Evangelion Short Story
魂の願い
ワタシには、何もない。
友達はいない。ヒカリは心配してくれるけど、それはヒカリが委員長だから。
友達としてじゃない。
家族はいない。シンジもミサトも、エヴァに乗るという任務があるからワタシと住んでいた。
そして、エヴァに乗れなくなったワタシに、家族はいない。
両親はいない。本当の母親は、ワタシの心の一部を持って違う世界へ旅立ってしまった。父親と新しい
母親は、明らかにワタシを疎んじている。ドイツを離れても、せいぜいたまに電話してくる程度。
ワタシには、両親はいない。
ワタシはエヴァに乗れない。使徒に負けた。シンクロ率は0。
エヴァに乗っても、エヴァは動いてくれない。
ワタシは、強くない。
シンジは強い。みんなを守るために戦うことができた。ワタシにはできない。
ファーストは強い。ワタシがいくらつっかかっても、殴っても、動揺しない心の強さを持っている。ワ
タシにはない。
ミサトは強い。お父さんのこと、いろんな事を心に負いながら、それでも毅然として生きている。ワタ
シにはできない。
みんな強い。ワタシは、強くない。
ワタシにはもう何もない。
何も、ない・・・・。
「アスカ・・・・入るよ」
小さな、本当に小さなノックのあと、シンジは滑り込むように室内に入ってきた。
そして、いつものようにベッドの上に座っているワタシを見て悲しそうな顔をする。
「アスカ・・・元気?」
毎日のように尋ねる台詞。そして、毎日のように訪れる沈黙。ワタシが答えないから。心を、閉ざして
いるから。
「いい天気だよ、外・・・・散歩、しない?」
「・・・・・・いいわ、別に・・・・・・」
外の世界に、興味なんか無い。ワタシのいる場所のない世界。ワタシを排除するこの世界に、興味なん
か無い。
だから、散歩なんかしない。
「・・・・・・・・・・・」
シンジは、ワタシの態度に困ったような顔をしている。
シンジ。こんなワタシを見に、毎日のように通ってくる。ワタシが無視しても、言葉を返さないでも、
毎日のように通ってくる。
「お弁当・・・・作ってきたんだ・・・・アスカ、食べようよ」
そういって、鞄の中からワタシのお弁当箱を取り出す。中身は唐揚げ、卵焼き、温野菜、ご飯にはワタ
シの大好きだった鮭のふりかけをまぶしている。
でも、今のワタシはそんなものいらない。
お弁当も、シンジの同情も、ワタシはいらない。
「アスカ・・・・今日も、食べてくれないんだね」
悲しそうな顔。でも、それすら今のワタシには興味ない。
同情なんていらない。ワタシは、この世界にいらない人なんだから。
「ワタシなんて・・・・」
「え、なに、アスカ?」
「ワタシなんて、生まれてこなければよかったのよ・・・・」
「ア、アス・・・・カ・・・・」
首を締めようとする母親。母親の葬儀の席で冷ややかにワタシを見る父親。あからさまな継母の嫌悪の
表情。遠巻きにするクラスメイト。動かないエヴァ。
「ワタシなんて・・・・いらないんだ・・・・生まれてくるべきじゃ・・・・なかったんだ・・・・も
う、ワタシなんか・・・・放っておいて・・・・同情なんか・・・・いらない・・・・」
パァン。
「・・・・・・」
右の頬が、痛かった。
ひっぱたかれたことに気づいたのは、しばしの後だった。
今までとは比較にならないほど悲しい顔で、シンジが立っていた。
「アスカ・・・・そんなこと言うなよ・・・・自分がいらないなんて・・・・生まれてこなければよかっ
たなんて・・・・それだけは、言っちゃいけないよ・・・・」
シンジの目に、涙が浮かんでいた。
シンジが泣くのを見るのは、初めてだった。
「・・・・アスカ・・・それは、言わないでくれよ・・・・」
「何よ・・・・みんなに大事にされるアンタに・・・・そんなこといわれなきゃいけないのよ・・・・ア
ンタなんかに・・・・アンタにワタシのことが分かるっているの・・・・同情やお情けなんて・・・・い
らないわよ・・・・」
声が、出なかった。身体が弱っているのだろう。以前のアタシからは考えられない。
ホント、シンジのお情けを誘うような格好だわ。
「ふふふふふ・・・・・」
笑いと共に、頬を涙が伝った。
「帰って・・・・もう、来ないで・・・・」
「アスカ・・・・」
「必要じゃないのよ・・・・ワタシなんて・・・・」
「・・・・また、明日来るよ・・・・それと、お弁当・・・・置いて行くから・・・・」
シンジは、それだけ言うと鞄を持って扉の方へ歩いていった。
「アスカ・・・・叩いたりして・・・・ゴメン」
出ていく直前、シンジはそれだけ言った。
ワタシは、それを見つめていた。
シンジも、これでワタシを嫌ったわね・・・・。
涙が、また頬を伝っていった。
その夜、ワタシは夢を見た。
珍しかった。いつもは何も見ないか、見ても母さんの夢だけだったのに。
「やあ、惣流・アスカ・ラングレーくん」
夢の中で、その少年はにこやかにほほえんでいた。
「なに・・・・あなた・・・・」
「僕? 僕はそう・・・・君の失った心・・・・それを持ってきた謎の少年。そんなところだね」
「失った心・・・・そんなもの・・・・ワタシには心なんてないもの・・・・」
「本当にそう思ってる?」
「そうよ・・・・ワタシはいらない人間・・・・生まれて来ちゃいけなかった人間だから・・・・」
「惣流・アスカ・ラングレーくん」
「アスカ、よ」
私の訂正に、照れ笑いをしながら、少年は言葉を続けた。
「じゃあ、アスカくん。人が生まれてくるべきかどうか、いったいだれが決めるんだい?」
「・・・・・・」
「君は自分を卑下して、生まれてこなければよかったと、その言葉で今の自分を慰めてないかい?」
「・・・・・・」
「自分はいらない子供なんだ。シンジ君と違って、自分は必要ない子供なんだと」
「・・・・シンジ・・・・」
「人は生まれてくる場所と時を選べない。だからこそ、人は置かれた環境の中で必死に生きるんじゃない
のかい? シンジ君のように」
「・・・・・・」
「君はシンジ君が必要とされている、そう思っているね」
「そうよ・・・・シンジはみんなに大切にしてもらっている。シンジは、みんなに必要とされている幸せ
な人間なのよ・・・・」
「それは、彼の心の内を見た上で言っていることかい?」
「・・・・・・」
「碇シンジという人間を知り尽くした上での言葉かい?」
「・・・・・・」
「彼の内心を、君は知っているのかい?」
「・・・・・・」
「誰にだって、人には言えない苦しみを持っている。碇シンジ。綾波レイ。葛城ミサト。それぞれが、心
の内に君のような苦しみを持っている。人によってその形は違えどね」
「・・・・・・」
「シンジ君は悩みを抱えている。父親のこと、自分のこと、傷つけてしまった友人のこと、戦いの中で、
心を許した友達を手にかけたこともある・・・・もちろん君のこともだ。幾晩も悩んでいるその姿を、
君は見たことがあるのかい? その上で、彼は幸せだと言い切れるかい?」
「・・・・・・」
「たとえば君の同居人の葛城ミサト。彼女もそうだ。君の知っているお父さんのことだけではない。加持
リョウジのこと、赤木リツコのこと、様々な悩みを抱えている。裏切りも、絶望もあった。それでも、彼女
を幸せだと言えるのかい?」
「・・・・・・」
「綾波レイ。彼女の闇はもっとも深い。何事にも動じない心は、砕け散りそうな繊細さと裏腹なものだ。
出生の秘密。生きる目的。それらを知った上で、君は彼女を幸せだと言えるかい?」
「・・・・・・」
「表面だけを見て、人の幸せを見るべきではない。少なくとも今あげた君の知り合いは、君が考えている
ほど幸せではないのだよ」
「・・・・・でも、みんなは強い。強く、生きているわ・・・・ワタシにはできない・・・・」
「・・・・なぜ?」
「何もないから・・・・ワタシには、何もないから・・・・」
「何もないと、自分で思っているだけじゃないのかい?」
「・・・・・・」
「エヴァに乗れなくなった自分には、何もないと」
「だって・・・・そうじゃない・・・・ワタシには、エヴァに乗ることが全てだったワタシには、もう何
も、何もないのよ・・・・・」
「なぜ、エヴァが君の全てなんだい?」
「なぜって・・・・ワタシには、エヴァしかなかったから・・・・エヴァしか、なかったから・・・・」
少年は、小さく嘆息した。
「確かに君はエヴァに全てをかけていた。しかしその、エヴァに乗っていた過程で、君が何か得たものは
なかったのかい?」
「得たもの・・・・」
「共に戦った仲間。学校の友人。家族。そういったものを」
「仲間なんて・・・・ファーストはワタシを嫌ってるわ・・・・シンジは今のワタシに同情しているだ
け・・・・ヒカリは優しいけれど、それは委員長だから・・・・ミサトは、ワタシがエヴァのパイロット
だったから一緒に住んでいただけ・・・・それだけよ・・・・」
そう、それだけなのよ。
少年は、そんなワタシを見てあきれたように首を振った。
「・・・・本当に、君はものが見えないんだね」
「どういう、ことよ」
「もしかしたら、全て君の言うとおりなのかもしれない。少なくとも最初は、綾波レイは君を嫌い、シン
ジ君は今の君に同情し、委員長として洞木ヒカリは君を心配し、仕事上の必要から葛城ミサトは同居して
いたのかもしれない」
「そう・・・・そうに、決まっているわ・・・・」
「しかしね、人の心はそんな簡単に割り切れるものじゃないんだよ。君には分からないのかい?」
「・・・・・・」
「なぜシンジ君が同情していけないんだ? 洞木ヒカリは、ずっと委員長としての立場で君を心配してい
るのかい? 葛城ミサトが仕事上で同居を始めたとして、なぜずっとそれが続くんだい?」
「・・・・・・」
「人と人とが一次的接触をするきっかけなんて、些細なことなんだよ。エヴァをというものをきっかけに
彼らと接触して、エヴァがなくなったからと言ってそこから得たものがなくなってしまうのかい? リリ
ンの心とは、そこまで浅はかなものではないだろう」
「・・・・・・」
「シンジくんが単なる軽い同情で通ってくるのなら、エヴァのパイロットだった君の今の境遇に同情した
だけならば、ここまで熱心には通ってこないよ。友達としてなのか、好意を持っているのか、それは僕に
は分からないけど、それなりの感情を持っているからこそ、彼は毎日のように君を見舞いに来るんじゃな
いか」
「それは、シンジが優しいから・・・・」
「その優しさにすがることは、罪だと思うかい?」
「・・・・分からないわ」
「洞木ヒカリの心配にすがることは、罪だと思うかい」
「分からない・・・・」
「葛城ミサトの、そのほか君が今まで接してきた人にすがることは、罪だと思うかい」
「分からない・・・・ワタシには、分からない・・・・」
「確かに人は最終的にはひとりだよ。心の内の苦しみを解決するのは、いつだって自分自身だ」
「・・・・・・」
「だが、それを解決する過程で他人の助けを求めることは決していけないことではない」
「・・・・・・」
「いいかい、アスカ君。人は所詮ひとりだ。しかし、ひとりひとりが支えあうことはできる。ひとりひと
りは弱くても、支えあうことで強くなれる。それが、僕たちよりも君らが生き残るべき理由なんだよ」
「・・・・・・」
「すぐに理解しろと僕は言っていない。ただ、ほんの少しでもその心を外界に向けてごらん。君を思う、
多くの人の心を受け止めてごらん。そこから、人の営みは始まるんだよ」
「・・・・・・」
「自分の居場所は用意されているんじゃない。自分で作るものなんだ」
「・・・・どうして、アンタはそんなことが言えるのよ。どうしてアンタは、そんなふうにさとれるのよ」
「僕は・・・・」
少年は、寂しそうに笑った。
「僕は、本当にひとりだからね・・・・」
「・・・・・・」
「君たちリリンには未来がある。そして支えあうべき仲間がいる。シンジ君も、葛城ミサトも、綾波レイ
も、自分を支えてくれる誰かがいるからこそ、心の苦しみがあっても、それを乗り越えて幸せでいられる
んだよ。きみも、努力してみてみたらどうだい」
「・・・・・・」
「さて・・・・そろそろ朝が来るよ。僕の言いたいことはだいたいこんな所だ。あとは、君自身が考えて
みるといい。このままでいるか、それとも・・・・」
しばしの沈黙。少年は、右手を軽く振るとワタシに背を向けた。
「がんばって欲しい。これが、僕の最後の言葉。君に送る、魂の最後のかけらだ」
「ちょ、ちょっと、待ちな・・・・さいよ・・・・」
視界が、不意にブラックアウトする。最後にワタシが見たのは、肩越しに振り返った、少年のとびきり
の笑顔だった。
ちゅん、ちゅん、ちゅん・・・・。
いつの間にか、夜があけていた。
ワタシは、真っ白な天井を見上げていた。
人は、支えあって生きていける・・・・。それが、強さなのだ・・・・。
あの少年の言葉は、今のワタシには、よく分からない。
エヴァだけにすがってきたワタシには、まだ分からない。
・・・・ゆっくりと、起きあがってみた。衰えた力を振り絞って、起きあがってみた。
左手の窓から、柔らかな光が差し込んでくる。
どうしてか分からない。気づいたら、ワタシはよろめく身体を、その窓際にまで持っていっていた。
震える手で、カーテンを、さっと開けてみる。
空が、青かった。どこまでも、青かった。
「・・・・あ・・・・れ・・・・」
見上げる太陽が、不意にぼやけた。
ワタシ・・・・泣いているの・・・・?
なぜだか知らない。不意に、涙があふれてきた。悲しいわけじゃない。悲しいわけじゃないけど、あと
からあとから涙があふれてきた。
どうしてだろう。どうしてだろう。
「う・・・・・ひっく・・・・ひっく・・・・」
しばしの間、ワタシは泣き続けていた。
・・・・シンジにあいたい。ヒカリに、ミサトにあいたい。みんなにあいたい。あって、話をしたい。
話を聞きたい。ワタシの事を聞いて欲しい。ひとりじゃないために。ひとりで、いなくてもいいように。
心の奥から、魂の奥から、ワタシはそう願った。そう思えることが、なぜかうれしかった。
世界は、美しかった。
朝の光が闇を追い払うかのように、暖かな感情がワタシの心に満ちていった。
・・・・しばし、そうしていた後。
ワタシはベッドに戻り、シンジが置いていったお弁当を手に取った。
ふたを開け、箸を取り、ゆっくりと、ゆっくりとシンジが作ってくれたおかずを口にする。冷えきり、
堅くなっているそれだったが、今までの中で一番おいしいもののように、ワタシには感じられた。
コチ・・・・コチ・・・・。
時を刻む音だけが、室内に響く。
そして、ワタシがお弁当のほとんどを食べ終わった頃・・・・。
こん、こん。
小さな、本当に小さなノックの音が、ワタシの耳に飛び込んできた。
<了>
「魂の願い」は、徳永英明の同名タイトルからの拝借です
記念コメント(アスカとシンジ編)
アスカ:・・・・
シンジ:・・アスカ?
アスカ:・・・・こんなのアタシじゃないわ。
シンジ:そんな事言うなよ。よく出来てるよ、ほんとだよ。
アスカ:確かに高嶋よりずっといい文章だけど・・・・
シンジ:だけど?
アスカ:アタシはこんなに弱くないわ。アタシはシンジみたいに訳のわからな
い男が頭の中に出てきたりしないもの。
シンジ:ぼ、僕だってそうだよ。人を変人扱いしないでよ、もう。
アスカ:ま、いいわ。それよりシンジ、ご飯まだ出来ないの?
シンジ:あ、忘れてた。ちょっと待ってね、今すぐ作るから。
アスカ:早くしなさいよ!!・・・・ったく、鈍感なんだから・・・・こうい
う小説を読んだら、ちょっとはアタシにやさしくしようっていう気が
起きてもいいと思うんだけど・・・・
シンジ:(台所から)アスカー、何が食べたいー?
アスカ:はんばーぐ!!
シンジ:またー?この間食べたばっかりじゃなーい!!
アスカ:いいじゃない!!アタシはシンジのはんばーぐが大好きなの!!
シンジ:わかったよ、アスカ。おいしいの作るからね!!
アスカ:・・・ふぅ。まったくシンジと来たら・・・・ま、でもアタシがシン
ジを好きになっちゃったんだから、しょうがないんだけどね!!
という訳で、記念投稿第四弾は、皆さんご存知、丸山直之さんの短編です。
おめでとう!!そしてありがとう!!いやー、ぱちぱちぱち・・・・
え!?丸山さんを知らないって?無礼者、そこに直れ!!っていうのは冗談で
すが、丸山さんはへぼレイの香港小説を書いています。あと、高原さんのとこ
ろにも投稿してるし、レイニーブルーも有名。わざわざ一つ一つリンクはしま
せんが、まあ、行きにくいところではないので、皆さん読んで見てくださいね。
で、私の感想ですが・・・・カヲル君とアスカの対話、これが最大の見所です
ね。まあ、ここが大半を占めるんですが、失楽園の山田さんを彷彿とさせる感
じでとても良かったです。私はこういう心の中を語る、みたいなものは書けま
せんので、うらやましく思います。
私ももっといい文章が書けたらいいんですけどねえ・・・・はあ・・・・
丸山さんへのお便りはこちら:
丸山直之(f6269870@ca.aif.or.jp)
そして丸山さんのページはここ:
エデンの黄昏
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