今日もいい天気。
ご飯はつややかに炊けたし、塩鮭は香ばしく焼き上がった。
後は味噌汁を作るだけ。
一日のはじまりの朝は、何事もなく僕を平和に包んでいた・・・・
かくしEVA10万ヒット記念小説
『ひとつのカタチ』
「おはよっ、シンジ!!」
台所に立つ僕に、後ろからアスカが朝の挨拶をしてきた。
僕はちょうど味噌を溶いているところだったので、手を放すことが出来ずにア
スカに背を向けたまま挨拶を返した。
「おはよう、アスカ。今日はまた随分早いんだね。朝食はもう少しで出来るか
ら、そこで座って待っててよ。」
早起きしたアスカは、僕が自分の方を向いてくれないのにほんの少しだけむっ
として、肩越しから僕の顔を覗き込んで言った。
「愛する妻に、顔も見せてくれないの?」
「そ、そういうつもりじゃないよ・・・・困ったなあ・・・・」
アスカは困った顔をしている僕を楽しそうに見つめると、ちゅっ!!とほっぺ
たにキスをして、また元の位置に戻った。
「わかってるわよ。ちょっとかまって欲しかっただけ。」
「う、うん・・・・」
「ほんっとにシンジって、成長してたくましくなっても、あんまり変わらない
のよねぇ・・・・」
アスカは感慨深げに言う。
そう、僕とアスカは早くも高校三年生。
そして、ちょうど僕が18になった時、僕とアスカは結婚したのだ・・・・
「アスカだって、こんな僕と知ってて結婚してくれたんだろう?」
僕はようやく味噌汁を仕上げると、アスカの方を向いて言った。
そう、アスカはずっと僕のことを待っていてくれた。
僕が人を愛することを知らなかった時も、僕がアスカを愛するようになるまで
待っていてくれたし、アスカが16歳になって結婚出来る年になっても、僕が
18になるまでじっと待ち続けていてくれた。
そして、僕とアスカは晴れて結ばれたのだ。
「そうよ。アタシはそういうシンジのことが好きで、自分のものにしちゃった
んだから。」
アスカと僕は、毎日のようにこんな言葉を交わし合っていた。
アスカも僕も、冗談めかしてはいたが、このやり取りで二人が心だけでなく、
法においても強く結ばれていることを確かめ合っていたのだ。
それは僕たちにとってとても心地よく、甘いひとときであるのだった。
「ところで、今日はどうしてこんなに早く起きたの?もう着替えも済んでるみ
たいだし・・・・」
僕はアスカの姿を見て、再び尋ねる。
この数年で、アスカは成長していた。身長も体重も僕がはじめてアスカと会っ
た頃からさほど変化はないのだが、女らしい身体つきになっていたし、何より
その美しい栗色の髪は、一度も切られることなく背中に流れ落ちていた。
アスカは僕たち二人の通う、第三新東京高校の制服を着て、いつでも出かけら
れる体勢を既に整えていた。
「だって、たまにはシンジに起こされないで自分で起きないと恥ずかしいでし
ょ?それに・・・・」
アスカはちょっとくちごもると、恥ずかしげに顔を赤らめた。
「それに?」
僕はアスカにやさしく言葉を促す。
これは別に取るに足らないことかもしれなかったが、僕たちの決まりごとであ
った。特に口約束などしてはいなかったが、お互いが、恥ずかしくて言いにく
い時はもう片方がやさしく先の言葉を求めるということを、常に実行していた。
「それに・・・・いっつもシンジからでなく、たまにはアタシの方から、おは
ようのキスをしたいじゃない・・・・」
アスカは恥ずかしそうにそう言うと、視線で僕を求めてきた。
僕はアスカの言葉と視線の両方を了解すると、やさしく微笑みながら返事をし
た。
「・・・そうだね。アスカの気持ち、僕にはよく分かるよ・・・・」
「じゃあ・・・・」
アスカはそう言うと、僕に更に接近する。僕はアスカがキスをしやすいように、
少し身を屈めると、アスカに唇を差し出した。
「んっ・・・・」
二人の唇と唇が触れ合う。
僕とアスカは、正式に結婚する前からも、隠れて毎日キスをし合っていた。し
かし、朝のおはようのキスは、大抵アスカを起こす僕の役目だった。僕がアス
カに気持ちに応えきれずに、右往左往していた頃は、アスカもしょっちゅう早
起きをしては、キスをしたくて僕の部屋に忍んできたものだ。しかし、お互い
が想いを通じ合わせた今となっては、アスカももうそんなことはせずに、僕に
キスをされて目覚めるというこの状況を楽しんでいた。
僕も、アスカの安らかな寝顔を見るのがたまらなく好きだったし、そんなかわ
いいアスカにキスをして起こすというのは、楽しみの一つとさえなっていた。
だが、たまにはアスカも自分からキスをしてみたくなったのだろう。僕にはも
う、アスカの気持ちは手に取るように分かっていたのだった。
「ふぅ・・・おはよう、シンジ。目が覚めた?」
僕たちは名残惜しそうに唇を離すと、アスカが顔を火照らせながら僕に尋ねた。
僕はとっくに目覚めてはいるのだったが、こういうところがアスカのかわいい
ところだと思っていたので、僕は真面目にアスカに受け答えた。
「おはよう、アスカ。アスカのキスのおかげで、ばっちり目が覚めたよ。あり
がとう。」
「ふふふっ、そう?でも、やっぱり朝と夜とじゃ、キスも違うもんね。今のは
朝のキスだったけど、夜の大人のキスもしてみたくない?」
アスカは調子に乗って僕に迫る。しかし、アスカのペースに乗せられては、い
くら時間があっても足りないということを、この数年の経験で僕は悟っていた
ので、僕はそんなアスカをちょっとたしなめた。
「駄目だよ、アスカ。そんな事してたら、またこの間みたいに遅刻しちゃうだ
ろ?さすがに僕たちのことはみんなに知られてるけど、キスを楽しんでたから、
遅刻しましたなんてとてもじゃないけど言えないよ。」
僕は夫ぶってアスカに言ったが、アスカは新妻らしく、僕に甘えてこう言った。
「キスだけよ。キスだけ。ねぇ、いいでしょ?夜は夜で、ちゃんとさせてあげ
るからぁ・・・・」
僕はこういうアスカに弱い。アスカはかわいくねだられると僕が断りきれない
というのをちゃんと理解しているので、いつもこの手を使ってくるのだ。そし
て、僕もわかってはいるのだけれど、やっぱりアスカのかわいさに負けてしま
って、おとなしくわがままを聞いてやるのだった。
「・・・・しょうがないなあ・・・・キスだけだからね。それ以上は絶対にし
ないからね。」
僕がしぶしぶそう言うと、アスカは喜びの色をあらわにして僕に飛びついて言
った。
「ありがとっ!!だからシンジってだ〜い好きっ!!」
そして、アスカは唇を僕に押し付けてきた。しかし、その時・・・・
「おはよう・・・・」
僕とアスカはいきなり脇から挨拶をされたので、キスどころではなくぱっと飛
び離れた。そして、その声の主を目で確認すると、僕たち二人は照れくさそう
に挨拶を返した。
「お、おはよう、レイ。いいお天気ね。」
「おはよう、アスカさん。」
アスカは少々後ろめたい気持ちを隠し切れずに、綾波と朝の挨拶を交わす。そ
して綾波も、動揺をうまく隠してはいつつも、表情の強ばりでそれを明らかに
してしまいながら、アスカに応えた。
一方、僕と綾波は・・・・
「・・・おはよう、綾波。」
「・・・・おはよう、碇君。」
それは思わせぶりな挨拶であった。アスカはそれにむっとして、大きな声で僕
たちをたしなめる。
「ちょっと!!アンタ達は兄妹でしょ!?昔みたいな呼び方をするんじゃない
わよ!!」
アスカの言う通りだ。綾波は最終的に父さんの養子ということになって、法律
的には僕の妹ということになった。しかし、僕も綾波もあまりピンと来なくて、
昔通りにお互いを綾波・碇君と呼び合っていた。アスカはそのことをずっと不
満に思っていたが、これだけはさすがのアスカでも変える事は出来なかった。
「戸籍上はそうでも、血はつながってないもの・・・・」
「綾波は綾波だよ。今更妹として見ることなんて出来ないよ。」
僕と綾波は口をそろえて言う。アスカは苦々しい目で僕たちを見ていたが、ど
うにもならないことを悟っていて、口では何も言わなかった。
すると、綾波は更に続けて僕に言った。
「・・・碇君、私もおはようのキス・・・・」
綾波はキスを求める。綾波はこの時だけは僕の妹という理由を持ち出してきて、
キスを求めてきていた。綾波によると、家族のスキンシップとのことだが、僕
もアスカも、そんなことは口実にすぎないとわかっていた。だが、僕も綾波を
拒絶することは出来ずに、毎朝おはようのキスを繰り返し続けていた。
そして、いつものとおり、僕は許可を求めるようにアスカに視線を向ける。既
に諦めているアスカは、不満気な態度をあらわにしながらも、しぶしぶ僕に応
えていった。
「好きにしなさいよ・・・・」
「ごめん・・・・」
そう言うと、僕は綾波に近づく。そして、長く伸びた綾波の髪の毛を後ろへや
ると、唇を近づけた。
綾波の髪は長く伸びていた。僕は綾波が髪を長く伸ばしている理由をずっと知
らなかったが、それをアスカに尋ねると、僕が以前、長い髪は綺麗だと言った
事があるからだと教えてくれた。そんな些細なことは僕は覚えていなかったが、
綾波の胸にはしっかりと刻まれていたのだろう。
綾波の髪の毛は、長く伸びても以前のくせっ毛は残っており、自然なシャギー
を形作っていた。髪の毛だけでなく、綾波は身長も伸びて、アスカよりもずっ
と背が高くなっていた。そして綾波の落ち着いて寡黙なところとあいまって、
そんな綾波に魅せられるのは男女を問わずかなりの人数であった。しかし、綾
波はそんな彼らには見向きもしなかった。さすがに鈍感な僕もその理由は把握
していたが、口には何も出さなかった。いや、出せなかったのだ・・・・
「・・・・碇君・・・・んっ・・・・」
綾波が女の子らしさを見せるのは、もう、僕にキスをさせるこの一瞬だけであ
った。そして、それ以外の時は自分の立場を把握し、僕を困らせるようなこと
はしなかった。綾波が自分の中に他人を立ち入らせないというのは、昔からの
ことだったが、そんな自分を堅く鎧っている綾波を見ると、僕はいつも済まな
い気持ちにさせられるのであった。
「・・・・ありがとう、碇君・・・・」
キスを終えた僕は、黙って綾波の髪を軽く直してやった。
そして、三人は気まずいまま食卓につき、朝食を取り始めた。
これが僕たち三人のいつもの朝の姿であったのだ・・・・・
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