとも酷い話しじゃあないかい、グッスン。」
野次馬の中からも、もらい泣きをし、涙ぐむもの、鼻をすするものが出てきた。
「おう、可愛そうだなあ。」
「なんとかならねえのかよ。」
同情の野次がとんだ。
サングラス男は冬月を慰めるように彼の横にしゃがみこみ、話しかけた。
「おい、大将、いい歳して泣くなよ、みっともねえぜ、それよりこれからの事を考え
なくちゃ。」
なぐさめながらサングラス男は冬月の傍らにある風呂敷に注目していた。
「よう、大将、この包みの中、一体なにが入っているんだい?」
「これかい?これは会社が退職金がわりにくれた万年筆さ。」
「へえ、万年筆、ちょっと俺に見せてみな。」
そういうと男は万年筆を手に取って、何かを調べるように見はじめた。
「へ〜、なるほど、こいつぁあ、ずいぶんと高級な代物だね、まともに買うと
五万円はするね〜。」
「おい、五万円だってよ・・・」
野次馬たちが、ざわざわと騒ぎはじめた。
「よう、大将、どうだい、こんな沢山の万年筆、あんたが一人で持ってたってしょう
がねえだろ、
それだったら、ここにいる皆さんに安くお譲りするってえのは、
皆さんは高級万年筆が安く手に入る、あんたは当面の生活費が手に入る、どうだい。」
「オ、オイラは別にかまわねえけど...」
「そうなったら話は早いや、さあ、大将、いくらで売る?」
「オイラ分からねえや、あんたが決めてくれよお。」
「そうか...よし、二万だ、まずこの一本を俺が二万円で買おう。」
男は、冬月に二万円を渡すと万年筆を手に取って叫んだ。
「なんと五万円以上の万年筆がたったの二万円で手に入っちまった、こんな幸運、二
度とねえや。」
その言葉を皮切りに野次馬どもが二万円、片手に押し寄せた。
万年筆はあっというまに完売した。
人ごみを離れた裏通り、冬月とサングラスの男、六分儀ゲンドウは先程の売り上げを
仲良く数えていた。
「今日も大成功だったな六分儀。」
「ああ、冬月、我々の新組織、ネルフの資金だ。」
「しかし、疲れたな、こう、ビールでキュっと一杯やりたいものだな。」
「そうだな、今日はノルマ以上の売り上げだったし、たまには贅沢もいいか。」
二人は連れ立って、路地裏のなるべく安そうな酒場へと消えていった。
「おばちゃん、とりあえず、大生二つと枝豆とおしんこね。」
ビールとつまみを注文すると、二人は疲れと共に人生の垢をも拭き取るように
おしぼりで顔を拭った。
「じゃあ、まあ、とりあえず、お疲れさまということで、かんぱ〜い。」
「かんぱ〜い。」
冷たいビールが、未来を夢見る二人の喉を潤した、
人類補完への道のりは長く、厳しいのだ。
しかし、そんな彼等に鋭い視線を浴びせる一団がその薄汚れた酒場の片隅に居た。
「おい、あいつ、さっきの万年筆のジジイじゃねえか?」
「おう、本当だ、ちっきしょう、あいつらグルだったのかよ、俺、さっき二本も
買っちまったよ、ちきしょう!」
「おい、おめえら、ちょいとツラかしな。」
バキッ!
路地裏に拳が炸裂する鋭い音が鳴り響いた。
「おい、これに懲りたら、ふざけたまねはするんじゃねーぞ。」
「か〜、ぺっ!」
顔に痣を作り腹部を思いっきり蹴り上げられ、六分儀と冬月は小便臭い路上に転がっ
ていた。
「ううう、だ、大丈夫か、冬月...」
「ああ、おまえこそ、六分儀、ちきしょう、あいつらあり金、全部持っていっちゃっ
たよ。」
「しかたがないさ、明日からまた稼ぐしかねえや、だけどもうこの街は面がわれちま
った、
また新しい河岸をみつけなきゃなあ、よっと、立てるか冬月。」
「ああ、六分儀。」
二人はお互いの体を支えあいながらよろよろと立ち上がった。
「今日はもう帰ろう。」
たどたどしく歩きはじめた二人の行く手を奇妙なゴーグルを掛けた太った男がたちは
だかった。
「ちょっと待ちな、おまえらだな最近ここらで荒稼ぎしてる泣き売屋ってえのは、
ずいぶんとうちの組のシマ、荒してくれるじゃねえか、オイ!」
「ヘイ!」
男の合図と同時に長い髪を後ろで束ね、無精髭を生やした男が右手にメリケン・サックを
はめながら、進み出てきた。
「わるいな、これも仕事なんでね。」
いい終わるやいなや、強烈なパンチが二人の腹にめり込んだ。
悶絶して倒れかかる顔面を思い切り膝蹴りでかちあげられ、倒れることも出来ずに
殴られ続ける冬月とゲンドウ。
彼等の意識が遠のきゆっくりと崩れ落ちた。
「ヤクザもんなめんじゃねーぞ、コラァ!」
駄目押しの一蹴りをゲンドウの顔面に叩こむとゴーグルヤクザは去っていった。
「うう、今のは効いたな〜、おい、冬月、生きてるか?」
ゲンドウのすぐ近くから、しくしくとすすり泣く声が聞こえた。
「え〜ん、え〜ん、オイラもうこんな生活やだよ〜。」
「泣くな冬月、泣けば自分がみじめになるだけだぞ、いつかビッグになって
あいつらを見返してやるんだ。」
いつしか降りだした雨が、冷たく彼等の体を打ち、こらえきれずに流れ出る涙を
洗いながすのだった。
がんばれ、へこたれるな、ゲンドウ、冬月。
人類補完の未来は君たちの双肩にかかっているのだ!
完
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