高校の授業・・・・
とは言っても、もうすぐ卒業を控えた僕達は、大した事はしていなかった。
だから高校生活最後の思い出を作るために、賑やかな会話が交わされていた。
しかし、僕の心は複雑だった。
朝の出来事があって、楽しく会話を弾ませる余裕なんてなかった。
僕と綾波と、そしてケンスケと・・・・
かくしEVAルーム20万ヒット記念小説
『兄妹』
高校最後の一年は、とても残念な事があった。
それは今までずっと一緒のクラスだった僕とアスカが、別々のクラスになってし
まった事だ。この事を知った時、アスカは職員室にまで駆け込んだくらいで、相
当ショックだったらしい。僕もショックにはショックだったが、どうせ休み時間
になれば逢えるのだし、授業中にアスカにちょっかいを出されない分、都合がい
いと思っていた。ただ、アスカが寂しそうな顔をするのを見るのだけはつらかっ
たのだが・・・・
だが、もうひとつ問題があった。
それは、アスカが別々のクラスになったというのに、綾波は僕と同じクラスのま
まだったからだ。まあ、考えてみれば、僕とアスカが同じクラスになれば、教室
が騒々しくなるのは目に見えていたが、綾波の場合、他の人間に対してはかなり
心を閉ざしてしまっているので、僕が一緒の方が都合が良いと、職員の間で話さ
れるくらいの事はあったかもしれない。
そう考えてみると納得出来る配置なのだが、アスカだけはそれが納得出来なかっ
たのだ。
しかも、この高校は何故か席替えを認めておらず、全て出席番号順に席を配置し
ているため、綾波と僕は、一応姓が同じ「碇」で、兄妹という事になっていたの
で、席も隣同士になったのだった。
一応世間一般には兄妹だった。
雰囲気も、顔つきもどことなく似ていたし、兄妹と言っても無理はなかった。
だから、僕と綾波が同じマンションに住んでいたとしても、誰も文句は言わなか
った。大まかな真実を知る者もいるにはいたが、それをあからさまに喧伝しよう
とする心無い者は、幸運な事に僕の周りにはいなかった。
いや、そんな事実よりも、僕とアスカが夫婦だという事実の方が目立っていて、
そのおかげで僕と綾波の関係が表だってささやかれる事にはならなかったのだ。
アスカは綾波よりも遥かに元気で、目立つ存在だった。
だから、多くの人間は、綾波よりもアスカに目が行った。
しかし、それでもそう少なくもない人数は、アスカよりも綾波に興味を示した。
アスカが普通の元気な女の子であるのに対して、綾波の場合、不思議な神秘性が
つきまとった。
闇に魅かれ、その常ならなさに美を感じる者は数多い。
僕も昔はそうだったかもしれない。
しかし、それは今では不健康だと知っている。
闇は光の欠如であって、従って決して光には勝てないのであった。
だから僕は、光を・・・・アスカを選んだ。
だが、僕は知っている。
闇の吸引力は、光の比ではない事を。
だから、同じ憧れるのでも、アスカに対してと綾波に対してとでは、その形が全
然違っていた。
綾波に魅かれる者は、綾波以外は見えなかった。
そしてケンスケも・・・・闇に魅かれる者の一人であった・・・・・
綾波に魅かれる者が数多くいても、綾波は綾波であった。
人が憧れの眼差しで綾波を見つめても、綾波は一向に意に介さなかった。
そして、ただ独り、孤高を保っていたのだった。
だが、二人だけ、例外的な存在があった。
それが僕と、アスカであった。
ほとんどの者は、僕達三人が一緒に暮らしている事を知っていた。
そして、普通の者は、僕とアスカの新婚生活の方を知りたがった。
だが、闇に囚われた者達は・・・・綾波と僕との関係を知りたがった。
それはまだ、邪推の域を抜けなかった。
想像の範囲でしかなかった。
綾波と僕が血のつながらぬ兄妹だと知ったにしても、僕達三人の私生活を知るこ
との出来る者はいなかった。たとえ僕達と古い付き合いのある、トウジやケンス
ケ、洞木さんであろうとも・・・・・
おしゃべりで噂好きなアスカも、家の中での事に関しては、固く口を閉ざしてい
た。たとえ無二の親友の洞木さんに対してでも、詳しい事は語らず、散文的な内
容しか洞木さんも知り得なかった。
そして洞木さんも、細かい事が聞き出せなかったとしても、アスカに問いただす
ような事はしなかった。洞木さんは、プライベートを重んじていたからだろう。
そして、トウジも洞木さんに倣ってか、それとも自分の判断でか、無粋な事を僕
から聞き出そうとはしなかった。
こうして、僕達三人の秘密は、微妙な位置を保ちながらも、何とか上手くやりお
おせていたのだった・・・・
「あっ!!」
僕の机の上から、消しゴムが転がり落ちた。
そして・・・・綾波の足元に、その消しゴムは留まった。
綾波は僕が声をあげた事に気付いて・・・・・そして、消しゴムの事実を悟るに
至った。
「はい・・・・」
綾波はしなやかな身体を曲げて静かに僕の落とした消しゴムを拾うと、綾波を見
つめる僕に向かって差し出した。
「あ、ありがとう・・・・・」
「・・・・どういたしまして。」
綾波はそう言うと、僕が消しゴムを受け取ろうと思って差し出した手の平に、消
しゴムを持った手をそっと乗せた。そして、不必要にさりげなく僕の手に触れる
と、そのまま黙って手を引っ込めた。
「あ、綾波・・・・」
僕は思わず驚いて小さな声をあげる。
しかし、それはここでは禁句だった。
綾波は人前では「碇レイ」だったし、僕も綾波を自分の妹だとわきまえた対応を
しなければならなかったのだ。僕は自分の過ちに気付くと、済まなそうな顔をし
た。するとそれを見た綾波は、僕を責めるでもなくにこっと微笑むとそのまま視
線を僕から正面に戻して、事無きを得たかに見えた。
しかし、それでは終わらなかった。
休み時間になって、僕がアスカの教室に赴こうとすると・・・・廊下でケンスケ
に呼び止められた。
「シンジ。」
「あ、ケンスケか。何か用?」
僕は普段と変わらずにケンスケに対応したが、僕の目から見ても、ケンスケがそ
ういうつもりでない事ははっきりと見て取れた。
「さっき、綾波って呼んでただろ?」
「あ、うん・・・・」
「お前ら、兄妹なんだろ!?仲間内でならともかく、学校でまで恋人面すんなよ
な!!」
「こ、恋人面って・・・・」
「違うってのか!?」
「だ、だって僕にはアスカが・・・・」
「ああ、お前には惣流もいるだろうよ。そうやって綾波を悲しませて・・・・」
ケンスケも、綾波の事を綾波と呼んでいた。
しかし、僕は今のケンスケにそんな些細な事をとがめる事など出来なかった。
それだけ、ケンスケの目は危険なものをはらんでいるように見えたのだ。
「ケンスケ・・・・」
「俺の名前を気安く呼ぶな!!」
「ど、どうして・・・・」
「お前にはよくわかってるだろう!?」
「で、でも・・・・」
「言い訳なんかたくさんだ!!もう綾波の前から消えろよ!!お前の存在が、綾
波を苦しめ続けるんだ!!」
「・・・・・」
僕は何も言えなくなってしまった。
今の僕には、ケンスケに反論する資格すらないのだ。
アスカを選んだというのに、綾波の心を縛り続けているのだから・・・・
しかし、そんな時、僕の横から声が掛かった。
「いい加減にしなさいよ、相田!!」
「ア、アスカ・・・・・」
それはアスカだった。
僕がなかなか来ないと思って、様子を見に来てくれたのだろう。
だが、以前はアスカには弱かったケンスケが、今ではアスカを恐れてはいなかっ
た。
「けっ!!全てを知ってて、まだシンジをかばうのかよ・・・・・」
「・・・・なによ、その言い方?聞き捨てならないわね。」
ケンスケが冷たければ、アスカも冷たい。
もう、ケンスケと僕達の仲は、修復不可能なのだろうか?
綾波がいる時は、至って仲の良い様子を見せるケンスケも、綾波のいないところ
では、僕に対して露骨な嫌悪感を露にした。
「綾波とシンジの事、疑った事ないのかよ?もう、昔みたいな子供じゃないんだ
ぜ。」
「ア、アンタ・・・・」
「な、何言ってんだよ、ケンスケ!?」
「シンジは黙ってろよ、俺は惣流に話しているんだ。」
「・・・・」
ケンスケは僕の言葉を簡単に突っぱねると、アスカに向かって話を続けた。
「兄弟のくせに、毎朝キスしてんだろ?キスまでしてるのに、それだけで済むと
思うか!?」
「・・・・あ、当り前じゃない。アタシはシンジもレイも信じてるから・・・」
「それが甘いって言うんだよ!!惣流の知らないところで、何をしてるかわかっ
たもんじゃないぜ!!」
「・・・・・」
ケンスケはそれだけ言うと、僕達の前から姿を消した。
だが、ケンスケがいなくなっても、重苦しい雰囲気に変わりはなかった。
そして、僕とアスカの間に、長い沈黙の時が流れた・・・・
そのうち、僕は苦しくなってアスカに向かって声をかけた。
「ア、アスカ・・・・・」
するとアスカは、僕に向かって重苦しい口調で応えた。
「・・・・わかってるわよ。アンタとレイがなんでもないことくらい・・・・」
「そ、そう言ってくれるとありがたいんだけど・・・・」
「でも・・・・」
「な、なに、アスカ?」
「相田の事は、何とかしなくちゃいけないわね・・・・」
「な、何とかって・・・・?」
「あいつ、ある事ない事吹きまくるかもよ?アンタへの憎しみをぶつけるために・・・・」
「そ、そんな・・・・」
「有り得ると、アタシは思うわ。だからシンジ、くれぐれも気をつけなさいよ。
アンタはただでさえ弱虫なんだから・・・・」
「う、うん・・・・」
僕がそうアスカに応えると、ちょうど短い休み時間の終わりを告げるチャイムが
鳴った。
「じゃあ、アタシは自分の教室に戻るから・・・・」
アスカはそういうと、そのまま自分の教室の中に戻っていった。
「・・・・・・何でこんなことになるんだろう・・・・・?」
僕はアスカが去っていってからも、そうひとことつぶやいてから、しばらくじっ
とそこに佇んでいた。すると、休み時間が終わっても教室に戻ってこない僕を探
して、綾波がやってきた。
「・・・・碇君・・・・・」
綾波は、辺りには既に誰もいなくなった事を確認すると、たまりかねたように僕
の名前を呼んだ。
「あ、綾波・・・・・」
僕も、つい場所も忘れて綾波と呼んでしまった。
が、僕の場合、単なる慣れの問題であったのだが、綾波の場合は違っていた。
僕の事を、兄妹としてではなく、男と女として見たかったのだ。
僕はその事に気付くと、慌てて綾波から目をそらした。
が、その事が、普段冷静な綾波に火を付けた。
「・・・・どうして目をそらすの?」
「そ、それは・・・・」
「昔みたいに、私の事、見てくれないの?」
「・・・・・」
「私は今でも、碇君だけを見続けてるのに・・・・・」
しかし、僕はそんな綾波の心情の吐露を聞かされても、何も応えられず、顔を背
けたままだった。すると、そんな僕の不意を付いて、綾波が僕に飛びついてきた。
「碇君!!」
僕は綾波を視界に入れていなかっただけに、とっさに身動きが取れなかった。
そして、気が付いた時には、既に綾波の唇の感触を感じていた。
「・・・・・」
僕は、そんな綾波の唇を、振り払うことが出来なかった。
綾波の事を抱き締めこそしなかったものの・・・・・
僕はとにかく、綾波を拒むべきであった。
綾波だって、僕がそうする可能性もある事くらいは、重々承知しているはずなの
だから・・・・
だが、結果として、僕は何も出来なかった。
綾波はその事実を知ると、いっそう僕をきつく抱き締めてきた。
今まで我慢してきた分を全て晴らすかのように・・・・
綾波の長い髪の毛が、僕の顔を撫でる。
女の子特有の甘いような匂いが僕の鼻腔をくすぐる。
廊下には人影一つ見えない。
あるのはただ、僕と綾波の、一つに重なったシルエットだけだった・・・・
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