うちにいる妹は、変な生き物だった。
何を考えているかさっぱりわからないし、俺と同じ生き物とはまるで思えない。
あいつが女で俺が男だからとか、そう理由をつけてみることも出来た。

でも、そうじゃないんだ。
クラスの女子とか、他に知り得る限りの女の子とは全く違う。
だから俺はこう認識することにした。

妹ってのは、特別で不可解な生き物なんだって。



2D8+

Written by Eiji Takashima




「お兄ちゃん、いざじんじょーに、勝負なのだ!!」

昼下がりのリビングにて。
寝転がってテレビ鑑賞中の俺に、あいつがいきなり言ってきた。
他でもない、妹の真歩だ。

「……はぁ?」

唐突なことを言い出すのはいつものことだ。
この突拍子もなさが、こいつを変な生き物だとの認識を与えている一因でもある。

「だから勝負だって。ほら、やるよー!」

さっぱり判らないというリアクションを見せてやっても、妹はノー説明だ。
自己中心的なのは好きにしてくれって感じだが、事あるごとに俺を巻き込むのはいい加減にして欲しい。

「何を勝負するんだよ? 目的は? 方法は?」

うんざりとした顔を向ける。
でも、妹はめげない。
というか、俺の露骨な表情にも、気づいていない天然キャラなのかもしれない。

「えー、えとっ、晩ごはんの買い出しに行ってきてってお母さんが。方法は、お兄ちゃんに任せるよ」

俺の冷たい問いに、妙に慌てた様子で答える妹。
多分、勝負をふっけかておきながら、それから先のことをちゃんと考えていなかったようだ。
相変わらず抜けていると言うか、何と言うか。
もうちょっと思慮深くなってくれれば、俺も気楽なものなのだが。

「わかったわかった。じゃあ、じゃんけんでいいか?」

そう言って、寝そべったままだるそうにグーを差し出す。
暇だから別に俺が行ってもよかったけど、妹にとってはそういう問題じゃないんだろう。

「うー」
「って、何故そこでうなる?」
「だって、まほ、じゃんけん弱いもん」

そうだ、こいつは勝負事が好きな癖して、からきし弱い。
下手の横好きもここまで行くと表彰ものだった。

「じゃあ、何がいいんだよ? 好きなの選ばせてやる」

じゃんけんでなくても、何でも同じ。
こいつが弱いのは似たり寄ったりだ。
というか俺は別に勝ち負けはどうでもいいし、こいつが満足して俺の邪魔をしないようになればそれでいい。

「うーん……」
「迷うなよ」
「迷うよぉ」

迷われる、というのが俺にとっては一番困る訳だが、こうなってしまうとどうしようもない。
面倒臭いが俺は身体を起こして、妹にちゃんと向き直った。

「迷うなら、じゃんけんだ。決まり」
「えーっ?」
「嫌なら別の案を出せよ」

このままだと、焦れた俺が勝手にスーパーに行きかねない。
妹もそれを薄々察したのか、仕方なくこっちにグーを差し出した。

「わかった。じゃあ、じゃんけんで勝負する」
「そっか、んじゃじゃんけんな」

ようやく解放されてほっとする俺。
対して妹は、残念そうな様子だ。

「それじゃ、じゃーんけーん……」
「ぽんっ!」

勢いよくじゃんけんした俺たち二人。
俺が出したのはパーで、妹が出したのは――

「うーん、あいこだね」

妹も、パーを出していた。
つまり、勝負続行だ。

「お兄ちゃん、どうする?」
「あいこなら、あいこでしょ!って続くのが普通だろ。勝負、ついてないし」
「うーん……」

俺の意見は至極もっともだと思うが、そこで妹はまた考え始めた。
何をそんなに悩むのか、俺にはさっぱりわからない。
やっぱり妹ってのは変な生き物だ。
俺の理解の範疇をオーバーしている。

「……まほは、引き分けでいいよ」

長考の末、ようやく出た結論がこれ。
その瞬間の妹は、妙に神妙な面持ちだった。

「はぁ?」
「ほら、よく言うじゃない。勝負に勝ち負けは関係ない、って」

なんか偉そうだ。
思いついた屁理屈に、自信があるのだろう。

「それは敗者の負け惜しみじゃないのか?」
「まほ、負けてないもんっ」
「いや、お前が負けたとは誰も言ってないって……」
「と・に・か・く、まほは勝負すること自体を楽しんでるからいいの。お兄ちゃんをこてんぱんにしちゃいたいとか、そういうこと考えてた訳じゃないから」
「はぁ……」

こてんぱん、という表現につい失笑しそうになったが、何とか堪えた。
まあ、そんなことはどうでもいい。
とにかく妹が引き分けで終わらせたいのなら、俺はそれで構わなかった。

「それじゃ、引き分けでいいとして……買い物はどうするんだよ? 俺、暇だし散歩ついでに……」
「だめ」

面倒臭くなって立ち上がろうとした俺を、妹が制止する。
肩を両手で押さえつけて、お前このまま座っとけ状態だ。

「駄目って、お前なぁ……」
「お兄ちゃん、負けてないじゃない。だから、だめ」
「それで言うならお前もだろ。買い物放置して晩メシがインスタントになるなんて……」
「引き分けだから、いっしょ」

肩の手から、力が抜けた。
俺はひとまず立ち上がって、何も言わずに妹を見下ろす。
小柄で背の小さなこの生き物は、俺が立ち上がると結構な身長差を感じさせた。

「一緒って、二人で行くってことか?」
「……うん。だめ、かなぁ?」
「いや、駄目ってことはないけど……」
「引き分け、だもんね。だから、対等じゃなくちゃだめなんだよ」
「そっか……」

まあ、妹の言うことは一応の筋が通っている。
俺としては、別に一人で行こうが二人で行こうが、大して何も変わったりしない。

「それじゃ、一緒に行くか」
「うんっ!」

くるくると変わる表情。
見ていると楽しいけれど、実際自分がやる立場になったら、どうなんだろうと思ってみる。
なんかえらい勢いで疲れそうだ。とても俺には真似できない。
やっぱりこいつは俺とは別次元に属する生き物で――

「母さんからお金、預かってるか?」
「うんっ、買う物書いたメモも、まほがちゃーんと持ってるよ」
「そかそか」

ご機嫌な妹の真歩。
このままだとカーペットの上でスキップを始めそうだ。

「そうそう、ひとつ気になってたんだけどなぁ……」
「ん? なに、お兄ちゃん?」

別の生き物だから、自分が同じようにするのは大変そうだけど、でも見ているのは楽しい。
だから俺は、この妹って生き物が、そう嫌いじゃなかった。

「お前、さっきパンツ見えてたぞ」
「……へ?」

きょとんとして、目をまん丸にして。
そしてすぐに言葉の意味に気づいたのか、見る見るうちに顔が真っ赤になっていった。

「お、お兄ちゃんのえっちーーー!!!」

大声で拳を振り上げると、俺に殴りかかる妹。
それをひらりとかわして、そのまま玄関へと逃げることにした。

「こらぁ、まてーーっ!!」

妹という生き物は、やっぱり楽しい。
俺とは違う、異質の存在だからなんだろうと、この時は思っていた。
その、はずだった。



「じゃーんけーん……」
「ぽんっ!!」

買い物に行く途中、俺と妹は歩きながらじゃんけんをしていた。

「なっ、どうしてそこでチョキを出すのよぉー」
「……そんなこと言われてもなぁ」

別に後出しをしたとか、そういうことはない。
正々堂々とした、じゃんけんバトルだ。

「リビングではあいこだったのに……」
「あれは惜しかったな。もう少しで俺に勝てるところだったのに」

何度もじゃんけんをしているが、妹は連敗街道まっしぐら。
冗談抜きで、さっきのあいこが奇跡にすら思える負けっぷりだ。

「くやしい……へこむ……」
「別に何か賭けてる訳じゃないからいいだろ。失うものはないんだから」
「失うよー、とっても大事なものを……」

たかがお遊びのじゃんけんなのに、マジで悔しそうだ。
拗ねたように唇を噛み締めて、凄みのない顔で俺を睨みつける。

「失うって、何を?」
「まほのプライド」
「……はぁ?」
「って、ばかにしたそれはなによぅ」

ここまでじゃんけんに弱いと確かにプライドはズタボロだろうが、ここまで来るとそういう問題じゃないような気がする。
そこで真顔で『真歩のプライド』なんて言うもんだから、俺が首を傾げてしまうのも無理はないだろう。

「別に馬鹿にするつもりはないって。でも、いい加減諦めてまっとうな生き方を……」
「いやっ」

きっぱりと俺の申し出を拒絶した後で、ぶんぶんと首を横に振る妹。
派手に動かすもんだから、二つのおさげがぺちぺちとほっぺたに当たって間抜けだ。

「まほの将来の夢は女賭博師だもん。カッコいいギャンブラー志望なんだから」
「……やめといた方がよくないか、それ?」
「ぜったいやめない。がんばる」

実に子供じみた意地を見せる俺の妹。
そもそもギャンブラーとかそういう人種は、違法行為をする犯罪者なのではないかと思ってしまうが、今のこいつには何を言っても無駄だろう。

「ま、それはお前の勝手だが、せめてもうちょっとは勝負事に強くなってからにしろよ。お前、駄目駄目じゃないか」
「うっ……」

勝負事は大好き。でも、滅法弱い。
図星をつかれて、妹は言葉を詰まらせた。

「楽勝で俺に勝てるようになってから、ギャンブラーを目指してくれよな」
「う、うん……そうだよね、やっぱり……」

悲しい現実を突きつけられて、しょんぼりしてしまう真歩。
でも、それは俺の本意じゃない。妹には、やっぱり元気でいて欲しかった。

「……わかったわかった。じゃあ、俺が練習台になってやるよ。じゃんけんでも、何でも」
「ほんとに?」
「ああ。別にそのくらいならな」

じゃんけんでもコイントスでもトランプ遊びでも。
簡単な勝負事なら付き合ってあげてもいいと思っていた。

「えへへ、お兄ちゃんありがとっ」

妹は表情を緩ませて、満面の笑みを浮かべる。
やっぱり俺には理解できない生き物だけれど、だからこそ俺が守ってやらねば。
そんな風に、漠然と考えていた。

「よおしっ、じゃあこれからはお兄ちゃんを仮想敵として、ばしばし勝負を挑むからねっ! よろしく!!」
「はははは……」

急に強気になって、人差し指を俺に突きつけてくる。
勝手にへこんでみたり調子付いてみたり、本当に見ていて飽きない奴だ。

まあ、こいつが生まれて俺の妹になって、ずっとずっと繰り返されてきたような、下らないやり取りに過ぎない。
たまに俺が妹をからかうように、こいつはこいつで俺で遊んでいるような気がした。
そして、これが俺達兄妹の距離感で、既に馴染んでしまったそれはあくまで自然で心地いい。
俺は、そんな関係がいつまでも続くと信じて、ちっとも疑ってなどいなかったんだ。



「うう、へこむ……」

買い物を終えて、家に帰ってきた俺と妹。
玄関で靴を脱ぐや否や、がっくりと両手を突いて崩れ落ちた。

「おいおい、そこまでへこむなよ……」
「まほのこの気持ち、お兄ちゃんにはわかりっこないよ……」

心配する俺の言葉も、今の真歩には届かない。
しかし、さもあろう。
行き帰りでじゃんけんをしまくったが、その結果がああでは、へこんでもやむなしだ。

「だって、たった3回だよ、3回!」
「3回も勝てたんだぞ、よかったじゃないか」
「ちっともよくないよっ。じゃんけんなんて五分五分のはずなのに、勝率が消費税以下じゃ……」

そう、俺は妹に3回負けた。
でも、じゃんけんした回数はと言うと……数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいしていたはずだ。
その勝率が消費税以下というのは、不運ここまで至れり、と嘆きたくなるのももっともな話だろう。

「もしかして、お兄ちゃんってエスパー!? まほの考えてることとか、筒抜け!?」
「んな馬鹿な。そんなパワーがあれば今頃ぼろ儲けだろ」
「うむむ、そうだよねぇ……」

ここまで負けるとイカサマを疑ってもおかしくないが、俺自身そんな小細工などしていないから真歩の弱さには驚きだ。
他のことは至ってノーマルなのに、とにかく勝負事となるととことん弱い。
我が妹ながら、実に憐れな奴だ。

「ま、買ってきたプリンでも食って元気出せよ。じゃんけんもきっとそのうち強くなるさ。うん」
「そ、そうかなぁ?」
「いや、わからんけど」
「うう、やっぱり……」

妹は順調にへこみモード継続中だ。
なかなかに見ていて楽しいが、それでもいつまでもつきあっている訳にも行かない。

「取り敢えず、買ってきたもの冷蔵庫に入れるぞ。お前も手伝えよな」
「あ、うんっ」

ぱっとへこみモードを解除して飛び起きる真歩。
まあ、へこむと言ってもその程度のものだ。
こいつの勝負事に対する情熱は理解できないが、大してへこんでいないことだけは確認できたし、今のところはそれでよしとしておくことにした。



そして何事もなく夕食を終え、俺はまったりとテレビを眺めながら時間を潰す。
自分用にキープしておいたプリンは、さっき冷蔵庫から出したばかりでひんやり冷たい。

「さてと……」

寝そべりながらプリンの上に載せておいたティースプーンを手に取る。
そして口で咥えると、プリン本体へと手を伸ばし――

「っへ、ほい」
「えっへへ、プリンはまほがゲットしたのだー」

プリンを取ろうとしたところで、横から妹にかっさらわれた。
ちなみにスプーンを咥えたままだと文句を言っても間抜けなので、すぐに手に戻す。

「お前、自分のプリンは食っただろ。それは俺んだぞ」
「だから、このプリンを賭けて勝負しようよ、お兄ちゃん」

むっとした顔で怒る俺に対し、へらっと笑いながら妹はそんなことを提案する。
別に勝負するのは構わんが、どうもこういうやり方は好かなかった。

「それは俺のプリンだ。勝負するなら、お前も何か賭けろよ」

正直、この勝負運のとことん悪い妹相手に、何をしても負けるとは思えなかった。
それに、そこまでプリンに固執していなかったし、ただ生意気な妹をへこましてやろうと、俺は軽く考えていた。

「もちろんだよ。やっぱり勝負事はフェアじゃないとね」
「ふふん、わかった口利きやがって。それで、何を賭けるんだ、お前は?」
「うーん、そうだねぇ……」

俺のプリンに対して、何を賭けるかを悩み始める妹。
プリンは夕方に食ったはずだし、棒アイスは共有財産だから賭けには使えない。
妹個人が持っているもので、俺が欲しいようなものはないし、果たして何を持ち出してくるやら興味が湧いてきた。

「よしっ、決めた!」
「ほうほう、それで何を賭けることにしたんだ?」
「えっとね、うん……」

妹は寝そべる俺を見下ろしながら、何故かちょっと言いにくそうな顔をした。
心なしか、顔も赤い。これはもしかして――

「まほ、お兄ちゃんの言うこと、なんでもひとつ聞くってことで……どうかな?」
「……ふむ」

そこで何故照れるのか気になったが、まあ何でもひとつ言うことを聞かせる権は、なかなかおいしいかもしれない。
少なくとも、この安っぽいプリンひとつよりは、遥かに価値がありそうに思えた。

「よし、じゃあそれで行こう。俺は負けたらプリンを提供する、お前は……」
「まほは、負けたらお兄ちゃんの言うこと、なんでも聞くってことで……」

こうして話はまとまった。
後は勝負するだけだ。

「それじゃ、じゃーんけーん……」
「ちょっと待ってっ」

早速じゃんけんに入ろうとする俺を、妹が慌てて制止する。
俺は手を止め、何事かと見上げた。

「……どうしたんだよ?」
「あ、いや、その……じゃんけんはやめにしたいなー、と」
「どうしてだ?」
「だって、今日あれだけ負けてるじゃない。まほ、もうじゃんけんでお兄ちゃんに勝てるとは思えませんっ。別のやつで勝負しないと、まほの負けは決定的だよー」
「なるほど……」

確かにそうだ。
消費税以下の勝率で俺に勝負をかけても、普通は勝てないと思うだろう。
こいつにしては、今日はなかなか頭が回るようだ。

「ということで、今回のしょーぶはこれでつけることを提案しますっ」

じゃじゃーん!と妹が取り出したものは、ごくごく普通のサイコロだった。

「……サイコロ?」
「うん、サイコロを振って、出た目の大きい方が勝ち。簡単でしょ?」
「まあ、確かに」

サイコロの出た目勝負か。
なるほど悪くはない。
じゃんけんと同レベルで、修練を積めばイカサマも可能だろうが、少なくともそんな芸当は出来ない。

「それで、どうかな?」
「ああ、いいよ。じゃあサイコロ勝負ってことで」
「うんっ、じゃあまずはお兄ちゃんからだよっ」

そう言って、妹は俺にサイコロを差し出す。
俺は小さな正六面体を受け取ると、手の中でコロコロと転がした。

「それじゃ振るな……」

こいつとサイコロで勝負するのはこれが初めてだ。
だから今までと同じように、簡単に勝てるかどうかはわからない。
でも、俺が負けても失うのは100円程度のプリンひとつだ。
だから、別に買っても負けてもどっちでもいいと思って、気楽にサイコロを放った。

「ほいっ!」

応接テーブルの上に転がるサイコロ。
硬質的な音を立てながら数度跳ね、そして静止した。

「……3だな」

出た目は3。
大きくも小さくもなく、適度に真ん中ってところだ。
となるとある意味、妹が自分で出す目が重要になってくる。
そのことに気づいたのか、真剣な眼差しでテーブルに向かっていた。

「それじゃ、次はまほの番だね……」
「4以上で、お前の勝ちだな。まあ、念でも込めて頑張ってくれ」
「うん、じゃあ、いくよぉ……」

妹も俺と同じように、両手を合わせて空洞を作り、その中でサイコロを振り動かす。
そしてしばらく念を込めたかと思うと、勢いよく放った。

「とりゃーっ!!」

サイコロはコロコロと転がり――

「って、ちょっと待てや、お前……」

気づけば俺が使ったサイコロはそのままに、妹は別のサイコロを振っていた。
まさか漫画の世界じゃあるまいし、イカサマサイを持っているとかいう話はないだろう。
しかしこれは――

「なんで8面ダイスなんだよっ!?」

イカサマサイどころか、俺が使った6面体のサイコロではなく、8面体のサイコロを使いやがった。

「へっへへー、このくらいのハンデはあってもいいよね?」

不敵な笑みを浮かべる妹。
恐らく、これが必勝の策なのだろう。
俺は「やられたー!」と思いながらも、その出目を見守った。

そして、サイコロはすぐに止まる。
オレンジ色の8面ダイスが示した数字は――

「……2?」

出た目は2。つまり、3を出した俺の勝利だ。

「うっそー!? どうしてハンデありで負けちゃうのー?」
「ハハハ、愚かなり。こんな卑怯な手を使っておきながら負けるとは……」

ショックを受ける妹。
一方俺はというと、小細工を弄した妹を鼻でせせら笑っていた。

「うう、やっぱりまほは弱い子なんだ……へこむ……」
「でも、負けは負けだからな。わかってるよな?」
「うん……しょーがないよね。こんなズルして負けたんじゃ、もう何も言えないよ……」

妹は大人しく負けを認め、俺に向かって頭を垂れる。
勝負事には弱いが、潔いところだけは一人前だ。

「さーて、それじゃ真歩には何をしてもらうかな〜?」

俺は自由の身になったプリンの蓋をめくりながら、敗者たる妹を見下ろしていた。
負けたことでへこみモードに突入していたが、ズルをしたからにはフォローもなしだ。
俺はどこかの代官にでもなったように、妹に裁きを下す前に尋問を始める。

「ったく、こんなサイコロ、どこで手に入れたんだ?」
「……今日、お買い物の途中で」

俺を放置していると思ったら、こんなものをゲットしていたとは。
なかなかに油断も隙もない奴だ。

「で、8面ダイスで勝負をすれば、俺に勝てると思った訳か?」
「うん……ごめんなさい、お兄ちゃん」

自分の浅慮に今更ながら気付いたのか、確かに反省しているような面持ちだった。

「でも、お前はそこまで俺に勝ちたいのか? 本気でプリンが欲しかった訳じゃないんだろ?」
「お兄ちゃんに勝ちたいとか、そういう訳じゃないよ……」

妹が勝負事に興味を示したのはいつの頃だったか。
今となってはもう思い出せない。
でも、昔から俺にちょろちょろとまとわりついては、事あるごとに下らない勝負を挑んできた。
どうして妹がそうなったのか……俺はふと、その理由が知りたくなった。

「なら、どうして?」
「……それが、勝利者としての、まほに対する要求?」

ひとつだけ、妹に何でも言うことを聞かせる権。
その行使なのかと、真歩は俺に訊いてきた。

「それを使わないと、お前は答えてくれないのか?」
「……できれば、答えたくない」

ぼそりと答えが返ってくる。
何故だかわからないが、俺の問いは妹にとって、それなりに重要な位置にあるようだった。

「……そっか、じゃあ、やめとく」
「うん……」

言いたくないことを、強制力を行使して言わせるなんて嫌だった。
それ以前に、妹が嫌がることをするなんて……今更どうして俺が求めるだろうか。

「ごめんね、お兄ちゃん……」
「別に、気にすんなよ」
「うん……ありがと」

元気でお調子者なのはどこへやら。
しっとりとした顔で、俺へのお礼を呟いていた。

「ばーか、らしくないぞ、お前」

そう言って、俺はテーブルに転がったままのサイコロを拾う。
俺が使った普通のサイコロではなく、オレンジ色した妹の8面ダイスだ。

「あっ……」
「それじゃ、俺はこれをもらうな。れっきとした賭けなんだから、お前も文句言うなよ」
「う、うん……」

こうして、妹の8面ダイスは俺の手の中に。
妹は嬉しそうにはにかみながら、両手を合わせていた。
そんな様子はいつもとちょっとノリは違うが、少なくとも悲しんだりはしていない。
俺はほっと胸を撫で下ろすと、誤魔化すように蓋の開いたプリンにスプーンを向けた。

「まあ、お前もこれに懲りたら、勝負事なんてやめてだなぁ……」
「ちょっとまーーーった!!」

カスタードの表面にスプーンが突き刺さる直前、またもや妹が大声で俺を止めた。

「……今度は何だよ?」

さっきまでのしおらしい態度は嘘のように、いつもの妹に戻っている。
というか、8面ダイスで俺に勝負を挑んだ時と、全く同じだ。

「そのプリンを賭けて、またまた勝負だよ、お兄ちゃん!」
「……アホか、お前は」

こいつ、全く懲りてない。
まあ、あの程度で懲りているなら、じゃんけん勝負の時点で自分には向いていないと悟るはずだ。
しかし、ズルをしたという時点で、あの時とは話が違うはずだが……。

「むー、アホじゃないよー。勝負師として、負けたままじゃ引き下がれないもんっ」
「そうかそうか。でも今もらったこのサイコロは返さないぞ」
「別にいいよー。初めっから返せなんて言うつもりもなかったし」
「ほぉ、そうかい……」

まるで挑発するように俺に相対する妹の真歩。
ここまで強気に出られては、いくら俺とてすごすごと引き下がる訳にもいかない。

「それと、俺はこの8面ダイスを使うからな。さっきズルした罰だ」
「まあ、それもしょうがないよね。でも、お兄ちゃんは甘すぎます。あまあまです」
「……何が言いたいんだ?」

妹は不敵な笑みを浮かべながら、何かを取り出して俺に見せる。

「これは……」
「8面体のサイコロはもうひとつあったのです。これで勝負は五分と五分だよね」
「……まあ、そうなるな」

さっきとは逆の立場になって更にへこませてやろうと思ったが、どうやら8面ダイスは予備でもうひとつあったらしい。
弱い癖して、実に用意周到な奴だ。

「ということだけど……勝負してくれるかな、お兄ちゃん?」
「わかったよ。じゃあ俺はこのサイコロを、お前はそっちのサイコロを使うってことで」
「うんうんっ」

ちらりと見たが、今度は確かに8面体のサイコロらしい。
今度は12面体とか20面体とか、そういう無茶なハンデの心配も取り敢えずなさそうだ。

「それじゃ、サイコロ勝負する訳だが……お前は何を賭ける?」
「まほはさっきと同じでいいよ。負けたらお兄ちゃんの言うこと、ひとつだけ何でも聞くって」
「そっか。じゃあ、俺も負けたらお前の言うこと、何でも聞いてやるよ」

さっきと違って、俺は本気だった。
プリンなんてどうでもいいものじゃなく、対等の条件で妹と勝負してやろうと思った。

「ふふふ、お兄ちゃんもやる気になってきたね。まほと同じ、勝負師の目をしてるよ」
「そんな御託はどうでもいいから、ほら、とっとと始めるぞ」

勝負師の目、ってのがどういうものなのかさっぱりわからんが、少なくともこのへこみ系の妹はそんな目をしているはずもなく。
今度もあっさりと勝てるだろうと、俺は飲んでかかっていた。

「わかったって。それじゃお兄ちゃん、先にサイコロを振って」
「おうよ!」

俺はオレンジ色のサイコロを手の中で振りながら、気合一閃、テーブルめがけて放り投げた。

「おりゃっ!!」

妹から奪った8面ダイスはカラカラと音を立てて転がっていく。
そして出た目は――

「おっしゃ、6ゲット!!」
「ふえぇ、6はキツイよ、お兄ちゃん……」

笑う者あれば泣く者あり。
1〜8で出たのが6なら、なかなかいい出目だ。
勝負運の欠片もない妹相手なら、余裕で勝利できると俺は確信を抱いた。

「次はお前の番な。7か8が出たら、お前の言うことを何でも聞いてやるよ」
「うう、7か8……7か8……」

妹は強く念じながら、両手を合わせてサイコロを振る。
そしてしばらく目を閉じていたかと思うと、カッと見開いて、サイコロを放った。

「7か8! 7か8!」

転がる最中も、透明なダイスに呼びかける妹。
コロコロと転がり、そして間もなくサイコロは動きを止めた。

「やったー、7だー!! 7が出たー!!」
「クッ……」

サイコロが出した目は7。
俺の6よりもひとつ多い、7の数字だった。

「あははは、お兄ちゃんに勝った! ようやくお兄ちゃんに勝てたよ〜!!」

妹は完全勝利に小躍りしている。
確かにこれは俺の負けだ。
サイコロもちゃんと同じ8面ダイスだし、おかしいところなどどこにもない。

「ほらっ、お兄ちゃんも喜んで! やったー! ばんざーい!!」
「って、何故負けた俺まで喜ぶ……」
「妹の勝利は兄の勝利、妹の喜びは兄の喜びだよ〜!」

よっぽど俺に勝てたのが嬉しいのか、訳のわからんことを言いながら、俺に抱きついてきた。
もうぎゅうぎゅうに抱き締められて、何が何やらさっぱりわからない。

「ったく、喜ぶのはいいとして、俺達は賭けをしてたんだぞ。お前は俺に何をさせるつもりなんだ?」
「えっ、あ、そっかぁ、そういうのもあったねー」
「呑気な奴だな、お前は」
「えへへー、そういうキャラですから、まほは〜」

ゆるゆるな表情で応える妹。
その最中も俺のことを放そうとせず、ぎゅっと抱きついたままだ。

「ほれ、離れて離れて。それから何でも好きなこと命令してくれよ」
「実はね、まほはもう、お願いごと、決めちゃってるんだ〜♪」

そう言いながらも、俺から離れない。
顔を上げて、俺のあごくらいの位置で見上げながら微笑んでいた。

「決めてるって、何だよ……?」
「まほね、前から欲しかったものがあるんだ。それはね……」

勿体をつけながら答えようとする、俺の妹。
一体なんなのかと軽く顔を下に向けた瞬間、いきなり背伸びをした。

「えいっ☆」

俺が顔を下げ、妹がジャンプしてそれに飛びつく形。
つまり、あれがこうなってこうな訳で……結論として言うなら、俺と真歩はキスをしていた。

「お、おまっ、いきなり何てことをっ……」
「まほね、お兄ちゃんのファーストキス、ずうーーっと欲しかったんだ。ゲットゲット♪」

やられた。
完全にしてやられた。
これなら何でも言うことを聞く権じゃなく、大人しくプリンにしとくんだった。

「欲しいものは必ず手に入れる、それが本当の勝負師なんだよ、お兄ちゃん」
「そ、そうか……」
「何度負けても、本当に大事なここ一番で、勝てばそれでいいんだから」

確かに、妹の言うことは正しかった。
俺はぐうの音も出せずに、このファーストキス喪失に呆然としていた。

「それじゃね、お兄ちゃん、大好きだよっ!!」

そう言って、嵐のように去って行った妹。
俺は真歩が触れた唇に手をやりながら、出て行ったドアをずっと眺めていた。

「…………どうなってんだ、これ?」

さっぱり訳がわからない俺。
あいつは俺のファーストキスを奪いたいと思ってた訳で、俺のことを大好きだとかなんだとか……。

「あーっ、もう訳わかんね!!」

頭をかきむしると、ひとまず冷静になろうと視線を戻す。
残っていたプリンでも食おうと思ってスプーンを取ったら――

「……プリン、なくなってるし」

あったはずのプリンは、影も形もなくなっていた。
恐らく、妹の奴が出て行く時にどさくさに紛れて持っていったのだろう。

「ったく、なんて奴だ……」

やっぱりあいつは俺とは違う生き物だ。
何を考えているのかさっぱりわからないし、俺にはついていけそうもない。

「くそっ」

テーブルの上に残された2つの8面ダイス。
俺が妹からもらったオレンジ色のと、妹が俺に勝利した透明のもの。
兄妹のバトルをよそに、仲良く寄り添っているように、ひっそりと並んでいた。

俺はその2つを手に取り、何となくテーブルに向かって振ってみる。
2つのサイコロは乾いた音を立てながら転がって……そして、止まった。

「出目は……17か」

なかなかのいい数字だ。
サイコロ2つで17なんて――

「17だとぉっ!?」

8面ダイス2つで17なんて数はあり得ない。
最高でも8のゾロ目で16のはずだ。
俺は慌てて両方のサイコロを確認して……その時ようやく気付いた。
透明なサイコロが示した数字は、9だったのだ。

「ったく、どうなってんだよ、これ……」

透明な8面ダイスを改めてよく検分してみる。
すると、1の数字がない、2〜9が出る特殊なサイコロだった。

「つまり、普通より1多いってことか……あいつめ……」

透明なサイコロを使ったのは、他ならぬ妹の真歩。
あいつは俺に気付かれないようにイカサマをして、それで欲しいものを手に入れたんだ。

「……負けたよ、完全に」

やっぱりあいつは勝負師に向いているかもしれない。
この現実を見せ付けられて、そんな風に思い始めていた。

でも、妹の最後のあの言葉は――

「欲しいものは必ず手に入れるって……」

そっと唇に触れてみる。
まだ少し、あいつの柔らかさが残っているような気がした。

俺は並んだ2つのサイコロを拾い上げると、片方の手で握り締める。
片方は透明なイカサマサイ、もう片方はオレンジ色の普通のサイコロだ。
でも、どっちも一般的じゃない8面ダイスで……。

「やっぱり変な生き物だよ、妹ってのは」

まるで数字がひとつ多い、この透明なサイコロのように。
いつまでも絶対に勝てないんじゃないかと、そう思わずにはいられない、初めてのキスだった。



<おわり>


戻る