メール100通記念短編
『オルゴールと陽の光』
とある休み時間の平凡なひととき。
「シンジ、ちょっとええか?」
トウジが僕に話し掛けてくる。その顔はいつもとは違い、真剣そのものだ。僕
はその表情の中に事の重大さを感じ取ると、僕も真面目な顔をして、トウジに
対した。
「何だい、トウジ?そんな顔してさ。」
「実はシンジにおりいって頼みがあるんや。」
トウジは他の誰にも聞かれぬよう、僕に顔を近づけて静かに言った。
「僕にできることなら、何でも引き受けるよ。」
「さよか。さすがシンジや。いつもいつも優しいのう。」
「そんなことはどうでもいいから。で、何なの、頼みって?」
「せやせや。実はな・・・わいの妹がこんど誕生日なんや。それで、シンジに
いろいろ協力してもらいたいっちゅう訳や。」
「何だ、そんなことなら喜んで手伝うよ。」
「さよか!?ほな頼むわ。」
トウジは僕が快く引き受けたので、とても嬉しそうだ。しかし、僕には若干の
疑問が残ったので、トウジに尋ねてみることにした。
「うん。でもどうして僕なの?ケンスケや洞木さんにも一緒に手伝ってもらえ
ばいいのに。」
「ケンスケに何が出来る!?あいつに出来るのは、サバイバルゲームとビデオ
撮影だけや。」
「そ、それもそうだね・・・」
運良くケンスケはその時トイレに行っていたので、これを聞かれることはなか
った。トウジの言ったことは、割と真に迫った表現だったが、それだけに本人
には言えないことであるのだ。
「家庭的なことは、シンジに頼むより仕方ないやろ。」
「じゃ、じゃあ、洞木さんはどうなの?僕よりずっとそういうのには向いてる
と思うけど・・・」
「ア、アホ!!このわいがいいんちょーにそんなこと頼めるかい!?」
「そう?洞木さんなら快く引き受けてくれると思うけど。」
「そらそうかもしれんがな、そない恥ずかしいこと頼める訳ないやないか。」
「僕はそんな恥ずかしいことじゃないと思うけどな・・・。まあ、トウジが恥
ずかしいっていうなら、僕が頼んであげるよ。おーい、洞木さーん!!」
「や、やめい、シンジ!!」
トウジが止めるのも空しく、僕の呼び声は洞木さんに届いたようで、洞木さん
はすぐに僕たちのもとへとやって来た。
「何?碇くん。あたしに何か用?」
「うん。トウジがね・・・」
「え、ええんじゃ、いいんちょー!!なんでもあらへん!!わざわざ呼んで済
まなかったな。」
トウジが大きな声でぼくの言葉を遮る。しかし、僕はそんなトウジにかまうこ
となく話し続けようとする。
「トウジが洞木さんに頼みがあるんだって!!」
「ア、アホ!!言う奴があるか!?」
「別にいいじゃないか。洞木さんに頼んだって。」
洞木さんはいきなり呼び付けられて、訳の分からない話をされて、困惑の表情
を浮かべている。しかし、なんとなく様子が理解できたようで、僕とトウジが
言い合っているのを押しとどめるようにして、静かに力強く言った。
「鈴原があたしに頼みがあるのね?」
僕は洞木さんのその言葉を聞くと、よしとばかりに言った。
「そうなんだよ、洞木さん!!」
「ち、違うんや、それは・・・」
「あんたは黙ってて、鈴原!!」
洞木さんは、トウジが言い訳しようとするのを押さえつけるために、きっぱり
と言った。
「で、碇くん、詳しく説明してくれるわね?」
「うん。トウジの妹さんが今度誕生日だから、それで洞木さんにもいろいろ手
伝って欲しいんだ。」
「そうなの・・・いいわ。そういう事なら、あたしも手伝ってあげる。」
「わいは手伝ってくれなんて、言ってないで!!」
「いいから鈴原は黙ってて!!あたしは碇くんに頼まれているんだから。」
「・・・」
トウジは洞木さんに強く言われて、黙ってしまった。その顔は何だか少しふて
くされた顔をしている。僕は何だかその顔を見て、トウジに済まないことをし
たのではないかと感じたが、僕のその思考は、次の洞木さんの言葉に打ち破ら
れた。
「それで、あたしは何をしたらいいの?」
「それは・・・・トウジ、具体的に何をしたらいいんだい?」
「知るかい、そんなもん!!お前達で勝手に考えい!!」
トウジは怒ってしまっている。僕たちが勝手に話を進めたのが気に食わなかっ
たんだろう。そこで、僕はトウジをなだめるようにして話し掛けた。
「そんな怒らないでよ、トウジ。僕が洞木さんを無理矢理引き込んだのは悪か
ったけど、現に洞木さんがいた方が頼りになるだろ?」
「それは、そうやけども・・・」
「だからいいだろ?別に洞木さんが一緒でも・・・」
「そりゃあわしも、いいんちょーが手伝うのが余計だといってる訳やない。た
だ、いつも迷惑掛けとるから、今回は止めにしておこうと思っただけや。」
洞木さんはそんなトウジの言葉を聞くと、少し顔を赤らめて、自分の気持ちを
隠すかのように言った。
「べ、別に鈴原が済まながる必要はないのよ!!いつものことなんだから!!」
「さ、さよか?ほならお願いするわ。シンジだけや心細いとこもあるからな。」
トウジは、さっきまで頑として受け入れまいとしていたのを急に改めて、照れ
た口調で洞木さんに答えた。案外トウジは洞木さんに言うのが恥ずかしかった
だけで、本当は頼みたかったのかもしれないと、僕は感じた。
「で、本当に何をしたらいいの、僕たち?」
「あー・・・プレゼント選びとか・・・ご馳走の用意とか・・・ケーキの準備
とか、まあ、そんなところやな。」
「ふーん。それなら、僕と洞木さんだけで十分かもね。」
「せや。お前らだけで十分や。ここに惣流とかが入ってみろ?えらいことにな
るで、全く。」
僕はトウジの言っていることが良く分かっているので、なんとなく肯定した。
「そ、そうだね。アスカはこういうのにはちょっと向かないかもね・・・」
「ちょっとどころやない!!あのがさつさを見てみい。わいの妹にああいうの
が移りでもしたら、どないするっちゅうんや。」
「そ、そんなことはないと思うけど・・・」
「いや、わいは妹のことが心配や。シンジもよくあんな女と一緒に住めるもん
やな。わいにはとてもそんなことでけへん。」
「ト、トウジ、それはちょっと言い過ぎじゃないかな・・・」
「そうよ、さっきから聞いてれば、アスカの悪口ばかり言って。鈴原はどうせ
アスカみたいに複雑な女の子の気持ちなんて分かんないのよ。」
そんな洞木さんのトウジを責めるような口調にも、トウジは関係無いといった
風にして、いい加減に受け流した。
「ああ、ああ。わいにはそないなもん、全く分からんな。」
「そうよ、この鈍感男!!」
「せや、鈍感結構。男はそれでええんや。」
開き直るトウジに、僕も洞木さんも何も言えなくなってしまった。
次の日、今日は土曜で学校が休みなので、僕は約束していたとおり、トウジの
買い物に付き合うことにしていた。それはアスカには黙っていたのだが、運悪
く、玄関を出ようとするところをアスカに捕まってしまった。
「シンジ!!今日は休みだって言うのに、こんなに早く、一人でどこに行くっ
て言うの!?」
「ア、アスカ・・・」
「このアタシには言えないところなわけ!?」
「そ、そんなことないよ・・・」
「じゃあ、言ってごらんなさい。」
そういってアスカは僕に詰め寄る。僕はアスカに黙っていることは無理だと悟
って、本当のことを話すことにした。
「トウジと洞木さんと僕の三人で、買い物に行くんだよ。」
「な、何でアタシは誘われてないの!?」
「べ、別にアスカを仲間外れにするつもりじゃなかったんだよ。つまりこうい
う訳さ・・・」
そして僕は買い物に行く目的について、詳しくアスカに話した。
「わ、分かってくれたかな・・・?」
「まあ、いいわ。そういう事なら許してあげる。」
「そ、そう?じゃあ僕はトウジ達が待ってるからこれで・・・」
そういうと僕は、アスカに背を向けて玄関を出て行こうとする。しかし、アス
カはそんな僕の後ろ襟を引っつかむと、僕を行かせなかった。
「待ちなさい!!」
「な、なんだよ。行ってもいいんじゃないの!?」
「いいけど、それじゃあヒカリが面白くないでしょ?」
「へ!?」
「あの二人を二人っきりにさせてやんのよ!!それが友達としての思いやりっ
てもんじゃない。」
「僕にはなんだか良く分かんないけど・・・」
「あんたにはわかんなくてもいいのよ!!とにかく今日は行けません、って電
話しなさい!!いいわね!?」
「ったく分かったよ・・・アスカはわがままなんだから・・・」
「何ですって!?余計な事言ってないで、さっさと電話して来なさい!!」
と、そんな訳で、僕はうちでおとなしくしていることにした。
一方、そんな僕の電話を受けたトウジは・・・
「シンジは今日は来られんそうや。」
トウジは、既に横で僕が来るのを待っていた洞木さんに話し掛ける。洞木さん
はそれを聞くと、何だか複雑な表情をして、静かに答えた。
「そう・・・碇くん、来ないんだ・・・・」
「せや。それにしても薄情なやつやで。いきなり来れんと言い出すとは、わい
も見損なったわ。」
「しょうがないわよ。来れないものはどうしようもないから・・・」
「それもそうやな。ところで、シンジが来れんということは、今日はいいんち
ょーと二人っちゅうことやな。」
「そ、そうね。」
洞木さんは、トウジと二人っきりという設定を想像して、顔を赤らめている。
しかし、トウジはそんな洞木さんの様子に気付くことも無く、さっと立ち上が
ると、無感動に言った。
「ほないこか。」
「う、うん・・・」
洞木さんも顔を赤くしたまま、トウジに従って立ち上がった。
トウジと洞木さんは家を出ると、そのまままっすぐ近くのデパートに向かった。
二人は並んで歩いているとはいうものの、二人の間に楽しげな会話がなされる
ことはなかった。トウジはいつもとは違い、とにかく洞木さんの方を見ること
も無く、ただ黙って黙々と歩いている。洞木さんはそんないつもとは違うトウ
ジに戸惑いながらも、やはり自分からは話し掛けにくいらしく、しばらくは黙
っていた。しかし、そのうちそんな沈黙に耐えられなくなり、洞木さんはおず
おずとトウジに話し掛けた。
「す、鈴原・・・」
そんな洞木さんに、トウジはまるで怒ってでもいるかのように、ぶっきらぼう
に答える。
「なんや?」
「す、鈴原の妹さんて・・・どんな子なの・・・?」
「どんな子って・・・普通の女の子や。それがどうしたんかい?」
「い、いや、その・・・プレゼントを買うにも、どういうのが好きなのか知っ
ておく必要があるでしょ?」
「せやな。そういえば聞くの忘れてたわ。」
「じゃ、じゃあ、プレゼントはどうするのよ!?」
「今から聞く訳にもいかんし、いいんちょーに任せるわ。同じ女なら好きなも
んも大体似てるやろ。」
「そ、そんな・・・」
「ええやないか。期待しとるで、いいんちょー!!」
洞木さんは随分のんきなトウジに苦い顔をしながらも、トウジが自分に全幅の
信頼を寄せてくれていることがうれしいらしく、表情の中にわずかな喜びをに
じませていた。
二人がようやくデパートに到着すると、入るやいなやトウジは洞木さんに言っ
た。
「ほな、いいんちょー。頼んだで。」
「しょうがないわね・・・・」
そう答えると、洞木さんはデパート内のファンシーショップに行って、女の子
の好きそうなものをいろいろ物色しはじめる。しかし、トウジは洞木さんから
離れて店の外で待っていた。それを見た洞木さんは、外で待つトウジに向かっ
て言う。
「こっちに来なさいよー、すずはらー!!」
「そんな店に、このわいが入れるかい!!」
「鈴原の妹さんのプレゼントでしょー!!鈴原が選ばなくてどうするの!?」
「いいんちょーの言う通りかもしれんが、わいはそんなところには恥ずかしく
て入れん!!」
「そんな事言ってないで、早く!!」
「とにかく駄目や!!勘弁してくれい!!」
言っても中に入ってこようとしないトウジにごうを煮やした洞木さんは、強硬
手段を取ることに決めた。洞木さんは店を出て、トウジの腕をつかむと、つか
んだ腕をそのまま抱え込むような形で、トウジを店の中に引きずり込んだ。
「ほら、いいから鈴原もちゃんと見て!!」
「わかったわかった!!いいんちょーの言う通りにするから、手を離してくれ
い!!みんながわいらのことを見とるやないか!!」
洞木さんはトウジの言葉を聞いて、周りを見渡してみると、自分とトウジが注
目されていることに気が付いた。そして改めて自分達の様子を見てみると、ま
るで恋人同士が腕を組んでいるかような状態であった。洞木さんはそのことに
気付くと、顔を真っ赤に染め、慌ててトウジの腕を放した。
「ご、ごめんなさいね、鈴原・・・」
洞木さんはそうトウジに向かって言うと、恥ずかしさのあまりうつむいてしま
った。一方トウジの方は、洞木さんに解放されても、そのまま洞木さんの側に
立っていた。そしてトウジは、洞木さんに向かって元気付けるように言う。
「気にすることやない、わいは平気や。それよりわいの方こそいいんちょーに
恥ずかしい思いをさせてしもうて済まんかったな。堪忍してくれい。」
「鈴原・・・」
「早いとこ決めてまおう。こんなところでぐずぐずしてたら、すぐに時間が経
ってまうわ。」
「そ、そうね・・・・」
こうして二人は少し悩んだ結果、かわいいオルゴールを買うことにした。綺麗
に包装してもらい、そろって店を出ると、時間はもう十二時をまわっていた。
「はらへったな・・・」
トウジが何気なくつぶやく。今日は早弁してないだけに、いつもよりお腹が空
くのだろう。それを聞くと、洞木さんはトウジに向かって、持っているバッグ
を軽く持ち上げて見せると、嬉しげに言った。
「そうだと思って、お弁当持って来たの・・・」
「ほ、ほんまか、いいんちょー!?」
「う、うん。鈴原が喜んでくれるかと思って。」
「そいつはありがたいこっちゃ。いいんちょーの弁当は最高やからな!!」
「あ、ありがとう、鈴原・・・」
「何、礼を言うのはわいの方や。いつもいつも済まんな。」
「いいのよ、そんな気にしなくても。あたしは好きで作ってるんだから。それ
より早く屋上に行って食べよ!!」
そう言うと、二人はデパートの屋上に上がっていった。そして、日当たりのい
い、比較的清潔なベンチを一つ確保すると、早速洞木さんは持って来た弁当を
広げはじめた。それを見ながら、トウジはふとあることに気付いて、洞木さん
に向かって言った。
「そういえば、シンジがいたらどうしてたんや?」
「い、言われてみればそうね。碇君には作ってきてないから、何か買って食べ
てもらっていたかもね。」
「なんとなく寂しい話やな・・・。まあ、シンジがおらんで、いいんちょーに
とっては助かったのかもしれんな。」
「う、うん。鈴原の言う通りね・・・」
そう答えながら、洞木さんはトウジに向かって箸を手渡す。トウジは黙って箸
を受け取ると、待ちきれないように弁当に箸を伸ばす。しかしその時洞木さん
はトウジの狙っていた弁当箱をさっと取り上げると、小さな子供をたしなめる
ような口調で、トウジに向かって言った。
「いただきますが先よ、鈴原!!」
「そんな、こんなとこでも言わなあかんのかいな・・・」
「当たり前でしょ。挨拶はちゃんとしなくちゃいけないんだから。」
「めんどくさいのう・・・ええやないか。それに恥ずかしいで!!」
「駄目!!ちゃんとなさい。」
「分かった分かった。ほんとにいいんちょーにはかなわんな・・・」
「じゃあ、いただきます。」
「いただきます。」
そう、いただきますの挨拶をして、トウジと洞木さんは、学校の教室でいつも
しているように、弁当を食べはじめた。そんな中、トウジは弁当に夢中になっ
ていて気付かないが、洞木さんは周囲の目が自分たちに向いていることに、痛
いほど気がついていた。そのせいで、洞木さんはいつものように箸が進まない。
トウジがそれをみると、洞木さんに向かって心配そうに言った。
「どうしたんや、いいんちょー?あんまり食欲無いようやけど・・・」
「う、うん。ちょっとね・・・」
そういいながら、何気なく洞木さんはまわりをちらりと見やる。そんな洞木さ
んの様子に気がついたトウジは、洞木さんに向かって言った。
「なんや、いいんちょーは周りの目が気になるんか?そないな事気にしてたら
あかんで。」
「そういう訳じゃないの。ただ・・・」
「ただ、何や?」
「ただ・・・あたしたちが恋人同士にみえるんじゃないかと思って・・・」
洞木さんはこれ以上出来ないくらい顔を真っ赤にすると、そう、トウジに向か
って恥ずかしそうに答えた。トウジも洞木さんのその言葉を聞くと、はっとし
て、少し顔を赤らめたが、全く気にしていないということを示すために、わざ
と明るいそぶりを見せて言った。
「そ、そないなこと、ある訳ないやないか。」
それだけ言うと、トウジは弁当箱で自分の顔を隠すかのようにして、再び弁当
を食べはじめた。洞木さんはそんな照れるトウジを見ると、自分も弁当箱を手
にとって、自分もゆっくりと弁当を食べはじめた。
その後は二人ともお互いに意識してしまって、食べおわるまで一言も口をきか
なかった。二人とも弁当を食べおわると、洞木さんは空になった弁当箱を片づ
けはじめた。その様子を見ながらトウジは一言つぶやいた。
「いいんちょーみたいなのを彼女に持つやつは、きっと幸せやろな・・・」
それが耳に届いた洞木さんは、顔を真っ赤にしたが、気付かないふりをして、
そのまま片づけ続けた。
洞木さんが片付け終わると、再び買い物の続きをすることになった。
「次は何を買ったらええかな・・・」
「明日作るごちそうの材料を買いましょうよ。」
「せやな。後はケーキと、そんなもんか・・・」
そういう事で、二人は食料品売り場に向かった。ごちそうは洞木さんが作るの
で、洞木さんは黙ってどんどんと必要な品物をかごに入れて行った。トウジは
おとなしく洞木さんの様子を見ていたが、心の中では、その材料をもとに、ど
んなごちそうが出来るのかという期待に胸を躍らせていた。
洞木さんの買い物が終わると、トウジはそれまで閉じていた口を開いた。
「最後はケーキやな!!」
洞木さんはそのトウジの言葉を聞くと、明るく答えた。
「ケーキならあたしが作ってあげる。」
「ほ、ほんまか!?いいんちょーはそんな事まで出来たんか!?」
トウジの驚きようを見ても、洞木さんはさもそれが当然かのように振る舞って、
答えた。
「もちろん!!まあ、買ってきたようにはいかないかもしれないけど、たまに
は手作りっていうのもいいんじゃない?」
「そ、そいつは済まんな。なんか手間のかかる事をしてもらうみたいで・・・」
「気にしないで。いつも作ってるから、そんなに大変なことでもないの。」
「さよか?なら、お願いするわ。」
「うん!!じゃあ、明日持っていくから、待っててね!!」
「ああ、わいも楽しみにしとるで。」
「じゃあ、もう用も無いし、かえろうか?」
「ああ。せやな。」
こうして二人はまだ日も高いうちに、帰路についた。トウジは重い荷物を全て
自分で持ちながら、洞木さんを家まで送っていくことにした。洞木さんは、そ
んな男らしい優しさを見せるトウジを憧れの眼差しで見つめながら、黙って歩
いて行った。
そんな、静かではあるが、幸せな時間はあっという間に終わりを告げ、とうと
う洞木さんの家まで到着した。
「送ってくれてありがとう、鈴原。」
「何、礼を言うのはわいの方や。今日は付き合ってくれてありがとな。」
「ううん、あたしも楽しかったから、いいの。それより鈴原は、あたしなんか
と一緒でつまらなかったんじゃないの?」
「楽しかったで、わいも・・・」
「本当?」
「ああ・・・」
そしてトウジと洞木さんは、しばしの間見つめあった。それは、ほんの数秒の
ことであったが、二人には数分にも感じられる、長い時間だった。その時間に
終止符を打ったのはトウジで、照れくさそうに視線をそらすと、じゃあな、と
かなんとか、口の中でもごもごと言って、走り去って行った。
洞木さんはその後ろ姿をじっと見つめていたが、見えなくなると、ふぅ、と一
息ついて家の中に入って行った。
そして次の日、トウジの家にて・・・
ピンポーン!!
洞木さんは玄関のチャイムを鳴らすと、トウジが出てくるのを待った。
ドアをすぐに開き、洞木さんの前にトウジが顔を見せた。
「いらっしゃい。よく来てくれたな、いいんちょー。」
「ううん。それより、ケーキ作ってきたから。」
そう言うと、洞木さんは手に持った大きな包みを軽く持ち上げて、トウジに見
せる。それを見たトウジは、思わず驚きの声をあげた。
「そ、そんなにでかいケーキなんか!?」
「そんなに驚く大きさかしら?普通に売ってる奴と同じくらいだけど。」
「わいはてっきりちょっとしたもんかとおもっとったで。」
「鈴原はあたしの料理の腕を見損なっていたのね。こんなケーキくらい、あた
しにかかればあっという間なんだから。」
「すまんすまん、まあ、こんなとこで立ち話もなんやから、中に入ってくれい。」
「それもそうね。じゃあ、お邪魔します・・・」
そうして、洞木さんは家の中に入った。二人は早速今日のごちそうに取り掛か
るために、台所へと向かう。洞木さんは台所に着くと、自宅から持ってきたエ
プロンを取り出して、身につける。トウジは洞木さんのその姿を眺めながら、
何となく感想をつぶやいた。
「いいんちょーはエプロン姿も似合うなあ。」
そんな、何となくトウジの口から発せられた言葉を聞くと、洞木さんは顔を赤
くしながら、トウジに向かって言った。
「な、何馬鹿なこと言ってんのよ、鈴原は・・・」
「冗談やないで。ほんまにいいんちょーはエプロンがよく似あっとる。何か家
庭的でええやないか。」
「そ、そう思う?鈴原は・・・・」
「ああ。わいはそう思うけどな。」
「そ、そう・・・」
洞木さんは真っ赤になった顔をごまかすために、トウジに背を向け、昨日買っ
ておいたいろいろなものを冷蔵庫の中から取り出した。一方、トウジはそんな
洞木さんの様子には気づかずに、ただ黙ってその様子を眺めていた。
トウジは洞木さんが料理を始めるのを見届けると、今日は横で邪魔せずに、黙
って後ろでおとなしく立っていた。洞木さんはそんなトウジを意外に思いなが
らも、トウジの視線を背中に感じつつ、得意の料理の腕を振るった。
洞木さんが料理を始めてから、一時間余りが経過した。トウジはその間、身動
き一つせず、椅子に座ろうともしなかった。洞木さんもそれには気づいており、
自分だけが座ってなるものかというトウジの男らしい思いを感じて、うれしく
思っていた。
そして長い時間も過ぎ、一通り料理は出来上がった。洞木さんは散らかった台
所をざっと片づけると、エプロンを外してトウジに向かって言った。
「これで取り敢えずあたしの仕事は終わり。あたしはこれで帰るから。」
洞木さんのその意外な発言に驚いて、トウジは大きな声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくれい!!もう帰ってしまうんかいな!?」
「うん。あたしがいても邪魔なだけでしょ?」
「そ、そないなことあるかい!?せっかくごちそうまで作ってもろたのに、最
後まで付き合ってもらわんわけないやないか!!」
「あたしがいてもいいの・・・?」
「当り前や!!帰るっていうても、わいが帰えさへんで!!」
「鈴原・・・」
「ええやろ、いいんちょー。一緒にわいの妹の誕生日を祝ってくれい。」
「うん、わかった・・・」
「じゃあ、わいは妹を呼んでくるさかい、いいんちょーは隣りの部屋に料理を
運んでくれんか?」
「うん・・・」
そしてトウジは今日の主役である妹さんを呼びに行き、洞木さんはトウジに言
われたとおり、隣りの部屋にごちそうの皿を運ぶことにした。
洞木さんが隣りの部屋に入ると、中はきれいに飾りつけがされていた。洞木さ
んは、トウジが妹さんのために一生懸命やったのに気づくと、改めてトウジの
優しさというものを感じた。
洞木さんが料理を運んでいるうちに、トウジが妹さんを連れてきて洞木さんの
前に現れた。
「いいんちょー、これがわいの妹や。」
「はじめまして、おねえちゃん。」
洞木さんは少し腰をかがめて、目線の高さを妹さんと合わせると、優しく微笑
みながらあいさつを返した。
「はじめまして。今日はお誕生日おめでとう。」
「ありがとう。今日はあたしのためにいろいろお兄ちゃんを手伝ってくれて。」
「いいのよ、そんなこと気にしなくて。それよりも、料理が冷める前に、早く
はじめましょ。」
「うん!!」
トウジはそんな二人のやりとりを黙って眺めていた。妹さんが喜んでいるのが
うれしいのか、それとも別の意味があるのかわからないが、とにかくトウジは
穏やかな表情を浮かべていた。
楽しい宴は始まった。はじめに、まだお昼なので、分厚いカーテンを閉め切る
と、ろうそく消しを行った。それから、洞木さん自慢の手料理の数々をみんな
で食べていった。
「おいしーい!!お兄ちゃんが作るのとは大違いだ!!」
「当り前やろ。わいといいんちょーを一緒にすな。」
「それはそうだけど、でも、ほんとにおいしいんだもん!!」
「それはそうやろな。いいんちょーの料理は天下一品や。そんじょそこらの飯
屋より、ずっとうまいで。」
「うん、あたしもそう思う。こんなおいしいの初めて食べたよ。」
洞木さんは自分の作った料理がこんなに喜んでもらえて、その喜びを顔に満面
に表している。特にトウジには弁当しか今までに食べてもらった事がなかった
ので、今日初めてきちんとした料理を食べてもらえて、洞木さんの心の中は、
うれしい気持ちであふれかえっていた。
そんな喜びに洞木さんがひたっている間にも、二人はまるでむさぼるように料
理を食べていった。そんな訳で、たくさんあった料理もあっという間になくな
り、後はケーキを残すのみとなった。
洞木さんは包丁を取ると、大きなケーキをきれいに切り分けていく。あとの二
人はそのケーキもどれほどうまいことかと、期待に胸を膨らませて、フォーク
を握り締めている。洞木さんが丁寧にみんなのお皿に切ったケーキを取り分け
ると、待ち切れない二人は慌ててケーキに飛びついた。
そして、夢中になっている二人を見て、洞木さんは感想を聞いた。
「どう、ケーキの味は?」
「さいこー!!」
妹さんはケーキから顔を離さずに、片手でグーをあげながら答える。
「鈴原は?」
「・・・・」
トウジは黙って同じくグーをあげる。ここのところはやはり兄妹だ。洞木さん
は二人が満足しているのを確認すると、自分もゆっくりとケーキに手をつけた。
しばらくして、ケーキもきれいになくなり、もう食べるものがなくなった。鈴
原兄妹は、満足げにジュースをすすっている。洞木さんもジュースを片手にそ
っくりな二人の様子を眺めている。そして、洞木さんが自分を見ているのに気
づくと、妹さんは洞木さんに話しかけた。
「おねえちゃんって、料理が上手なのね。」
「そうね。それだけがおねえちゃんの自慢だから。」
「大人になったらコックさんになるの?」
「うーん、どうかな?コックさんになるより、おねえちゃんは普通のお嫁さん
になりたいな。」
「そうなの?」
「うん。それに、料理が上手だと、お婿さんも喜んでくれるでしょ?だから料
理が上手なのも、決して無駄なことじゃないのよ。」
「ふうん、そうなんだ。あたしも料理が出来た方がいいのかなあ?」
「そうね。出来ないより、やっぱり出来た方がいいわよ。」
「でも、あたしにはとてもおねえちゃんみたいには出来そうもないよ。」
「そんなことないわよ。練習すればきっとすぐ上手になるわよ。」
「そうかなあ・・・?」
「そうよ。おねえちゃんだって、昔は下手だったんだから。」
「本当!?」
「うん。でも、一生懸命練習して、こうなったのよ。」
「すごいなあ。でもあたしはともかく、お兄ちゃんは駄目よ。」
「どうして?」
「お兄ちゃんは、ずっと前から料理してんのに、一向にうまくならないんだも
ん。」
「そうなんだ。」
「うん。だからお兄ちゃんはいくら練習しても、もううまくならないよ。」
「じゃあ、大変だね。」
「そうなの。だから、お兄ちゃんには、おねえちゃんみたいな人がお嫁さんに
なってくれたらいいんだけどなあ・・・」
今まで黙ってジュースをすすりながら、おとなしく二人の話を聞いていたトウ
ジは、その言葉を聞いて、びっくりして叫んだ。
「な、何ちゅうこと言うねん、お前は!?」
しかし、うろたえるトウジとは裏腹に、妹さんは平然として答える。
「どうして!?お兄ちゃんにはお似合いだと思うけどなあ。」
「ア、アホな事言うんやない!!子どものくせに!!」
「そっかー。お兄ちゃんにはちょっともったいなかったね。ゴメンね、おねえ
ちゃん。うちのお兄ちゃんなんかを押し付けちゃって。」
すると真っ赤になっていた洞木さんは、恥ずかしげに答えた。
「い、いいのよ。別に気にしなくて・・・」
洞木さんは、失礼をとがめないという意味で、気にしなくていいといったのだ
が、それを妹さんは違う風に捉えて言った。
「本当!?お兄ちゃんなんかでいいの?」
その誤解に気づいた洞木さんは、小さな声で慌てて訂正する。
「ち、ちがうのよ。そういう意味で言ったんじゃなくて・・・」
しかし、洞木さんの言葉など、妹さんには全く聞こえていなかった。
「お兄ちゃんとおねえちゃんが結婚したら、あたしはおねえちゃんの妹になる
のか!!そしたらうれしいなあ・・・」
その時、一種呆然としていたトウジが、顔を真っ赤にして訂正に入る。
「お、おい!!いいんちょーは違うと言うとるやろ!!」
「え!?」
「お前の誤解や!!いいんちょーに失礼なこと言うて。早く謝れ!!」
トウジに強く言われると、妹さんは悄然として、言われた通り洞木さんに向か
って謝った。
「ごめんなさい・・・おねえちゃん・・・・」
「いいのよ、別に。そんな気にしないで。」
「済まんな、いいんちょー。こいつが余計なこと言うてしもうて。」
「ううん。鈴原も気にしないで。」
「さよか?」
「うん。」
その時、傍でトウジと洞木さんの様子を見ていた妹さんは、ぼそりと一言つぶ
やいた。
「やっぱりお似合いだよねー。結婚すればいいのに。」
しかし、運のいいことに、当の二人には、この言葉は聞こえなかった。
楽しい時間はあっという間にすぎ、高かった太陽も次第に彼方に沈みはじめて
いる。トウジは帰っていく洞木さんを見送りに、一緒に外に出た。
「今日はほんとに済まんかったな。」
「いいのよ、別に。」
「それにつけても妹の奴、あんなとんでもないこと言いおって・・・」
「べ、別にあたしは全然気にしてないから!!」
「わいらを許してやってくれるか?」
「もちろんじゃない!!」
「さよか。やっぱりいいんちょーは優しいのう・・・」
「そ、そんなことないわよ。」
「いや、こんな優しい女、いいんちょーの他にはおらへんで。」
「鈴原・・・」
「わ、わいらしくないことを言ったかのう?みんなには黙っといてくれんか?」
「う、うん。」
「約束やで。いいんちょー。」
「うん。約束だよ、鈴原。」
「・・・家まで送ってくわ。」
「うん。ありがとう・・・」
そういって二人は夕日の中を並んで歩いた。洞木さんのうちに着くまで、二人
とも一言も口をきかなかったが、寂しく感じることはなかった。
夕日が沈み終わる頃、二人は洞木さんの家に着いた。
「ほな、わいはここで・・・」
「うん・・・」
「また明日な。」
「うん、また明日・・・」
「じゃあ、わいは行くから。」
「うん。気をつけて帰ってね。」
「ああ。」
そして、トウジは洞木さんを背に、走り去って行った。トウジは別に走る必要
もなかったが、その走りを緩めようとはしなかった。一方、洞木さんはそんな
トウジの走っていく後ろ姿を眺めながら、家の中へと消えて行った。そして家
の中に入り、椅子に腰をかけると、洞木さんは誰に聞かせる訳でもなく、静か
につぶやいた。
ありがとう・・・鈴原・・・・
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